051●第七章⑧秘密の魔法工場、韋駄天の捕鯨母船、そして魔弾《フライクーゲル》。
051●第七章⑧秘密の魔法工場、韋駄天の捕鯨母船、そして魔弾。
「猊下、どうか小生をサクマと呼び捨てにしてくだされ」老サクマ・ホランドはいささか恥ずかし気に深々と頭を下げた。「実は小生、博士号を取得しておりません。情けないことですが、大学の教職に就いたこともございません。ただの貧相な素人発明家にすぎませぬがゆえ」
「しかし周りの者はみな、サクマ先生のことを博士と読んでいますし、それは、博士と称されるにふさわしいお仕事をなさっているからだと、補佐官のシェイラが申しておりました。ですから、それでよろしいでしょう、博士」
サクマは再び深々と頭を下げた。「かたじけのうございます、この老醜の凡愚、身に余る猊下のお心添えに、衷心より平服いたすのみでございます」
サクマ・ホランドはその出身上の身分的な理由で、公的な学歴を得られなかった人物だという。しかし研究者としての才能と努力に秀でており、シェイラが三顧の礼でスカウトしたらしい。シェイラは彼を博士と呼び、そしてサクマもその呼び名に答えるべく、エリシン教団に身命を捧げている。
「まあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、博士、ちょっと僕の思いあがった推理をお聞きくださいますか」と前置きして僕は言った。「この床下の機関室には、船舶用の縦型レシプロ機関のピストンシリンダーをガッチャンガッチャンと動かすことができるほどの天井高がありません。なにしろ家屋にして四階分は必要になりますから。とすると、設置されているのは縦ではなく横に長い仕組みの回転機関です……それは、もしかして、タービン?」
サクマ博士はまじまじと僕の目を見た。
「まことに、ご名答です。秘密裏に開発しました一万馬力を発揮できる円筒状の蒸気タービンを二基、並列で備えております。この種の捕鯨母船の平均的なエンジン出力の三倍に達します」
「そのメリットは、走り出したときのダッシュ力ですね」
「な、なんと! 猊下はお見通しでしたか、恐るべき慧眼をお持ちだ」
「いえ、頭の悪いドジ男ですよ。ただ、これまで転生してきた前世記憶が生きているので、いたずらに知識量は多いのかもしれませんね。どうやら、どこかの前世で船乗りを経験していたようです」
「それはそれは……」とサクマはすっかり面食らったが、同時に顔をほころばせた。つまり、おたくな趣味が通じる貴重な友人に遭遇できたということだ。「それでは小生も、ちっとばかし、本船の自慢をさせていただきます。ワカミヤ丸が、まだ各国で試作段階のタービン機関を大胆に採用しましたのは、要するに、“逃げ足”にあります。このサイズの一般的な捕鯨母船は、最高速度が15ノット程度ですが、ワカミヤ丸は28ノットを叩き出せるのです」
「28ノット! それは速い。戦艦で15ノット、巡洋艦でも22ノットほどがせいぜいですからね」
公王府図書館で『われ等の海戦史』と『われ等の陸海軍』を読んでおいたのがよかった。名著らしく、軍事に関する一応の基礎知識を頭に入れることができたのだ。たぶん前世のどこかで、我輩は軍事オタク少年だったのだろう。
「さようでございます。ワカミヤ丸は一万トンを超す図体ですが、じつは戦艦や巡洋艦に追跡されても余裕で振り切れる俊足船なのです。駆逐艦でも25ノットで走れたら結構な韋駄天ぶりとなりますので、ワカミヤ丸が全力で逃げ出したら、たいていの軍艦は追いつけません」
つまり、そのような危い業務に従事しているわけだ、ワカミヤ丸は。
バレたら各国の軍艦や警備艇に追われ、攻撃も受けかねない、危険で犯罪的なお仕事なのだ。
ひとつは、爆薬の原料を含む、武器弾薬の不法輸入だ、そして、もう一つは……
「洋上で軍艦や警備艇に遭遇することを避けなくてはならない大きな理由が、この上の中部船倉にあります。こちらへどうぞ」
サクマ博士はエレベータでなくタラップを選んだ。よほど慣れているらしく、左の義足をカンカンと鳴らしながらも、リズミカルに昇って行く。
そこは、船尾のスロープからつながる、最も大きな船倉で、一昨日には天井近くまで麻袋が積み上げてあり、魔女サルマの念力で無造作に袋の山を崩された、その現場だった。しかし今は……
船尾から船首に向かって横十五メルト、奥行百メルトにもなるフロアには、上層の床を支える金属パイプの柱が二列に立ち並び、神殿の回廊のようなそこを中央通路として、左右に部品を組み立てる作業台が効率よく並べられていた。
作業台には、主要な部品を固定して、小さな部品を装着するための機材や道具類が揃っていて、先ほど見た下部船倉と同じように、数十人の工員が白いつなぎ服やざっくりした生地のエプロン姿で働いている。
こちらは下部船倉よりも女性スタッフが多い。針の穴に糸を通す正確さで、豆粒ほどの細かな部品をはめ込み、ネジ留めし、あるいは精密に溶接するといった、細やかで手工芸的な作業ばかり。しかも、それらの多くが、かざした手の下で直接触れることなく、魔法の念動力で行われている。
