ヘビイチゴ
「5月の満月をストロベリームーンという」
なにで見たのだったか、そんなことを思い出した。
苺に似ているからでもなく、ただ現れた月で名前が変わるのだったか。
ふと見上げた空に、満月が浮かぶ。
月といえば、夏目漱石だろう。
I love you.を翻訳し、日本人らしさを表現した。
学んで以来、月を見て月が綺麗とは言いづらくなってしまった。
愛の言葉ではなく、純粋に綺麗と思う言葉を口にするのが気恥ずかしくなって。
果たして夏目漱石は、いつの月を思い浮かべたのだろうか。
そんな、哲学的なことを考え、都会の街をぽてぽてと歩く。
休みの日に、家族サービスをしなくなったのはいつからだろう。
家族サービスという言葉が適切かはわからないが。
子供たちは思い思いに学校の友達と遊びにでかけ、妻は趣味の手芸サークル。
そして、自分は…。
メタボ対策と言い訳しながら、目的なく歩くなか、見慣れないお店が目に入る。
あんなところに、お店があっただろうか。
普段考え事をしながら歩くから、気付かなかったのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
にこにこと人懐こそうに声をかけられた。
「あ、いえ、見ていただけで…」
ぽーっと眺めていただけなのに、なんだか照れ臭くなる。
「ご覧になるだけでも、どうぞ」
店内に誘導され、ふらふらとついていってしまう。
たまには、手土産でも買って帰るか。
「どんなものをおさがしですか?」
「あ、いえ、特に欲しいものがあるわけでは。強いていうなら、妻になにか買って帰ろうかと…」
なぜこんなにも、焦ってしまうのだろう。
自分の子供に程近いくらいの若者相手に、雰囲気に飲み込まれる気がした。
「さきほど、月を眺めていらしたのが見えたので。こちらなんか如何でしょう?」
差し出されたのは、小さな小さな黄色い花。下手すれば、花屋にあるのが可笑しく思えるくらいの。
「…これは?」
「いわゆる、ヘビイチゴです。売り物ではないんですけどね。」
なるほど、見たことあると思ったわけだ。
「売り物ではない、というのはどういうことでしょうか。」
「実はですね、この店の裏側が小さな庭になってまして。そこで採ったものです。」
食えない笑みのまま話し続けられた。
「なんとなく、お似合いだと思ったものですから」
言葉尻だけ捉えたら、馬鹿にされてるようにも感じるが、なんだか目の前の青年にはそんな風には感じなかった。
「似合う、とは…」
なんともおうむ返しばかり。気の効いたことが言えないものだ。
「尊重、とか。愛情、とか。そんな意味を持つんです。
目に見えるものだけが全てじゃない、とでもいいましょうか。」
青年が、知る筈もないのだ。自分のことなど。
だのに、しっくりきてしまう。
きっと、お互いがお互いを尊重して、それぞれの好きに過ごす我が家の姿を。
寂しい、とは思うものの。安心感があって、疑う余地もない。
困ったことがあれば、頼られるような心地よい関係性。
このままで良い、と言われた気がした。
「頂いても良いですか?お幾らでしょう。」
「お代は頂けませんよ。庭で採れたものですし。ラッピングはサービスです。
またのお越しをお待ちしています。」
雰囲気に飲まれたまま、花束を受け取る。
なんとも納得しがたいが、次は記念日にでも買いに来よう。
きっと、喜ばれるはずだから。