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き:きっかけ

 

 我が家には、3人の侍女がいる。

 1人は先々代の当主に仕え、そのままその子供たち、孫たちに仕えている生き字引、エイラ。もう1人は、エイラの娘で先代当主に仕え、そのままその子供たちに仕えている、シュリア。そして最後の1人は、先代当主に雇い入れられ、その親や子供たちに仕えているミサワ。

 ミサワはある日突然やってきて、うちで働きたいと頭を下げてきたという。

 がりがりに痩せ、真っ黒なぼろぼろの服。

 紹介状もなく、身元不明なものを家に入れるわけにはいかず、先代当主は家人に命じてわずかばかりの金を持たせて断ろうとした。

 すると彼女は、お金が欲しいのではないのです、と首を振った。

 お金は要りません。どうか、受けた恩を返させて欲しいのです、と。

 その話に興味を持った先代当主は、彼女と直接会って話してみることにした。

 どんな話をしたのかは、わからないが、その日から、ミサワは我が家の三人目の侍女になった。


「お疲れ様でした、ディレアライさま」

 優しい笑顔を浮かべながら、ミサワが良く冷えた茶を出してくる。

「ああ、やっと終わったよ」

 先代当主の引退表明から、新当主の引継ぎ、お披露目や挨拶周りなど、ここ数日目が回るような忙しさだったが、それも今日で全て落ち着いた。

 6人いる兄弟姉妹のうち、新当主として跡を継いだのは、3男のディレアライだった。

 兄2人のうち、1人は一生気ままに旅をする、といって家を飛び出したっきり戻ってこない。もう1人はあまり見栄えのしない未亡人と恋に落ち、彼女の夫が残した領地を2人で治めるべく、出て行ってしまった。

 本当は、ディレアライも当主になる気はなかった。

 弟が2人もいるし、気の強い妹もいる。その誰かが跡を継げばいいと思っていた。

 それでも跡を継いだのは、ミサワの存在が大きかった。


 物心ついたときからいるミサワは、雇われるまでの経緯はよく先代当主である父から聞いていたが、肝心の受けた恩というのがどんなものなのか、この家に来る前はどこにいたのか、そういった話はどんなにせがんでも父もミサワも教えてはくれなかった。

「ご当主さまにしか、お教えできないんです」

 6人でせめたてると、ミサワは楽しそうにそういって笑った。


 当主になれば、ミサワがどうして我が家にやってきたのか知ることができる。

 それを楽しみに、この数日の煩雑な手続きにも耐えた。

「これで、晴れて私が当主だ。今日こそは教えてもらうぞ?」

 ソファにゆったりと座って茶に口をつける。よく冷えていて、飲んだ後にわずかに甘みが残る。ディレアライお気に入りのミサワの特製ブレンドだ。

「ええ。お知りになりたいことを何なりとお聞きくださいませ」

 茶目っけたっぷりの笑顔でいうと、ミサワも笑いながらもう一杯お茶を入れてくれる。

「ミサワは、どうして我が家で働きたかったんだ?」

「恩返しをしたくて。私にできることなど、限られておりますから」

 本当に何でも答えてくれる気らしく、ミサワはソファのそばにつつましく立っていた。向かいのソファと茶を勧めると、素直にそれを受け入れてくれる。これは、ディレアライが正式に当主を継ぐまで、決してなかったことのひとつだ。

「恩返しって、どんな恩を誰から受けたの?」

 一番聞きたいことは後回しにして、ほかの知りたいことから聞いていくことにした。ミサワは上品にお茶を一口飲むと、覚えていませんか? と逆に尋ねてきた。

「まだ、ディレアライさまは幼くていらっしゃいましたからね」

 ミサワは柔らかい微笑を浮かべた。

「私は、ユリィデュレイさまとエイラさま、それにディレアライさま。お三方に命を、命よりも大切なものを救っていただいたのです」

 上の兄とエイラ、それに自分の名前が出てきて、ディレアライは驚いて身を乗り出した。

「私が? ユリィと出かけていたとき?」

 上の兄とは年が10近く離れている。二人で行動することはほとんどなかったのだが、記憶にあるそのどれにも、ミサワらしい姿はない

「もう、12年も前のことになりますから、ディレアライさまは6つですね。私は、12歳でした」

 

