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057●第八章⑥コク船長の冒険と晩餐会、そしてヴェール・ジュルヌ。

057●第八章⑥コク船長の冒険と晩餐会、そしてヴェール・ジュルヌ。



       *


 そのあと僕たちは最上甲板の船尾楼貴賓室へ移った。

 ささやかですが夜食を……と、船長が枢鬼卿すうきけいを歓迎するレセプションを主催してくれたのだ。ちょうど小腹がすいたところで、いいタイミングだ。

 夜は更けていたが、船内は昼夜関係なく三交代で働いている。夜勤の幹部船員十数名とテーブルを囲んだが、ここでも我輩は生真面目にサインを続けた。

 ワカミヤ丸の乗組員たちおよそ二百人分の免罪符が積み上がっていて、朝の出航までに済ませるしかないと決めたからだ。つまらない仕事かもしれないが、お偉い枢鬼卿すうきけいだからこそ、マメなサービス精神で皆様のご希望に応えれば、ことのほか喜ばれる。というか、それくらいしか今の自分に仕事がないのも実情だ。

 船長のコク・テイル氏は三十代半ばのよく日焼けした偉丈夫で、そのまま海賊の親分として通りそうな豪快さを漂わせていたが、挨拶して最初のセリフはしおらしいお詫びだった。

猊下げいか、ノンアルコールで申し訳ありませんが、規則なもので……」

「いやいや、それがよろしいですよ」と俺は笑って同意した。「そういえば前世記憶ぜんせきおくで水兵をしたことがありまして、停泊中の宴会でラム酒を呑みすぎて海へ落ちて、そのまま転生したことがあります」

「それはご愁傷さまで」とコク船長が神妙に納得した様子からみて、内心では枢鬼卿すうきけいを特別視して酒を勧めなくてよかったと、胸をなでおろしたのがわかった。

 いったん飲酒を勧めたら最後、途中でやめろとは言えず、へべれけになった枢鬼卿すうきけいが調子に乗って船端ふなばたからドボンと入水し土左衛門になって上がったら、コク船長も責任を取って自主的に転生するはめになるかもしれない。 

 さすがにそれは可哀想である。

「やはり恐ろしいのは転落事故です。捜索と救助で船足が止まりますし、水上察警コーストスリポの世話になるわけにはいきませんからね、猊下げいか、船の中身が中身だけに」

「ご心労、重々にお察しします……」

 船内には違法銃器が山と積んである。水上察警コーストスリポにバレたら撃ち合いになるのは必至。そうでなくても酔っぱらった船員がさきほどのカービン銃やショットガンで遊び始めたらどうなることやら。

 というわけで消毒用以外のアルコール類は船長室のロッカーに入れて施錠、武器類と同列で厳重に管理しているとのこと。

 それに事故がなくても、“酒気帯び操船”という問題がある。これは禁じる法律がないだけに始末に負えないそうだ。

 コク船長は思い出話として、「かくいう私も昔、小型の鯨油タンカーの船長をしておりまして、二日酔いで迎え酒をりながら南の海を走っておりましたところ、とある海蛇カイダの海賊船に襲われまして……」

 “海蛇カイダ”もしくは“シー・サーペント”とは、南方の海に跳梁跋扈ちょうりょうばっこする海上テロリスト組織の名前だ。たいてい木造の数百トンの機帆船きはんせんを操って、口径八~十サンチの軽量速射砲一門か二門で砲撃してくる。民間船を拿捕して船ごと積み荷を奪い、船員を人質として身代金を取り、それができなかったら奴隷として売り飛ばす。

 ただし“海蛇カイダ”の連中はなぜか、サヴァカン帝国の船は襲わない。当然、裏事情があるはずで、要するに武器や資金の援助の見返りに、事実上、帝国の手先となっているわけだ。帝国の正規軍艦が海賊行為をすると国家間の戦争に直結するので、国籍不明の海賊船という隠れ蓑で、サヴァカン帝国海軍に協力しているという仕組みである。

 で、当時べろべろに酔っぱらっていたコク船長は、海賊に降伏するよりは一発やらかしてやれと、景気よく自分の船に火をつけて海賊船に体当たりしてしまった。

 亀甲きっこうクジラの鯨油は運搬中に揮発性の成分が上澄うわずみとなり、可燃性が高まる。小型とはいえ千トン以上の鯨油タンカーが火だるまとなって激突したので、海賊の連中は船もろとも海の藻屑となった次第。

 コク船長は燃え盛る船を走らせながら船尾の救命ボートを下ろして、乗組員を先に逃がすと、自分は二隻目の海賊船に舳先を乗り上げてから、単身で海に飛び込んでボートに泳ぎ着いた。

 ということで一件落着……とはいかなかった。積み荷に保険をかけていなかったのだ。通常の火災保険などと違って、海賊保険は保険料がとびきり高額なので、荷主がズボラしたのである。

 それにコク船長が酔っぱらったあげく自ら船に火をつけたことが問題視された。せっかくの英雄的な自衛行為は水の泡、多額の損害賠償に追われる身となったコク船長を拾ってくれたのがシェイラだった。

「私は自責のあまり入水自殺したことにして、今は名前を変えてコク船長という別人格で、ここにいるというわけです」

 シェイラが人材をスカウトする絶妙のテクニックがここでも物を言ったということだろう。行動力のある大胆な船長を味方につけた、その一方でシェイラは彼の弱みを握っているので、コク船長は裏切るわけにはいかない。

 ただ、それだけではないだろう。

 コク船長はシェイラに心ならず服従しているのでなく、シェイラの考えに賛同して心よく協力しているのだ。反感を持っていれば、兵器の製造と密輸に精を出すワカミヤ丸を任せられているはずがない。

