平成男、現代を憂う
やれ退職代行だの、やれ退職RTAだの。
SNSを開けば「残業キャンセル界隈」なんてハッシュタグが流れてくる。
出社から三時間でバックレた奴が“時代の象徴”みたいな扱いを受けてる。
まったく、ふざけてやがる。
破和原巳、三十五歳。
都内中小企業で課長を務める。肩書きだけはそれっぽいが、実態はクッション材。
上には昭和の化石みたいな部長、下には「メンタル優先」の新人たち。
板挟みで潰れるのが早いか、胃に穴が開くのが早いか、毎日競争だ。
今日も昼休みの食堂で、部下たちがざわついていた。
「パワーさん(※)、聞きました? 今年の新人、やばいらしいっすよ」
※・・・破和原巳のあだ名
「やばいって、どんな?」
「面接で“リモート勤務、週四まで増やせますか”って言ったらしいです。入社前から交渉っすよ」
「交渉……? いや、交渉じゃなくて要求だろ、それ」
破和原は味噌汁をすすりながら、箸を止めた。
彼の頭には、かつての新人研修の光景が浮かんでいた。
“今すぐ土下座して謝れ!”
“寝る時間があるなら勉強しろ!”
そんな罵声が日常だった。
それでも辞める奴は少なかったし、残った奴は確実に強くなった。
だが令和は違う。怒鳴ればパワハラ、叱ればモラハラ、黙れば放置。
何をしても誰かが不快になる時代。
「管理職ってのは“空気清浄機”じゃねぇんだぞ」と言いたくなる。
午後、噂の新人がやってきた。
身長は170前後、細身。
黒のリュックを背負い、真っ白なスニーカー。
シャツの袖をまくり、ネクタイはしていない。
「おはようございます! 本日からお世話になります、七篠カイト(ななしの・かいと)です!」
声は通る。笑顔も悪くない。
だが、なにかが引っかかる。
破和原は第一印象で人を決めるタイプではないが、“違和感”は生理的にわかる。
立ち姿が落ち着かない。
視線が泳ぐ。
机の前で一度、スマホを取り出して、何かをチェックした。
……スケジュールアプリ? それともSNSか。
隣の席のベテラン社員が小声でつぶやいた。
「スニーカー通勤、いい時代になったもんだな……」
もう一人がぼそっと返す。
「昭和部長が見たら即死刑っすね」
笑いが広がるが、どこかピリついた空気も混じる。
夕方。初日の定時が近づいたころ、破和原が声をかけた。
「七篠、今日の仕事はここまででいい。慣れないうちは早めに切り上げろ」
「はい!ありがとうございます!」
「あと、今日は歓迎会がある。軽く飲みながら話そう」
七篠は一瞬、笑顔を消した。
「……すみません。飲み会って“仕事”ですよね?」
「まぁ、半分はな。顔合わせみたいなもんだ」
「任意ですか?選べるなら帰ります。勉強したいので」
空気が、止まった。
コピー機の音だけが、やけに響く。
隣の島の若手が小声で「うわ、言っちゃった」とつぶやく。
誰も笑わない。
七篠は軽く会釈して、颯爽と帰っていった。
残った破和原たちは、誰も口を開かなかった。
言葉にすれば愚痴になる。黙れば時代遅れ扱いされる。
何が正しいのか、もう誰にもわからない。
夜。
破和原は家に帰らず、駅前の立ち飲み屋にいた。
仕事帰りのサラリーマンたちが、愚痴を肴に缶チューハイを流し込んでいる。
彼もその一人になった。
「……勉強ねぇ」
口の中で転がしながら、苦笑した。
悪いことじゃない。
だが“人付き合いを避けて、何を学ぶんだろう”という疑問が残る。
彼は社用スマホを取り出し、七篠の入社書類を見返した。
趣味:自己啓発、プログラミング、動画編集。
「勉強」って、つまり“自分の世界”を広げたいってことか。
それは理解できる。
だが、職場は個の集まりじゃなく、群れの集合体だ。
個性を磨くのも大事だが、合わせる技術を捨てたら終わりだ。
缶ビールを空けて、ため息をついた。
「明日からどうするか……」
叱るのは簡単だ。
だが今の時代、“叱り方の理由”まで説明しなければ伝わらない。
隣の席の男が言った。
「上司ってさ、今が一番かわいそうなポジションだよな」
破和原は笑ってうなずいた。
(だよな。でも、それでも現場は回さなきゃならん)
窓の外、街のネオンがぼやけて見えた。
令和の夜風は、思ったより冷たかった。




