052●第八章①魔弾との付き合い方、魔法とは何か、“この世”と“あの世”。
052●第八章①魔弾との付き合い方、魔法とは何か、“この世”と“あの世”。
「弾道妖魔?」
「さよう」とサクマ。「そいつは使い魔の一種で、いわば、弾丸に搭乗した操縦士でしてな、発射されると、射手が狙った目標を追いかけて、ほぼ百発百中で命中します。“ほぼ”というのは、例外があるかどうか、まだ検証しきれていないという意味ですが、試射した実績では確実に目標をとらえています」
「凄いですね、科学的にありえない現象じゃないですか、でも博士は科学者ですよね?」
「誠にさようで……」とサクマ博士はバツの悪そうな顔つきをしながらも「魔法によって、弾丸になんらかの知性が与えられていて、射手が何を狙って引き金を絞ったのか認識するようですな。でもってそいつは、謎のエネルギーを作用させて、弾丸にかかっている重力を操り、弾道をコントロールする……と解釈しております」
サクマ博士の説明によると、これは理想的な誘導弾なのだけれど、目下の課題は、射手がどこの何に対して狙いをつけているのか、標的の情報を正確に弾道妖魔に伝えるにはどうすればいいか、ということだ。
特製の照準スコープを開発していて、射手が目標を決定すると同時に銃身の薬室に装填した魔弾の弾道妖魔が精神感応して、両者同時にロックオンしなくてはならないという。
「ということで、射手と魔弾の心霊的な同調率がものを言うらしく、両者の心の波長が合わないと、弾道妖魔がふてくされて、薬莢の発射薬に点火するのを拒否して、薬室に引きこもったまま出てきてくれないケースがありましてな」
「弾丸のストライキですか」
「まあ、そういうことです」
「魔法って、扱いが難しいものですねえ」
「まことに」と悩まし気なサクマ。「もう一つ問題がありましてな。魔弾は七発でワンセットになっておりまして、六発目までは、狙った目標に命中してくれます。しかし七発目は命中先を選ぶ優先権が射手から弾道妖魔に譲られる決まりになっていまして……」
「つまり七発目は、どこへ飛んでいくのかわからない」
「現状では、そうですな」
「それって、困ったものですね。弾道がブーメランになったら、自滅ですよ」
「当面の解決策として、七発目は撃たずに、弾倉の底から回収する仕組みにしております。要するに、うっかり撃たなければいいのです」
それやこれやの課題はあるが、研究し改良を加えて、魔弾の安全確実な運用手段を確立するという。
「不肖サクマ、解決法は必ず現実化いたします。魔法と称しても、しょせんは物理力の行使。つまり科学的に説明できるはずですからな。これまでもずっと、そうやってきました」
科学者としての自信は揺らぐことなく、魔法との接点を解明しますぞ……と、老科学者は断言する。
そう、確かに科学者にとって、魔法ほど好奇心をそそる“科学的現象”は他に無いということだろう。サクマ博士の偉いところは、魔法は科学の敵とばかりにバカにして全否定するのでなく、謙虚に魔法の効用を認め、科学的探究の対象として、むしろ魔法を活用しようとしていることだ。
象牙の塔の上から高邁に見下ろす大学者の真逆で、科学的にくだらないと思われている対象でも、偏見を持たずに観察することができる、在野の研究者だ。
彼の目には、魔法はどのように映っているのだろう?
「ちなみに博士は、魔法の正体について、いかなる科学的認識をお持ちですか?」と訊ねて、僕は言い訳した。あまりに基本的すぎる質問なので、博学の士には失礼かと思ったのだ。「公王府図書館で昔に流行ったラグノベルを乱読したところ、魔法に関する記述はいくらでも出てくるのですが、“魔法とは何か”について明瞭に定義した作品は一つもなかったもので」
「ああ、そうですな」サクマ博士は面倒がらずに、ワガ=ハイという名の若き転生者のために目を細めて記憶を手繰り寄せた。「“魔法の定義”というものは、専門の魔法書ですら、なぜかすっぽりと抜け落ちて、ブラックボックスとなり果てております。この国における魔法学の唯一の権威機関である“最高魔法院”は“魔法は太古よりありき、そは使うべし、ただし疑ってはならぬ”として、魔法についての現代的な定義を一切明らかにしておらぬのです」
「秘密にしている、ということですか」
「おそらく」とサクマ。「彼らの傘下の魔法学校では、魔法の使い方すなわち“応用”は教えても、その根本たる“原理”に触れることは禁忌であると聞いております。まあ、社会一般もそうではありますな、肝心なことは隠されてしまう。赤色と青色の魔法石を使用した湯沸かしポットを買ったとしましょう。その箱には取扱説明書が入っていますが、“魔法石とは何か”については一言も説明しておりません」
確かにそうだ、魔法は現実に目の前に存在するのに、その本質については誰も触れず解明せず、じれったいほど煙幕のベールに隠されている。
「ただ、小生が知る限りでは、魔法を定義した唯一のガイドブックが、かなりの昔に存在しました」と前置きしてサクマは述べる。「過去形になりますのは、大陸の奥の、とある国で古代遺跡から発掘された古文書で、小生も数回通読しただけで、あとはその国が滅びたため、すべて失われてしまったからです。エリシン教団に職を得てから、小生の頼りない記憶の範囲で書き起こした写本をシェイラ様に献呈いたしましたが……」
「ほう! そんな本があったのですか、歴史に埋もれた文献ですね」