 レセプションのメニューは夜食ということもあって、新鮮な魚介類の刺身やマリネ、海藻のサラダといった、あっさりした料理がオードブル風に供されていた。が、こことばかりに存在感を主張していたのが、やはり亀甲きっこうクジラのサーロインステーキだ。

「二週間前まで捕鯨母船として営業していたので、冷蔵熟成が食べごろの新肉しんにくです。ワインをお出しできないのが本当に心残りで悔やまれますが……」

 と言うコク船長と俺は、お互いに酒好きであることを告白しつつノンアルのスタミナドリンクで乾杯した。林檎系の乳酸菌炭酸発酵飲料で、アルコール化する直前の“味付き水”だそうである。

 亀甲きっこうクジラのステーキは柔らかくて美味だった。ついつい前世記憶ぜんせきおくを思い出して「ノーチラス号の晩餐会に招かれた鯨捕くじらとり、あのもり打ちネッドの気分ですよ」と喋ってしまったが、これが通じた。

「ああ、もり投げ少女のネッディアですね。頑固で我儘わがままで菜食主義ですが正義感の強い一本気なところが好きですよ、名キャラですね」

「えっ、こちらの世界では女の子なんですか」

「そうですよ、育ちの良い天然悪役令嬢で喧嘩っ早くて涙もろいところが読者に大受けで、モネ船長とことごとく張り合って肘鉄ひじてつ合戦してるところが笑えます」

 我輩の前世記憶ぜんせきおくと、似て異なるストーリーのようだ。

「も、モネ船長って?」

「ヌーヴォ・ノーティル号の女船長ですよ、やってることはほとんど海賊王ですが……ええと、猊下げいか、お読みになっていたんですよね? 『不思議の海の二万リーグ』、二年ほど前の大ヒット小説です」

「てことは、ノーチラスでなくてヌーヴォ・ノーティル号、船長がネモの代わりにエレク……いや、こっちの話ですが、作者はアンノ……じゃなくて」

「ヴェール・ジュルヌ、ラグノベル(らのべ)界の獅子王ライオンキングと呼ばれていました」

 いささか混乱したが、どうやら我輩の前世記憶ぜんせきおくにある二世紀近く昔の大作家ジュール・ヴェルヌ様がこちらの世界ムー・スルバに転生して、ヴェール・ジュルヌの名で現代のベストセラー作家になっていたわけだ。ラグノベル(らのべ)はそこそこ読み漁っていたが、公王府図書館パラティヌスライブラリにあったのは昔の作品ばかりであり、最近の流行書はノーマークで、知らなかった。

 ヴェール・ジュルヌの作品は他に『潜水球で人魚姫と五週間』『プロジェクト80DAYSカラテガールズ』『十五少女学園漂流記』『ハテラス船長とグラント船長と101人の可愛い孫娘軍団』『センター・オブ・ザ・地底の魔法少女』『悪魔の砂漠とレディ・ジェーンの大冒険』などがあり、空想科学冒険小説の帝王の名を欲しいままにしたが……

「ほんの半年ほど前に、自動車事故で帰らぬひとになられました。ドラッグストアの前で軽トラックにかれたそうです。『海底軍艦タカチホの愛国お転婆少女(仮)』という新作に着手しておられたのですが、序章で絶筆になったとか」

 貴賓室の書棚に並ぶヴェール・ジュルヌの本を紹介しながら、残念そうに人気作家の死を悼むコク船長。

「そうだったのか……彼は作家としての前世記憶ぜんせきおくを保っていたんだ。だから、こちらに転生してから前世で執筆した作品をリライトして編集者に売り込んで再出版した。けれど、前世の作品と全く同じ文章を思い出して書くのは退屈で苦しい作業になる、そこで最近の傾向を取り入れてキャラを改変し、ロリコン少女系に舵を切ったんだ」

「ろろろろろろ、ロリこん?」

「あ、それは我輩の前世記憶ぜんせきおくの話、気にしないでねコク船長」

 それにしても危ないところだった。ヴェール・ジュルヌが前世記憶ぜんせきおくのままに執筆したら、作中に気球やヘリコプターや飛行戦艦が登場していたはずであり、そのイメージにインスパイアされた発明家たちがこぞって実物の開発競争を始めていたことだろう。

 幸か不幸か、その前に彼は亡くなり、たぶん次なる異世界へ転生していったのだ。

「サクマ博士」と、俺は小声で隣席の博士に耳打ちした。「例の三つの“クラフト”だけど」

「承知いたしております」とサクマはうなずき、ぶるっと武者震いした。「驚異の発明に心底から感激いたしました。今は実用化に向けて鋭意えいい図面を引いておる段階ですが、必ず形にいたしますゆえ、しばしのご猶予を」

「よろしくお願いします」と念を押す。

 三角形の“紙ヒコーキ”と、割り箸で作った“松コプター”、そして小さな“熱気球モンゴルフィエ”、この三つの粗末な工作品がサクマ博士の手にゆだねられて、どのような姿に活用されるのか、楽しみであり恐ろしくもある。

 彼は兵器開発者なのだから。

 しかし、この三つの“発明品クラフト”を見た時のシェイラの喜びようは尋常でなかった。

 彼女は欲しがっているのだ。空を飛ぶ兵器を。

 何のために?

 気になってはいたが、シェイラに直接訊ねることはしないまま、日が過ぎていた。

 そこでふと、窓の外を見て気が付いた。

 後甲板のデッキに、黒光りするそれは……

 左右二門の大砲。



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