053●第八章②魔法の本質、“5・27・68”、霊的特異点《スピリチュアル・シンギュラリティ》。
053●第八章②魔法の本質、“5・27・68”、霊的特異点。
「ぴったりと重なっている? でも……」と、僕は首を傾げた。「転生先が決まって、天国から“この世”へ降りてくるまで、ものすごく遠い距離があったような、何百光年いや何万光年ほどの……それこそ無限ほどのとてつもない旅をしたような……」しかしそこで、重大な感覚があったことを思い出して、言った。「一瞬のことでした。一瞬よりももっともっと短い時間で」
サクマ博士はまじまじと僕を見て、それから深くうなずいた。
「そうですか、猊下。つまりそれは、無限の距離の移動を限りなく零時間に縮める実感があったということですな。うーむ、小生も前世記憶を思い出せればよいのですが……無限距離の零時間移動、それこそ、“この世”と“あの世”が隙間なく重ねられていることの証左ではありますまいか」
俺はうなずいた。そう、二つの世界の間に一切の隙間がなかったら、あちらからこちらへと、両者を移動する時間は、理論上ゼロだ。移動時間をゼロにできるなら、距離がどれほど離れていても、零距離と同じだ。距離というものが意味をなさない。
「そうすると……」と、僕は何かを探るように、目の前の空間に手をかざして、かき回すしぐさをした。「このあたりにも、“あの世”の空間が重なっているってことですか」
「まことに、おしゃる通りです、猊下。今は“この世”の紙が上にありますので、小生も猊下も、“この世”を見ております。しかし例えば小生が死んで、魂が“あの世”へ零時間で移動したとします、すると」と、サクマは“この世”の紙を取って、“あの世”の紙の下に隠した。
「このように一瞬以下の時間で“この世”は消えて、小生の魂は、“あの世”だけを認識するわけです」
僕の前世記憶を、どこかの異世界で扱っていた“パソコン”という機械の画面がよぎった。画面に開いたウインドウの上に、別なウインドウが重なっている状態。このとき、下のウインドウは上のウインドウに隠れていて、存在しないも同じだが、ちょいとマウスにさわって上のウインドウを縮小すれば、下のウインドウがたちまち現れて機能する。そんな感じに似ている。
重ねた二枚のメモ用紙に指を触れて、サクマ博士は説明を続けた。
「二つの世界は隙間なく重なっております。古文書の『魔法科学』ではこの状態を“三次元的に上に重ねた”の状態である……と記述しておりました。四次元とか十次元とか、そういった超次元世界の高次概念ではなく、あくまで三次元の世界で説明できる現象だということですな」
僕は少しほっとした。「それはよかったです。ここで次元の壁を越えた話になったら、浅学非才の我輩にはちんぷんかんぶんでお手上げです。ともあれ“この世”も“あの世”も、この三次元世界の中にあるということですから、それだけで幾分はわかりやすそうで助かります」
「きっと、著者のカーン・ヘルプストベルグ氏も、超次元の概念はちんぷんのかんぷんだったのでしょうな。なにぶん古代人ですから。しかしそうなりますと、“この世”と“あの世”の質量とエネルギーが全部、小生たちのこの三次元宇宙の中に、はみ出すことなく収まらなくてはなりません。その点について、『魔法科学』の解説は実に突拍子もないことを主張しています」
「突拍子もない?」
「さようで、小生たち人類が認識している“この世”の物質エネルギーは宇宙全体の5%に過ぎないのだというのです。残り95%が“あの世”であって、その内訳として、“あの世”の物質は宇宙全体の27%、エネルギーは68%を占めるのだと。……すなわち“5・27・68”、これは神が定めた、宇宙を律する黄金の構成比なのだ……というのです。なぜ“5・27・68”なのか、これは古代の高度な観測結果によって割り出された数字であって、説明はできないということで」
「ふうん、まるで魔法のマジックナンバーですね。“5・27・68”ですか……」と相槌を打って、途端に、えっ?……と気がついた。
前世記憶にあったのだ、この数字が。
通常物質すなわち原子が5%、暗黒物質が27%、暗黒エネルギーが68%……
宇宙観が一致した。
古代の酔狂な人物カーン・ヘルプストベルグは単純明快に考えたのだ。……それならば全宇宙を100%とした場合、5%が“この世”なら、残り95%は“あの世”じゃないか……と。
数値が正しいかどうかは棚に上げるとして、“この世”の質量とエネルギーが宇宙全体のたった5%ならば、残りの95%で、“あの世”の質量とエネルギーをまかなうことは十分にできるだろう。
“あの世”は存在する。“この世”と同じ三次元宇宙の中に。
「そこで、魔法とは何か、その正体についてですが」とサクマ博士はおもむろに続けた。「ここでようやく本題にたどり着いた次第です」
「なんだかずいぶん、前振りが長かったですね」と率直な感想を述べると、サクマ博士は肩をすくめてぼやいた。
「きっと著者のカーン・ヘルプストベルグが、肝心な本題は後回しにしたがる、凡庸な政治家みたいに回りくどい人物だったのでしょうな」
「同感です」
