さ:砂漠の華
風が吹き、砂が舞い上がる。
見渡す限り砂の海が広がり、自分がどこに立っているのかも、どこへ向かっているのかさえ、わからなくなってくる。
頼りになるのは、常に変わらず夜空を照らす星々。
音のない海のように、ゆっくりと風に飛ばされ、形を変える砂漠。
月の柔らかな優しい光に照らされて、それはとても幻想的な光景を生み出していた。
「騒がしい夜だ」
不意に響いてきた声は、どこか楽しげで。
この声を聞くと、沙紗はいつも深い安堵と、落ち着かなさを感じてしまう。
「とても静かな夜です」
彼と旅をするようになって、約1年。
沙紗は多くのことを学んだ。
思ったこと、感じたこと。それを言葉に出しても良いのだということもこの旅で知ったことのひとつ。
「耳を澄ませてごらん。君にも聞こえるはずだ」
いつも沙紗に出来ること以上のことを要求する彼。
それでも、いつもそれは確かに出来たから、彼は、自分以上に沙紗のことを知っているのだろう。
出来るかも知れないことに、わずかな怯えと、期待が混じる。
言われるままに耳を澄ませても、聞こえてくるのは小さな風の音と、砂が流れるかすかな音だけ。
彼が聞いている音を聞きたいとどんなに願ってみても、聞こえてくるのは、とても騒がしいとはいえない、小さな音ばかり。
少しでもいい。
彼と同じ音を聞いてみたい。
「なにが聞こえているのですか」
「気の早い宴だよ」
砂が舞う。
風に飛ばされた砂が、いくつもいくつも舞い上がる。
まるで、輪舞のように。
月が、星が、大地が。
「・・・うた?」
かすかに聞こえていた風の音が、砂の音が、その調子が変わった。静けさを際立たせるような、静寂の中の音ではなく、たくさんの音の中でその音色を響かせようとするように、はっきりとしたリズムを刻みだす。
沙紗は目を閉じて耳を澄ませる。
足音。
手拍子。
笑い声。
「お祭り・・・」
「そうだよ。君のためのお祭りだ」
目を開けると、めったに見れない、彼の笑顔。
「歌って、沙紗」
彼の言葉のままに、沙紗は再び目を閉じ、深く息を吸い込んで、聞こえるリズムに合わせて声を出した。
風が、砂が、舞う。
歌詞などない、ただの声。
リズムに合わせていただけの声に、次第に、歌詞が生まれてくる。
ああ、と沙紗は歌いながら気がついた。
この場にいる、目に見えないたくさんの何か。
彼らは喜んでいた。そして、歓迎していた。
彼らが何かを語りかけてくる、そのひとつひとつは意味のある言葉ではないけれど。
その想いは、沙紗の歌詞となって沙紗に伝わる。
彼らは確かに歓喜していた。
歌い終わっても、沙紗は深い感動に包まれて、動き難かった。
じっと聞こえてくるいろいろな音に身を任せていると、そっと手に触れる、暖かな感触。
目を開けると、うれしそうに、幸せそうに微笑む彼。
「やっぱり、沙紗にも聞こえたね」
いろんな嬉しいが伝わってきて、沙紗もなんだか嬉しくて、気持ちがふわふわしている。
「沙紗、ここで一緒に暮らそう」
「・・・・・・ここで?」
どこかぼんやりとした頭で、砂漠で暮らすことは出来るのだろうか、と不思議に思う。
「周りを見てごらん」
促されて周囲を見渡して、沙紗は驚きで息を呑んだ。
月明かりに照らされ、青白く反射していた砂は、どこにもなくて。
生い茂る緑。
乾燥していた空気さえ、しっとりとしたものに変わっていて。
「きっと、君もここが気に入ると思う」
だから、一緒に暮らそう。
彼の言葉を聴きながら、沙紗は小さく笑顔を浮かべ、改めて差し出された手を、沙紗は迷いなく取った。
あたりは、沢山の祝福に包まれる。
死の砂漠と呼ばれるシルサ砂漠。そこに突如として現れたオアシス。
砂漠の民は、畏敬の念を込めてこのオアシスを「砂漠の華」と名づけた。
滾々と湧き出る奇跡の泉と緑は、旅人に惜しみなく恩恵を与える。
しかし、泉の奥にある森には決して立ち入ることが出来ない、不思議なオアシス。
時折、森から美しい歌声が聞こえると、オアシス全体が喜びに震えるという。