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第一話:記憶のポーションと金色の桜

桜が終わる頃、僕は通りの外れで道に迷った。


春の風は、もう新緑の気配を含んでいた。

けれど、細い路地を抜けた先に現れたその場所には、金色の桜が一樹だけ、夢のように咲いていた。


あれは本当に桜だったのか。

それとも、何か別の、もっと不思議な何かだったのか。


目の前に立っていたのは、一軒の小さな店だった。

古びた看板には、手書きの筆文字でこう書かれていた。


百彩堂ひゃくさいどう

ポーションと、ちょっぴり和菓子。——


扉の前に立ったとき、胸の奥がひどくざわついた。

初めて来た場所のはずなのに、懐かしいような、悲しいような、不思議な気持ちだった。


カラン、と鈴の音が鳴る。


中に入ると、そこは色とりどりの光に満ちた不思議な空間だった。

棚の上には、宝石のようなポーションの瓶がぎっしりと並んでいる。赤、青、琥珀、翡翠、金、銀……見たこともないような色が、光を受けてゆらゆらと輝いていた。


「いらっしゃいませーっ!」


カウンターの奥から、元気な声が響いた。

明るい笑顔の少女が、くるくると回ってこちらにやってくる。


「こんにちはっ。ようこそ、百彩堂へ! 私の名前はキュアだよ!ポーションのことでも、和菓子のことでも、なんでも聞いてね!」


少女は十代半ばくらいに見えた。明るく人懐っこい笑顔が印象的で、けれどその瞳には、どこか静かな深さがあった。


「……初めてなんだけど、この店は……」


「ふふ。みんな最初はそう言うよ。ここ、ちょっとだけ不思議な場所だからね」


「……不思議、か。……俺、母のことを、思い出したくて来たんだ。最後に会った日のこと、忘れちゃってて……」


言いながら、自分でもなぜそんなことを口にしたのか、わからなかった。

少女は少しだけ目を見開いて、それから、微笑んだ。


「うん、大丈夫。……きっと、ここで見つかるよ。あなたの大切な記憶」


少女はカウンターの奥をちらりと見やった。そこには、もう一人の店員がいた。


巨大な体躯。人間とは思えない異形の存在。

仮面のような顔、揺らめくような影、そして——声。


「……キ……オ、オマエ…… 記憶ノ……ポーション、カ。」


聞いた瞬間、身体がぞくりとした。

店主は、人ではない何かだった。言葉の抑揚も奇妙で、声色も、音と呼ぶよりは響きに近い。


けれど不思議と、怖いとは思わなかった。


「店主さんが作るポーションは、ね、本当にすごいんだよ」

少女——キュアはそう言って笑った。


店主は奥からひとつの瓶を取り出して、そっとカウンターに置いた。

薄い金色の液体。瓶の中に小さな花びらが一枚、舞うように沈んでいる。


「記憶ヲ、探ス。失ワレタ心ノ、カケラ……ヲ。」


それは、記憶のポーションだった。


「これを飲めば、本当に……?」


「うん。でも、ひとつだけ注意してね」


キュアは少しだけ真剣な表情になって言った。


「思い出すことが、必ずしも幸せとは限らないんだよ」


そう言われて、しばらく迷った。

けれど、どうしても思い出したかった。

母と、最後に何を話したのか。なぜ自分は、あの日の記憶をなくしたのか——。


——ポーションは、ほんの少し甘くて、どこか懐かしい味がした。


目を閉じたとたん、景色が反転するように記憶が押し寄せた。

幼い自分。病室の匂い。母の細い指。

「ごめんね、ひとりにしてしまって……」

泣きながら微笑む母の声が、胸の奥で温かく響いた。


涙が、止まらなかった。


ふと目を開けると、キュアがそっとハンカチを差し出していた。

黙って受け取り、ありがとうと呟く。


「……ちゃんと、思い出せたんだね」


「……ああ、あの時、母は……笑ってたんだ。俺を悲しませないように。……ずっと、責めてたんだ、自分を。でも、本当は……」


ポーションの余韻はまだ胸に残っていた。

静かな幸福と、やさしい痛み。

今まで消えていたピースが、やっと戻ってきた気がした。


「なあ、キュアさん」


「うん?」


「君は、なんでここで働いてるんだ?」


彼女は一瞬だけ言葉に詰まり、それから少しだけ目を伏せて笑った。


「うーん……それは、わたしにもまだよくわかんないの。……でも、ここが、わたしの居場所だから」


それはどこか、切ない笑顔だった。


——店を出ると、あの金色の桜が風に揺れていた。

春が、もうすぐ終わる。

けれど、胸の奥には、ちゃんと戻ってきた記憶の花が咲いていた。                

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