「そこで注目するのは“魂”の機能です。“この世”では小生たち人類、いや動物も植物もモンスターも、生きとし生けるものはみな肉体の中に魂が閉じ込められた状態にあります。つまり、肉体が食ったり飲んだり呼吸したり、余分なものを排泄して、“この世”の質量とエネルギーを代謝し、自然界に循環させることで生命を保っている、そして魂によって何らかの自我を持って活動しているわけです」
「おっしゃる通りだと思います、博士」
「それでは死んだらどうなるか、肉体は滅び、魂は“あの世”へ移動する。“この世”と“あの世”はぴったりと重なっているので、移動は簡単ですな、瞬時にトリップできます。肉体がなくなり、魂だけになると、自動的に“あの世”行きです。もっとも、行き先が具体的に、神様がおられる神界か、幽霊が滞在する幽界か、魔物が棲息する魔界なのか、そのあたりはケース・バイ・ケースなのでしょうが」
「なるほど、天国行きか地獄行きか、その切符は自由に選ぶわけにはいかなそうですね」
「まあ、それは神のみぞ知る……ですかな」とサクマ博士は笑うと、「としますと、例えば人間の場合、その魂は“あの世”でいかにして自我を保って活動できるのか? そこが気になりますね。魂の活動がゼロだったら、それは存在しないのと同じになりますから、やはり魂も独自に、“あの世”の質量とエネルギーを摂取して代謝し、周囲の環境の中で循環させていると考えられます。ということは……魂には、“あの世”の質量とエネルギーを活用する機能がもともと備わっている……ことになりますな」
「そうですね、僕の前世記憶でも、“あの世”で神様や天使と何らかの手段で意思疎通して、転生先を交渉したのだと思います。その記憶は、まるで忘れかけた夢のようにあやふやなのですが、“あの世”で自我を保って活動していたことはたしかでしょう。といっても、たぶん具体的な物体を食べたり飲んだり排泄した記憶はないので、ほぼ純粋に、エネルギーを吸収し、代謝循環していたのだと思います」
「おおっ、それも貴重な証言です! それで魔法の正体が裏付けられますぞ!」
サクマは右眼を爛爛と輝かせて結論を述べた。
「では、魂が転生することで再び“この世”へ戻ってきて、肉体に乗り移ったとしましょう。魂には、“あの世”の質量とエネルギーを吸収し活用する能力が備わっている。そして“あの世”は、“この世”とぴったり重なっていて、事実上、ゼロ距離にある。“この世”の質量とエネルギーは全宇宙の5%、“あの世”は95%と仮定しましょう。すると魂は、“あの世”の膨大な質量とエネルギーを三次元空間の裏側から瞬時に取り出して“この世”に持ってくることができる……ということになります。“質量とエネルギー”とは、言い換えれば“物理力”のこと、それを自分の思うままにコントロールすることができれば……」
僕は魔法の定義を述べた。
「魔法とは、“あの世”から“この世”に物理力を移動して、それを自在に制御する行為のことである……!」
「さよう! それが魔法の本質なのです」
「しかし」と俺は至極当然の疑問を投げかけた。「世の中には魔法を使える人と、俺みたいに魔法が使えない普通人がいますね、それも、数的には普通人の方が圧倒的に多い、魔法を使える人、すなわち魔法使いは人口数千人に一人だとか。つまり魔法能力には個人差が大きい、このことはどう理解されますか?」
「ええ、『魔法科学』では、実にシンブルに説明しています。魔法を使うということは、“あの世”から質量とエネルギーをこちらの“この世”に移動する行為なのですが、これは、身近なものに例えると、水道に似ていますな。魂のどこかに、“あの世”とつながった水道管のような機能があり、そこに質量とエネルギーを“汲み下ろす”蛇口のようなものがついているのです。これをカーン・ヘルプストベルグは、“霊的特異点”と呼んでいます。つまり、魂に張り付いている、“あの世”とつながる接触点……といった意味ですな」
サクマ博士は解説を続けた。
“この世”における魂は、肉体に寄生したようなものだ。
魂の活動に必要なエネルギーは、肉体の質量とエネルギーの代謝に依存することができる。
そうなると、わざわざ魂が独自に“あの世”から質量とエネルギーを引き出すことは必要なくなる。
だから“この世”にいるうちは、原則的に、霊的特異点の質量とエネルギーの“蛇口”は閉じられているというわけだ。
おそらくそれは、神様の仕業だろう。“この世”のあらゆる生命体の“魂”が“あの世”から好き勝手にざばざばと、質量とエネルギーを垂れ流したら、たぶんかなり具合の悪いことになるのだ。“この世”と“あの世”の質量とエネルギーのバランスが崩れて、とてつもない天変地異を発生させ、生命の大絶滅を招くとか……
「しかし例外的に、蛇口を開くケースがあるのです」とサクマ博士は言う。
蛇口の開き具合がほんの少しで、“あの世”からの質量とエネルギーがポタポタと滴る程度のこともあれば、蛇口が大きく開いてジャバジャバと勢いよく流れ出る場合もある、それが魔法使いの能力の個人差になるというわけだ。
先天的に蛇口が大きく開いた魔法使いがいれば、修行してようやくチョロチョロと魔法力を発揮できるようになる魔法使いもいるという具合に……。