つまり、下部船倉で製造した部品類をエレベータで運び、ここ中部船倉で組み立てているわけだ。床下は部品工場で、ここは組立工場、しかも魔法使いの工房だ。
「すごい、本当に一昨日と同じ船とは思えないよ。ただの倉庫だったのが、いつのまにか工場に模様替えしている、これも魔法の力?」
「ふふふ……わたくしたち自慢のイリュージョンです、とお答えしたいですが、実はただのカラクリ仕掛けでしかありません」と、僕に付き従っているシェイラが答える。「作業テーブルの脚にはキャスターがついていて、倉庫に化けるときには左右壁面をスライドさせて、壁の内側に収納するのです。工場に戻すときは、テーブルをコロコロと引き出して、床の埋め込み式金具に固定します。重たくて精密な工作機械は、床面のハッチの蓋を開けて、せりあがってきます。急げばほんの数分で変身完了です」
そうか、そうやって人目を誤魔化して組み立てている、その完成品は……
作業台の列の終点にあたる平台の上に、一つ一つが木箱に入れて、低く積み上げられていた。
まずは銃身を短くカットしたショットガン。弦楽器のケースに収められている。
そして八八リミ口径の擲弾筒。これは断熱水筒に見せかける外筒とともに、一箱にセットされている。
想像した通りとはいえ、百丁単位で並べられていると、かなりの迫力、兵器に特有の冴えた殺気を感じずにおれない。
「なるほど、これは、海上察警なんかに知られたら大捕物になってしまうね……」
驚愕のため息を漏らす僕に、サクマ博士がにやりと笑う。
「三十六計、逃ぐるにしかず……ですからな。逃げ足こそが本船最大の武器でございます。困ったことに、この種の工場は陸上には建設できません、察警がしらみつぶしに探せば、いかな山奥に隠してもいずれ発見され、ある日突然に強制捜査の重装警吏が押し寄せてきます。武器庫や弾薬庫なら一気に爆破して証拠隠滅をはかれますが、工場はそうもいきません。それに、世界中から集めた貴重な工作機械や特殊工具が失われます」
「だから、浮かぶ工場にして、世界のどこへでも逃げていけるようにしたわけですか」
「さようで、海は広いな大きいなでして、この船をポツンと小さく隠してくれます。とりわけ捕鯨母船はサイズ的にも機能的にもうってつけでしてな」
「ワカミヤ丸の真の姿が、これだというわけですね」
平台の一つには、目下試作中の新製品が置かれていた。
ひとつは、片手でどうにか握れるほどの、太めの水道管といった感じの砲身だ。箒よりも長い。砲身の付け根に当たる機関部には、辞書ほどの大きさの弾倉が差し込めるようになっている。
「口径二十リミ」我輩はテーブルのノギスを借りて測りながら言った。「これ、対戦車ライフルじゃないですか!?」
「おお、猊下、よくご存じで!」と感激するサクマ。
「いや、前世記憶です、どこかの異世界で下っ端兵士をやったことがありまして、あっという間に転生するはめになってしまいました」
「それはご不幸なことで」
「戦果をあげて英雄になる前に、さっさと人生からお払い箱ですよ」
「そうですな……戦場ではたいがいみんなそうですよ、将来のある元気な若者が一発撃つ暇もなく、無慈悲に殺されてゆきます……」
声の震えを感じた。サクマ博士は戦争経験者だ、それも負け戦の。
ここで対戦車ライフルを試作しているということは、もちろん、いずれ陸上戦で戦車を相手にすることを予想しているからだろう。
公王府図書館で読みあさった『陸軍画報』や『月刊機械化』を思い出す。
たしか、首都エリスに駐留している最強の陸上自走兵器は陸軍の軽戦車と察警の装甲車。重戦車は数が少なく、はるか山向こうにあたる、エリスフジの裾野の演習場に置かれている。
たしか対戦車ライフルなんてものは、まだ公国陸軍でも実用化していない。小銃を大型強力化することで戦車の装甲を射抜くなんて大胆な発想は、まだ考えついていないのだ。
これがあれば、軽戦車と装甲車を撃破することが可能になる。
つまり、首都エリスの市街戦に絞れば、対戦車ライフルは兵器の女王様となれるわけだ。
しかし、そのようなことを話題にするのは避けた。
うっかり口にして、「いっちょブワーッとやりましょう猊下!」なんてノリになったら、大変なことである。戦車を乗り回す部活ではないのだ。目の前にあるのは、本物の人殺し道具、プロの凶器なのだから。
「この対戦車ライフルには、風変わりな特徴がございます。発射する弾体は七連発で弾倉にセットいたしますが……」
サクマはその一発を手に取って、カートリッジに連結された直径二十リミの弾頭を見せた。
黒水晶のような、闇を固めて結晶化したかのようなその弾丸は、不思議なことに、かすかな“黒い光”を放っていた。サクマは言った。
「これは魔弾です。ボヘミア国のザミエル商会に作らせた厳秘の特注品でして、希少な黒色魔法石に、弾道妖魔が仕込まれているのです」




