007●第一章⑤Hはおあずけ〈20240916再修正〉
007●第一章⑤Hはおあずけ〈20240916再修正〉
我輩の前世記憶では、領民から取り立てた年貢すなわち税金を高級娼婦との情事に使い果たす王侯貴族などいくらでもいた。目くるめく姦淫天国の果てに王家を破産させ、隣国に攻められて夜逃げして国家を滅亡させ、そのとき領民も何千何万と虐殺され、あるいは奴隷化され、飢えて死んでいったなど、その末路の悲惨さは枚挙にいとまもない。
中世風異世界なんて、現実はだいたいそんなところだ。我輩の前世記憶に残るラノベとかいった架空小説みたいに牧歌的な人生を送れたら、宝くじ並みにビッグでジャンボな幸運だったと喜ぶべきだ。実際に転生してみると、たいてい、とんでもなく残虐でえげつない地獄絵図の日々に苦悶するのが普通である。
我輩は、目の前にずらりと並ぶ美乳の女性たちに片手をかざして、今一度シェイラに問うた。
「こういうことは、エリシウム公国の一般的な社会的儀礼なのかい? つまり、公王城では、ずーっと毎夕、枢鬼卿がお外からタダイマするときには、こういう御迎えをするのが長年のしきたりだとか?」
「いいえ」と、シェイラはさきほどからの微笑を一リミメルトも変えることなく、機械的に答える。「先代の枢鬼卿猊下の、全く個人的な御趣味です」
「げっ、一人で毎晩!?」
「はい、基本的にそうですね」
我輩はさすがに驚いた。先代のドスケベ枢鬼卿め!
「いくら精力絶倫でも、毎夜の如くにこんなことに手を出して、自分だけヤリまくりとは……しかも暴行傷害、法律的にはきっと犯罪行為だろうよ。よく世間にバレて摘発されなかったものだ」
「あ、先代の枢鬼卿おひとりではありません。たいてい週末にはウーゾ宰相やその親御様や御子息様、経済大臣や教育大臣、司法大臣、それぞれの事務長官に、察警庁のベジャール長官もお越しになって、皆様ご一緒に、しっかりお泊りになって行かれましたので」
シェイラの言葉の末尾の「ので」は意味深だ。公国の行政トップであるウーゾ宰相以下、政府の重鎮から、官憲を束ねる察警庁の長官まで一緒になって、サディスティックな淫行尽くしの乱痴気パーティをお楽しみになっている「ので」は、絶対に正義の摘発などあり得ないし、マスコミの報道を差し止めることも朝飯前のお茶の子さいさいってことだ。
……この国、ひょっとすると芯から腐りかけているんじゃないの?
僕はそう思わざるを得なかった。
とはいっても、枢鬼卿と“偉いお客様”のお相手をした遊興冥奴たちから、何かの拍子に巷に噂が広がって、公王城が姦淫の館と化していることが公然の秘密になっていくはず……
そこで納得できた。そうか、だからリーチャー・プッチャリンの“独裁者と爆笑貧者”の芝居が受けているのだ。劇場前の絵看板には描けなかったのだろうが、きっと枢鬼卿はこっそりと過激なHプレイを楽しむ変態オヤジとして、そのスケベぶりが演じられているに違いない。
しかし上演を続けるためには、“じつはウーゾ宰相も大臣たちもベジャール長官もスケベフレンドでした”……と暴露するわけにはいかない。おそらく、ウーゾ宰相やベジャール長官に睨まれたら上演は即刻中止で、リーチャーは獄中で続演するしかなくなるだろう。独房内の一人芝居で。
だから劇場の芝居では、あくまでも枢鬼卿ただ一人を徹底的に悪者にしていたのだ。まあ実際、相当な悪者には違いないのだから仕方がないが……
それでは今宵、俺が下半身の欲望の赴くままに遊興冥奴の何人かと加虐的にしてアブノーマルで卑猥な戯れに及んだとしたら……
きっと数日後には、リーチャーの芝居の枢鬼卿は、先代の顔から、僕の顔に挿げ替えて演じられているだろう! 公王城で女の子を手籠めにして破廉恥ざんまいの変態男、色と欲の枢鬼卿猊下……と。
シェイラはこの本丸ビル、すなわち公王府に着いたときから、唇に笑みを作っていた。それは憫笑だったのだ。紳士あるいは淑女ぶってお高くとまりながら、本質は愚昧な輩に向ける、哀れみの笑い。国民の血税を下半身の欲望処理にジャブジャブと費消してはばからない上級者に対する蔑みの憫笑。
やれやれ、転生早々に、そんな連中と一緒にされてたまるものか。
こうなると、俺の情欲は後ろへ引っ込んだ。
ここで欲望に身を任せたら、早晩にして身の破滅を招く。
ちょっと悲しいが、お楽しみは当分おあずけだ。
「わかった」と我輩はシェイラに確認した。「このお遊びが先代の枢鬼卿の個人的な趣味ならば、我輩個人の権限で変更可能なはずだ」
「もちろんです、猊下。いかようにも御意のままに」
我輩は全員に聞こえるように、声を張り上げた。
「ならシェイラ、命ずる。遊興冥奴の皆さんには悪いが、この淫乱なしきたりは只今を持って無期限で廃止とする。皆さん、帰ってくれてよろしい!」
「畏りました、猊下」
バシッ! と、神経に障る衝撃音が響いた。
どこから出したのか、シェイラは長い皮の鞭で床面を叩いていた。その態度で誰からも一切の反論も質問も許さないことを示して、動揺する遊興冥奴たちに告げる。
「みなの者、耳にした通りである。ただちに控室へ退出し、平服に戻りなさい! 契約は月末まで有効のままとし、基本報酬は支払う。のちのことは追って沙汰する」
「おおせのままに、補佐官さま!」
遊興冥奴の娘たちは怯えた表情で答えると、ほとんど足音を立てず、大理石の床を滑るように走って、大階段の下の使用人扉に消えていった。
「猊下、ただ、ひとつ課題が残ります」
「なんだね?」と我輩。
「あの娘たちの今後です。不景気が長引いているうえに、事情があって貧しい娘がほとんどです。二か月もしたら、街の遊郭か、それとも路上で客を取ることになろうかと思います」
俺はようやく思い当たった。そうだ、この異世界では、クビになった遊興冥奴に、すぐさま幸せな次の仕事が見つかるわけではないのだ。
「結局、春をひさぐことに変わりはないのか?」
陰鬱な言葉を漏らした我輩に、シェイラは頷きつつもほほ笑んだ。
「できることはいたします。善後策は城内の事務管理チームで立案し、早急にプランABCを上程させていただきます」
そう答えるシェイラを見て、あ、この笑顔は……と、僕は悟った。
蔑みでなく、リスペクトの笑顔だ。
シェイラ自身も、先代の枢鬼卿の精力絶倫の御淫行には、心底からウンザリしていたのだろう、悲しみと怒りをもって。
今は露骨に口に出すことはしなかったが、目元と口元が十分に語っていた。
ありがとうございます、猊下、と。