ガーベラ
ふと見上げた空に、満月になりかけの月を見た。
前に月を見たのはいつのことか。むしろ、太陽を見たのはいつだったか。
毎日、毎日、残業続きで、
日の出ている時間に外に出ることのない日々。
ほんの十数年前であれば、一日中飽きずに外を走り回っていたのに。
学生を卒業し、社会人になって4年が過ぎた今。
自分の時間を犠牲にし、代わりにお金を稼ぐ日々に疲れて、ふと感傷に浸ってみたくなった。
思い立ったが吉日というが、明日は久々に予定のない休日たったので、いつもと違うことをしてみたくなって。
目についたお店に入ってみることにした。
こんな時間までやっているお店など、居酒屋かそれに類するものくらい。
そんな思い込みのまま、重めのドアノブを掴んだ。
「いらっしゃいませー。」
開けた先に、爽やかな笑顔の好青年。
今どき珍しいくらいの黒髪短髪で、この眠らない街に削ぐわず、少し面食らってしまった。
「あ、どうも…」
大して働かない頭で、答えにならない答えを返す。
「なにかお探しですか?
今だと、こちらのバルーンがお勧めですが…」
にこにこと、平均より少し高めに見える彼の身長を優に超える、スタンドの花束を勧められた。
冗談なのか本気なのか良くわからないお勧めに、少し頭がはっきりしてきた。
やはりここは繁華街だけある。普通の花屋と思って入ったが、そういうお店御用達のようだ。
「あ、そういうのではなく…
ふつうの、1Rに置くような、ちっちゃめの…」
しどろもどろに、自分より2,3歳上に見える異性に言い訳する。
「あ、そうですよね。
折角作ったのに、売れ残っちゃって可哀想だから勧めてみました!
お姉さんには、ちょっと大きすぎましたね。」
くしゃっとした笑顔で、悪びれるでもなく言われてしまえば、憎めない。
「それなら、こちらのマリーゴールドとかどうです?
お姉さんにぴったりです」
「希望」が花言葉の花を勧められれば悪い気はしない。
「じゃあ、それで適当に花束にしてください。
そのまま花瓶に飾れる感じで…」
「かしこまりました!オレンジのガーベラ中心でお作りしますね!」
オレンジ…?特に色を指定したつもりはなかったのだけど。
そんな不思議な気持ちが表情に出ていたのだろうか。手元を忙しく動かしながら、目の前の彼が答える。
「なんとなく、ですが。
ガーベラって、前向きなイメージのお花なんですけど、その中でもオレンジって「これから冒険をはじめる」て意味もあって。
入ってきたときのお姉さん、覚悟を決めた顔だったので。」
少しずつ、オレンジを基調に赤・白をちりばめたガーベラだけの花束が出来上がっていく。
「僕、あんまりお勧め外さないんですけど、どうです?」
最後の仕上げに、包装紙を操りながら、ウインクされた。
最初にバルーンを勧められたのを思い出して、思わず吹き出してしまった。
ああ、そうか。諦めるにはまだ早い。
私は、チャレンジしたかったのだ。
最近、打診をされていたプロジェクトリーダーの話を思い出す。
忙しいと言い訳をして、失敗を恐れて、それでも心のどこかでやりたい気持ちがあって、
返事を先伸ばししていた。
たしか返答期限はもうすぐだったはず。
失敗したっていい。やれることを精一杯やろう。
憂鬱だった休日明けが、心待ちになる日がくるなんて。
「店長さん、ありがとうございました。
おかげで吹っ切れました。」
カラフルなガーベラの花束を胸元に抱え、晴れ晴れした気分で店を後にする。