 柔らかな雪の降る夜。

 寒さに凍え、身を寄せ合う子供たちに配られた毛布と暖かなスープ。

 そして、一粒の小さな飴。


「ユリィデュレイさまの成人のお祝いと、ディレアライさまの6つのお祝いに行われた慈善活動の中に、私と双子の妹がいたんです。私はどうしても妹に甘いものを食べさせてあげたかった。どんなものでも良かったんです。私がお願いすると、ディレアライさまは私に飴をくださいました」

「それで?」

「それが、私が皆さまから受けた恩です」

「……え、それだけ?」

 思わず驚きの声を上げてしまう。

 ミサワが我が家で働くようになってから、父母がミサワに頭を下げて感謝するような事態が何度もあった。

 そのひとつが妹の誘拐事件。

 一人娘が誘拐され、家中が大騒ぎになるなか、ミサワは冷静に対応し警察と連携して見事に誘拐犯から妹を奪還した。その際に犯人に切られて負った傷は、いまだにその腕にあることを知っている。

 本当に、誠心誠意仕えてくれる有能な侍女。

 だからこそ、彼女が受けた恩というものが、どれほど大きなものなのかと思っていたのだが。

 それを言うと、ミサワは真面目な顔で大きく頷いた。

「そうですね、傍から見れば、たいしたことではないのかもしれません。慈善活動に参加していた貴人が、乞われたことを果たしたというだけのことかもしれません」

 まっすぐにディレアライを見つめる、ミサワ。

「それでも、私は本当に、うれしかった。あなたからいただいた甘味は、私がどうしても欲しくて、どうしても手に入れられなかったものでしたから」


 病を患い、医者に診せることもできず。

命の灯火が消えようとしている妹が望んだ甘いもの。

 どんなことをしてでも、命に変えても手に入れたいと切望したものを、笑顔で与えてくれた小さな手。

 口の中に飴を入れてあげたときの、妹の、笑顔。


「妹はその後すぐに亡くなりました。それでも、最後にその願いをかなえてやることが、笑顔で逝かせてあげることができた」

 だから、私はその小さな手に受けた恩を返すと決めた。

「幸いにも、先代さまは私を侍女として雇い入れてくださいましたから、お側でお仕えすることができました」

 穏やかな笑顔を浮かべるミサワに、ディレアライはそのときのことを思い出すことができない自分に失望した。

 我が家の誰よりも早く、ミサワにあっていたのは自分のはずなのに。

「……それじゃ、ミサワはいつまで家で働いてくれるんだい?」

 ディレアライは一番気になっていることを、ようやくの思いで口にする。

 子供のころから気になっていた。ミサワはどこから来て、どこへ行ってしまうのか。それはいつなのか。

 古くからいる使用人たち以外は、大体2,3年で前触れなく入れ替わる。

 当主になれば、次の日突然見知った使用人がいなくなるということがない、というのも当主になってもよいとおもった理由のひとつだ。主の許可なく、使用人はやめることができないから。

 それでも話を聞いた今、たった一粒の飴に対する恩を、この12年で何倍以上にして返してくれているミサワに対して当主としてなにができるだろうか、と考える。


 先々代から仕えてくれているエイラの家族には、敷地内に家を与え、その子供たちの教育から仕事まで世話をしている。

 ミサワにもそうしようとして、先代当主が丁重に断られたときいている。


「何か、望みはないだろうか。先代とミサワの雇用契約書を見たが、本当に最低限のものしか受け取っていないね? 私は、これからも家で働いて欲しいと思っているんだ。だから、何か希望があればいってほしい」

 真剣に向き合って言うと、ミサワは驚いたような顔をした後、本当にうれしそうに微笑んだ。

「ディレアライさまは、いつもミサワが欲しい言葉をくださいますね」

「どんな希望でも言ってほしい。私にできる範囲でかなえたいとおもっているから」

 やはりなにか希望があるのかと身を乗り出すと、ミサワはついに声を上げて笑った。

「そういうところは、本当に先代さまによく似ていらっしゃいますね。それでは、ひとつだけ」

 お茶を置いて、背筋を正すミサワに、ディレアライも父に似ているといわれた不満はさておき、居住まいを正した。


「良き当主、良き領主におなりくださいませ」

 ミサワはお側でずっと見守らせていただきますから。

 ディレアライはしっかりと頷いてみせた。

 

 そして数十年後。

 ミサワはディレアライとその妻、子供たちに看取られ、小さな墓標が屋敷の敷地内に作られた。

 そこには、ミサワと我が家を結びつけた小さな飴が供えられている。



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