こ:幸運①
少し長くなったので、2話に分けました。
貧しい少女がいた。
その体は痩せ細り、ぼさぼさの頭に、ぎょろりとした大きくくぼんだ瞳。
少女は貧民街の子供たちの中で、姉のような位置にいた。
より小さな子の世話をし、手に入れたわずかな食料はいつも皆と分け合い、互いに寄り添い温めあって眠っていた。
そんな少女の前に差し出された、幸運。
一つは、貧民街の子供たち全員へ与えられる小さな幸運。
一つは、少女だけに与えられる大きな幸運。
二つの幸運から、一つだけを与えるというその言葉に、少女は迷わず一つの幸運を選んだ。
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「少女は、どちらの幸運を選んだんだい?」
暖かな暖炉の前。
柔らかな絨毯を敷き、いくつものクッションを並べ、その中に体を横たえていたルータスは、アンバーの話に興味をそそられたのか、少し身を起こすようにして問いかけてきた。
普段、人の話をきいているのかいないのかわからないような聞き手の興味を引けたことに、アンバーは内心喜びながら、わざと間をおくようにゆっくりと手にした酒をあおる。
その間、ルータスはじっと話し手であるアンバーをその薄い紅色の瞳に映している。
「・・・少女は自分の幸運を選んだよ。彼女はいわば、貧民街の子供たちにとって、親のような立場にいたんだがな。やはり誰しも、他人とわが身では、比べるまでもないようだ」
少女は、アンバーの提案を、一瞬たりとも迷わずに即答した。
「彼女の答えを聞いた後、やはり、と思いながら、私はいくらか落胆したんだ。私は彼女がいかに自分よりも幼い子供を守っていたか、見ていたから」
少女は本当に子供たちを、仲間たちを大切にしているように見えた。だからこそ、気まぐれに幸運を与えてみようとも思ったのだが。
「私自身、そういう状況になったことがないからなんとも言えないが、おそらく人というものは、究極の状況では、やはり自分の身がかわいいものなのだろうな」
つい口調に自嘲が混じるのを感じて、手にした酒をすべてのどに流し込む。
ルータスはゆっくりと瞬きをすると、鏡のような銀髪を小さく揺らして首をかしげた。
「アンバー、君はいくつか大切な部分を飛ばしている。そもそも、君はなんと言って彼女に二つの幸運を示したんだい?」
暖炉の炎を受けてゆれる薄紅の瞳にまだ注目されていることに心地よさを感じながら、アンバーは空になったグラスに酒を足し、ルータスのグラスにも注いでやる。
「君に一つだけ幸運を与えよう。貧民街の子供たち全員にいきわたるだけの食料か、君だけに金貨を一枚与えるか。好きな方を選ぶといい」
自分が少女に告げた言葉を、そのままルータスに向けて口にすると、ルータスはゆっくりと二回瞬きをした。
「・・・それで、彼女は金貨を選んだわけか」
「正確には、銀貨で欲しいといわれた」
栄養が足りずに、枯れ枝のようになった腕を差し出して要求した、落ち窪んでいるのにギョロリと大きな瞳を思い出しながら、付け足す。
「それから?」
「それから? これでおしまいさ。彼女は銀貨を両手に握って去ったよ」
金貨一枚分の銀貨を手にすると、丁寧に礼を述べて去って行った彼女の後ろ姿を思い出す。うれしそうに駆けていった姿を思い出し、うんざりする。
「つまり? 君は彼女に金貨・・・銀貨を与えて、彼女がその後どうするかを見ずに、ただ、みんなが満腹になることを選ばなかったことにがっかりしているというわけか?」
「別に、がっかりなどしていないさ。ただ、人というものは、そういうものだと言っただけだ」
ルータスの言葉にあきれたような響きを感じて、ついむきになって言い返すと、ルータスは困ったような目をして、小さく息をついた。
「・・・アンバー。君は、本当に、バカな男だな」
一言一言強調するように、はっきりと発音されて、むっとして黙り込む。
ほんの一年ばかり年上のこの薄紅色の瞳を持つ幼馴染は、時折ひどく気に障ることを言ってくる。
かといって、口げんかになると、勝てたためしがないから黙り込むしかない。
そんなアンバーを、おろかな子供を見るような、哀れみといとしさが入り混じったような目で見てくるルータスに、手の中のグラスが軋みをあげた。
「その選択は、その後の彼女がどうするか、どうなるか。そこが一番重要なんじゃないか。最後まで見届けずに途中で早々に見切りをつけてしまうのは、君の悪い癖だよ」
「言っておくが、子供たち約30人全員に満足のいくような食事を与えようと思えば、金貨一枚ではとても足りないぞ」
物価については、少なくともこの幼馴染よりも詳しい自信がある。にらむようにして言えば、ルータスは困ったように苦笑を浮かべる。
「君が言う満足のいく食事というものは、どういうものなんだろうね? 私なら、銀貨一枚あれば、30人の子供たちを一月養える」
反論しようと口を開く前に、片手で制される。
「見てみようじゃないか。彼女が今、何をしているのか」
ゆっくりとクッションから身体を起こすと、ルータスは何気なく左手を振る。
次の瞬間には、元からそこにあったかのように両腕に抱えるほどの鏡が出現する。
「・・・相変わらず、見事なものだな」
音もなく、呪文もなく、ましてや精神統一すらなく。
これほど自然に呼吸をするように力を振るうことは出来るのは、アンバーの知る限り、この幼馴染しかいない。
いくらからの悔しさをこめた賞賛の言葉に、ルータスは小さく肩をすくめて見せる。
「私と君の力の質がまったく違うんだと、何度言ったら納得してくれるのかな?」
本当に君は強情だ。
すでにふてくされたように視線をはずしてそっぽを向いてしまっているアンバーに、ルータスは声なき声で言う。
アンバーがルータスに対して敵愾心を持っていることは、ずいぶん前から知っている。とはいえ、そもそも二人の力はその方向性も及ぼす影響もまったく違うものなのだから、比べてもまったく意味がないというのに。
しかし、このように何かにつけてルータスをかまいたがるアンバーだからこそ、こうして話していても気負うことなく、自然体でいられるのも事実だ。
そんなことを考えながら、ルータスは鏡に見たい映像を結ばせた。