第三章:兄とプロ、ふたりの距離
控室の空気は、リハーサル後の熱気と汗と、そして言葉にできない緊張感で満ちていた。
未来翔は壁際に立ち、タブレットを手にしながら、美咲の歌唱とダンスの映像を何度も再確認していた。
――確かに上手い。だが、完成されてはいない。荒削りで、まだまだ伸びしろのある原石。
「でも、それがいい」
プロデューサーとしての目が、自然とそう告げていた。完璧な素材など存在しない。育てて、引き出して、初めて“伝説”が生まれる。
そのとき、背後から声がした。
「未来翔くん……兄としてじゃなくて、プロデューサーとして見てくれる?」
未来翔は驚いて振り返ると、美咲がペットボトルを両手で握りしめながら、少しだけ伏し目がちに立っていた。汗が頬を伝い、髪が額にはりついている。
「……そう、言ってほしかったのか?」
「ううん、言ってほしかったわけじゃない。ただ、兄さんの目がいつも優しすぎて……プロの目で見てもらわなきゃ、私、ここで勝てないから」
美咲の声は震えていた。でも、目は揺れていなかった。
未来翔は静かに歩み寄り、距離を詰めた。そして真っ直ぐに見つめる。
「俺は、プロとして君を評価してる。でも……どんなにプロでいようとしても、心配はするよ。君は、俺の――大事な妹だから」
その言葉に、美咲の目がふっと緩んだ。
「……ずるいなぁ、そういうところ」
小さく笑って、美咲は肩の力を抜いた。彼女の笑顔は、ほんのわずかに幼さを残しながらも、どこか大人びていた。
未来翔はタブレットを閉じ、ポンと美咲の頭に手を置いた。
「じゃあ、プロとしてアドバイスする。明日の立ち位置、サビ前に半拍だけ重心が遅れてる。そこが決まれば、もっと君の“存在感”が光る」
「……了解、プロデューサー」
そう言って、美咲は立ち上がった。
ふたりの距離は、兄妹という甘えの距離から、夢を背負う者同士の距離へと、確かに一歩近づいていた。