ぬ:沼の主さまの贈り物
私の住んでいる家の近くには、沼がある。
池じゃない。沼だ。
葦系の草も良く育っているし、乾くとさらさらとした細かな砂になる泥は、昔、竹で作った2メートルの棒があっさりと埋まってしまうほど深い。
一体どれだけ深いのか、誰も知らないこの沼には、主がいる。
「また来たのか、坊」
「坊じゃなくて、嬢だって言ってんでしょうが、この両性類」
沼の主は、今日も顔の半分を沼から出してこっちを見ていた。
体はほとんど泥に埋まっていて、茶色に染まっているのに、大きな目玉だけは白目の縁取りで黒々と輝いているから余計に目立つ。
いつも沼の泥の中に沈んでいるから、身体全体を見たことはないけど、目玉と顔の大きさから言って、少なくとも私の身長よりも大きなカエルだというのは間違いない。
そう。
沼の主は、このオオガエルだった。
「今日の貢物はなんじゃ?」
「貢物って言うな。なんか悪い事しているみたいでいやだ」
ぶつくさ言いつつ、背中にしょっていた大きなリュック一杯に入った球状の物体を取り出した。
「おお、虫団子か!」
「残念ながら、団子虫は入ってないけどね」
巨大な団子に主様の目が嬉しそうに動いた。よしよし、反応はなかなか良いらしい。
これを作るのは、家の男衆の役目になっている。いつもは男性のこぶし程度の大きさのものを山盛り作って持ってくるんだけど、今夜当番だった兄が作るのを忘れていて大急ぎで作ったザ・男料理だ。
中身は、大小さまざまな虫なわけで・・・あまり、考えないようにしよう。
ちなみに、私の弟は初めてこれを作った夜、うなされていた。
それを運んで主様に貢・・・プレゼントするのが女衆の役目だ。
昔っからそう決まっているのに、なんだってこの主様は毎度毎度私のことを「坊」と呼ぶんだか。
「んじゃ、いきますよー。うりゃっ!」
間抜けな掛け声と共に思いっきり投げつけると、主様の顔の下半分がパカッと開いて長い舌が、あらぬ方向に飛んで行った虫団子を目にもとまらぬ速さでキャッチ、回収。
「美味じゃ、美味じゃ」
嬉しそうなほくほく声から察するに、あっという間に大きな口の中に消えて行った兄特製巨大虫団子は、なかなか好評なようだ。
よかったよかった。
重いのを我慢して持ってきた甲斐があったよ。
「では、ほれ。これを持っていくがよい」
満足そうな主様がぺっ、と何かを吐き出した。
おおっ! 巻物だっ!
主様はこうして時々、巻物だの何に使うのかわからないような道具などを私たちに与えてくれる。それをどう使うのかは、当主次第だ。
今の当主は私の父ちゃんだけど、主様からもらったものは、蔵の中に祭って(放って)おくだけであまり使おうとしない。
だから、その分、兄や私が時々使い方を議論したり、どういう構造になっているのかを調べたりしてる。
弟は面倒がって寄り付きもしないけど。
私は割と巻物や本のようなものに書かれた、読めもしない文字を読もうとしてみたり、見たことがない技法で描かれた絵を眺めるのが好きだったりする。
「ありがとうございます。ねぇ、主様って、どうしてこんなにたくさん不思議なものを持っているの?」
きちんとお礼を言った後に、主様を見上げて尋ねると、主様はおかしそうに笑った。爬虫類なのに、表情があるあたり、主様の主様たるゆえんだろう。
「わしはなぁ、坊。一つじゃないのさ」
「だから、嬢だって。ひとつじゃないって、体が?」
何度訂正しても決して直そうとしない主様と根競べのようなやり取りは、もう数年続いていたりする。
どうでもいいけど。
でも自分から折れる気もさらさらないけどねっ!
「そうじゃそうじゃ。坊は賢いのぅ」
「嬢だってば。そっか、だからあちこちからいろんなもの集められるんだ」
「その通り」
実は、主様とのこういうやり取りは、嫌いじゃなかったりする。
気安くて、なんでも話せてしまう感じがして、ちょっとくらい乱暴なことを言っても許してくれるって知っていて、そんな主様に甘えてるなって自覚もある。
「おお、そうじゃ。坊に、これもやろう」
だから、上機嫌な主様がそんなことを言った時も、さして警戒していなかった。
油断した。不覚にも。
主様の大きな口からぺっ、と再び吐き出されたものをみて、ずいぶんでかいな、と思った私は次いで絶叫した。
「ぎゃぁぁぁっ!? 主様っ、なんつーもんを食べてんのぉっ!?」
「くっとらんわっ!」
「食べ残しなんていらないっ!」
「くっとらんというておろうにっ! ちゃんと生きとるわっ!」
泥だらけのそれは、鎧みたいなものをまとった、大柄な男性だった。
「生きているって、こんな生もの貰っても、どうしろっつーのよ!?」
「ま、何とかなるじゃろ。任せた」
「任せんな、まて、こら、ボケ両性類ジジィッ!」
私の絶叫むなしく、主様は腹の立つ笑いを残して、沼の中に沈んでいった。
あまりの腹立たしさに喚きつつ、意識はないものの呼吸はしっかりしている泥だらけの男性を一人で運ぶのは無理と判断して、応援(男衆)を呼びに行く。
結局、父と兄と弟と私の4人がかりで、無事、意識不明の男性を回収することに成功した。
意識を取り戻した男性とは意思疎通ができず、いろいろと擦れ違いや誤解が起きたけど、何とかこちらになじんでもらえるように努力したとも。
何とか意思疎通ができるようになった末に、男性が元いた場所に帰りたがっているのに気付いた私が、主様に「返してきなさいっ!」と怒鳴り込むのも、割とすぐだった。