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第二話:願いのポーションと壊れたオルゴール

「願いが、叶うポーションがあるって……本当ですか?」


そう尋ねた私に、受付にいた異形の店主は、ぬるりと揺れる影のような身体でこちらを向いた。


「本当、だ。……だが、それは“たった一度きり”の、奇跡。戻すことも、やり直すことも……できない」


その声は人のそれとは少し違っていて、どこか金属のような響きと、異様に伸びる語尾が混じっていた。だけど、不思議と心に刺さらない。怖いとも思わなかった。ただ、重たい響きだった。


「それでも、飲む?」


横から顔を出したのは、売り子の少女だった。あどけない笑顔を浮かべているけれど、どこか寂しげな目をしていた。けれど声は明るくて、少し安心する。


「ねえ、あなたの願いが叶っても、その先に進めなくなった人を、私は見たことがあります。だけど……願いが叶ったからこそ、一歩踏み出せた人も、いたんです」


その言葉に、私は黙って頷いた。


私の願いは、たった一つ。


――もう一度だけ、弟と話したい。



半年前、弟は事故で亡くなった。ほんの些細なことがきっかけだった。私が勉強を終えて夜遅くに帰ってくると、彼の部屋のオルゴールが鳴り響いていた。


あの曲が大嫌いだった。母が遺してくれた曲。家族みんなで聴いていた曲。


でも、母が亡くなったあの日から、私はあの音を拒絶するようになっていた。


「うるさいって言ってるでしょ!」


私は叫んで、オルゴールを弟の手からひったくり、床に叩きつけた。中のゼンマイが弾けて、二度と音を鳴らさなくなった。弟はそれを拾い上げて、黙って出て行った。


――そのまま、帰ってこなかった。


それが、私たちの最後の会話だった。



少女が奥の棚から取り出した小瓶は、透き通るような水色をしていた。瓶の口に小さな銀色の鈴がついていて、動かすたびにオルゴールのような音が、かすかに鳴る。


「これは“願いのポーション”です。飲んだ人の心にある、最も強い“ひとつの願い”を、叶えてくれます」


「代償は?」


「叶ったあとに、あなたが知ることになります。でも……きっと、あなたなら、大丈夫」


私は少しだけ笑って、小瓶を手に取った。


店内に漂う甘い香りと、ほんの少しだけ焦げたような匂い。それがなぜか、懐かしかった。母の焼いた和菓子の匂いを思い出した。


一息に、飲み干した。



目を開けると、私は白い草原に立っていた。春の匂いがする。遠くで風に揺れる桜の花びらのようなものが舞っていて、現実とは思えないほど静かだった。


「……姉ちゃん?」


振り返ると、そこに弟がいた。


あの時と同じ、くしゃっとした寝ぐせのついた髪。少し背が伸びたような気がしたけど、目の奥にある不安げな光は、あの頃のままだった。


「ごめん。あのとき、ちゃんと謝れなかった」


「私こそ……ごめん。私があんな言い方しなきゃ、あんなことには……」


互いの言葉が重なって、私は気づいたら泣いていた。声も出せないほど涙が溢れて、弟の肩に顔をうずめていた。


伝えたいことは、たくさんあった。言えなかった言葉も、聞きたかった言葉も、すべて、伝わっていた気がした。


やがて弟は笑って、「また、どこかで」と言い、風に溶けるように消えていった。



気づくと、百彩堂の店内に戻っていた。


手元には、壊れたはずのオルゴールがあった。蓋を開けても音は鳴らない。だけど、確かにあの場所で――私は、弟と話したのだ。


「これは、ありがとうの気持ちです」


少女が差し出したのは、桜の形をした小さな練り切りだった。見た目も香りも、母のつくってくれた和菓子にそっくりだった。


「……あなた、」


私は思わず言いかけたが、少女は微笑んだまま首を横に振った。


「大丈夫。お名前は、聞きませんから。私も、今の名前しか覚えてませんし」


どこか寂しげに笑う少女の後ろで、店主がうねる影のように身体を揺らしながら、受付の帳簿に何かを書いていた。


私は店を出る前に、もう一度だけ振り返った。


その時、店主が少女の髪にそっと触れ、指の先で撫でていたのが見えた。


化け物のような姿なのに、その仕草はとても静かで、優しかった。


あれは――親が子に触れるときの、あの優しさだった。



帰り道、私はオルゴールの蓋を開いた。音は鳴らなかった。だけど、風の音に紛れて、どこかで微かに、あのメロディが聴こえた気がした。


きっとこれは、幻だ。ポーションの後遺症かもしれない。


でも、私は前を向けた。もう、弟を憎んでいない。あの最期の言葉を、ちゃんと聞けたから。


それで、よかった。


そう、思えるようになったから。



この店には、秘密がある。ポーションの力だけじゃない。

きっと、もっと深くて、大きな――悲しみと、優しさの秘密が。


それがいつか明かされたとき、この場所にも終わりが来るのだろう。

でも私は、きっと忘れない。


あの草原と、彼の笑顔と、オルゴールの音色を。


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