「はい、今は昔のこと、生きた時代も定かでないカーン・ヘルプストベルグという、正体不明の人物が著した『魔法科学』という名の小冊子です。幸い、この国の最高魔法院は、その本の存在を知りません。知っていれば直ちに禁書に指定され、焼かれてしまったでしょうな」
そう聞くと、さすがに知りたくなった。シェイラは写本を手にしているので、後からそれを見せてもらえばいいのだが、今は一刻も早く知りたい、要点だけでも。
「そ、それ、どんなことが書かれてあったのです? 教えて下さいませんか」
「かいつまんで申し上げましょう。『魔法科学』の記述によれば、冒頭で……魔法とは、“あの世”から“この世”へ物理力を移動し、それを自在に制御することである……と簡潔に定義しておりまして。……おやおや猊下、まるで驚かれませんな」
「いや……」驚けと言われても無理である。「シェイラから何度も聞いた言葉ですよ。サクマ博士もさっきからおっしゃっているでしょう? “魔法は物理力の行使にすぎない”と……それと同じ意味ではありませんか?」
「ははは……確かにその通りですな」とサクマは照れくさそうに笑う。その笑顔の素朴さに、かえって驚かされた。この老人はある意味マッドサイエンティストで、長い人生の苦難や不条理や偏見や納得できないわだかまりを滓のように心の奥底に沈殿させている。しかし笑顔はまるで子供のようだ。自分の知っていることを、ちょっと得意げに大人に披瀝したがる時の、あの楽しそうな笑顔。
「しかし古文書『魔法科学』のよいところは、子供でもわかる単純な記述で魔法を語ろうとしていることです。……論理の出発点はこうです。まず“転生”を現実にあるものとして認めることから始まると。猊下ご自身が実際にこの世界ムー・スルバに“転生”なさってきたわけですから、“転生という現象が実在する”ことは疑いようもありませんな。まず、そのことを科学的事実とします」
「言われてみればそうですね、まるで嘘みたいですが、僕にとってはまぎれもなく事実です。それに、かつて一世を風靡したラグノベルはどれもこれも“転生”ありきですね。公王府図書館の禁書棚で見つけた『火星のプリンセス』という作品が、ある種の“転生”を叙述した最も古いラグノベルの一冊と考えてよいでしょう。それだけ世間の人々にとって“転生”は身近な出来事として受け入れられているわけです。もっとも物語の内容は荒唐無稽でしたが」
「おお、『火星のプリンセス』、タイトルだけは聞き知っていますぞ。中世の写本で、“マツ・ロケ”の名で知られる愉快な人物が書き残した『空想科学英雄伝説』という研究書にありましたな。ともあれ『火星のプリンセス』の主人公の“転生”は、“魂と肉体が同時に瞬間移動した”のか、“魂だけが移動して、現地に複製された肉体に乗り移った”のか、解釈が分かれて古代空想家の間で議論になったという記録が残されています」
「我輩の場合は、後者でしたね」と俺。「個人的な実感にすぎないですが」
「それはそれは、貴重な証言を有り難く存じますぞ」とサクマ。「ならば猊下の転生は、魂が肉体から分離して、単独で移動したわけです。ということは、まず魂というものが実在し、それが“独自の質量なりエネルギーを有している”と、科学的に断言できるということですな。魂に質量もエネルギーもなければ、何もないからっぽの真空と同じで、“存在しない”ことになりますので。そして魂は肉体の死によって肉体を離れて、“この世”から神様がおられる“あの世”へ行き、そして異なる世界すなわち異世界の“この世”に神様が用意された肉体へと移動したわけです」
「まあ……当然、そういうことになりますね」
「ははは、当たり前のことをどうしてこうも御大層に確認しているかというと……それではなぜ、魂に質量とエネルギーがあるのか? と問えば、“この世”だけでなく“あの世”にも質量とエネルギーがあるからだ、と答えられるからですよ。質量とエネルギーがなければ“あの世”は存在しないので、そこで魂が神様に出会うこともできなくなりますからな」
「おっしゃる通りです。“この世”と“あの世”と、そして“魂”も何らかの“質量とエネルギー”をもって存在している。それは確かなことだと認められます」
「とすれば次に、“この世”と“あの世”はどのような関係で存在しているのか……それが問題になりますな。小生たちが生きている“この世”と、神様や天使、それに幽霊や、悪魔や魔物たちも棲んでいると思われる“あの世”は、どれほど離れているのか、星々ほどに果てしなく遠いのか、それとも意外とご近所なのか?」
「あ、そういえば……」と我輩は口を挟んだ。「前世記憶に、同じことを考えた人物がいます、何て言ったかな……テツロー……タンバとかいう名前の宗教思想家で、その名言が“あの世は隣町ほどに近い”とか」
「おお、ご名答です! そのお方は、ほぼ真理を突いておられますぞ!」
サクマ博士は感激のあまりか、勢いよく手近な作業台に歩み寄り、サイドテーブルに吊るしてあった雑記用のメモ帖を取ると、二枚破いた。ポケットからペンを出し、「魔法ではありませんぞ」とささやくと軸をクルッとねじる。
先端に鉛筆の芯が出た。
シャープペンシルだ。博士の手作りらしい。この発明、すぐに特許を申請しなさい! と忠告してあげる間もなく、サクマ博士はメモ紙の一枚に“この世”、もう一枚に“あの世”と書く。
そして、作業台の上に“あの世”の紙を置き、その上に“この世”の紙を被せた。
「これが、身近に表現できる、最も真実に近い世界モデルです」とサクマ博士は楽しそうに語った。「“この世”と“あの世”はぴったりと重なり合っているのです」




