005●第一章③悪の独裁者《すうきけい》と爆笑貧者《ドタバタルンピー》20240915再修正〉
005●第一章③悪の独裁者と爆笑貧者20240915再修正〉
僕は大通りに面したある建物に注目した。
劇場だった。『悪の独裁者と爆笑貧者:くたばれ愚民ども!』と大書した看板がライトアップされ、その下に当日券待ちの列がとぐろを巻いている。
新しい枢鬼卿を歓迎する群衆の流れと劇場の客たちが交わって、人波が車道に溢れたため、俺の馬車は停止した。
馬車列を通すために、警備を担当する騎兵が横に並んで前進する。「猊下のお通りだ! 道を開けよ!」と彼らが露払いに励むのを横目に、シェイラが詫びた。
「申し訳ありません、猊下のご降臨を寿ぐ民人があまりに多く、しばしの御足休めをお許しくださいますよう」
「いやいや、全然かまわないですよ、ゆっくり行きましょう」と僕はおおらかに応じて、“シモジモ”の人垣に笑顔で手を振る。ファンに囲まれるアイドルの気分、悪くない。
劇場に目をやると、チカチカと輝き始めたネオンサインに照らされて、立派な石造りの劇場の二階部分には、我輩の前世記憶にある“畳”で四畳半ほどの大きな絵看板がずらりと並び、芝居の内容をでかでかと宣伝している。
停止した馬車はなかなか進めず、俺はその絵柄をじっくりとながめ渡すことができた。
いわば、手描きの巨大紙芝居だ。
最初の登場人物は、枢鬼卿だ。ブクブクの肥満体で、黄金の烏帽子を被り、金襴緞子の長衣を引き摺ってノシノシと歩き、ひれ伏す政治家や役人たちの上に立つ。
ああ、これが看板に言う「悪の独裁者」か、我輩の前世記憶によると「ダー」とか「スー」とか「ベー」とかいった感じの名前の、真っ黒なカブトを被った黒マントの、銀河帝国を支配する大悪役みたいなイメージであるが……。
彼の黄金の椅子の下には、金銀財宝と札束の山、そのまた下には、人間ピラミッドの要領で土台をなす市民たち。
そこにふらりと現れる、破れたドタ靴でボロボロの作務衣っぽい衣服を纏った貧乏青年。
なるほどこいつが爆笑貧者なんだな、と俺は納得する。
爆笑貧者は、あの手この手で悪の枢鬼卿の足元にまとわりついて、金銀財宝と札束の山を掘り起こし、彼の権力の土台となっている下級庶民の人間ピラミッドをバタバタと崩すや、枢鬼卿を椅子ごとひっくり返す。
激怒した枢鬼卿は爆笑貧者を追い回すが、貧民青年は落ちていた鍋を拾って頭にかぶり、同じく拾ったフライパンを巧みに使って身を守り、追跡する官憲たちを翻弄する。このあたり、愉快なド突き合いを披露するドタバタ喜劇だ。
「ははは……」ギャグマンガそのままに展開する絵看板を指さして僕は笑った。「面白そう、あんな出し物をやっているんですね」
「げ、猊下! 申し訳ございません!」シェイラが意外なほどに狼狽した。うろたえ方がやや大げさに感じたほどだ。「あれは下民たちの下賤な猿芝居に過ぎませぬ。猊下の御目を汚しましたこと、すべて私めの不手際でございます!」
ここで幕引きとばかりに馬車の開いた窓に黒ドレスの袖をかざして、“下賤な猿芝居”の光景を遮ろうとするシェイラの手首を、俺は軽くつかんだ。
「かまわない。ちゃんと見せてくれ」
「あ、猊下、畏れ多い……」
シェイラが戸惑い、声を震わせた。黒レースの手袋の上からとはいえ、彼女の手首はほっそりとして小枝のように華奢に感じられる。といって骨ばってはおらず、やわらかくも芯のある弾力。
もうしばらく握っていたいと思わせる感触だったが、シェイラがそっと手を引いたので、俺も渋々と、シェイラとの魅力的なスキンシップをあきらめた。
というのは、シェイラの冷たくも端正な頬筋に瞬間的ではあったが、恥じらうかのように赤身が差したからだ。
なんといっても大衆の視線がこちらに集中している。馬車の窓越しに美貌の女性補佐官の手を握り続けたら、少なからぬスキャンダルのネタにされかねないだろう。
ということで我輩は、“下賤な猿芝居”を話題にした。ここは慌てず、鷹揚に処するに限る。
「要するに、威張り腐った権力の象徴を引きずり降ろして馬鹿にして、滑稽な芸で笑わせて、大衆の憤懣のガス抜きを狙った芝居なんだな。それでいいじゃないか。ただの猿芝居だ、架空の絵空事だ、目くじら立てるほどでもないだろう」
「え、ええ……しかし猊下、先代の枢鬼卿様はこの芝居がロングヒットしておりますことにたいそうご立腹で、あれは枢鬼卿の権威に盾突く不敬罪だ、主演の役者を捕まえて処刑せよとお命じになられました」
「しかし、そうはならなかった、だからこうして、首都の大通りの劇場で、我々の目の前で上演されている」
「はい」とうなだれるシェイラ。「宰相のウーゾが、憲法に保障する表現の自由に免じて、当分は上演を許してやるしかないと、取り締まりを渋りまして。察警庁のベジャール長官も同調しましたものですから、一切の罪に問えておりません」
表現の自由。つまり民主国家ということか……と、ほっとした僕は言う。
「まあ、憲法でそういうことなら、かまわないよね。面と向かって誹謗中傷されるわけじゃなし、あくまでフィクションと銘打った芝居なんだから」
そう、それに幸いなことに、絵看板でズッコケている悪役枢鬼卿のその顔は俺ではなく、さきほど国葬の斎場で見た遺影とそっくり……すなわち、先代の枢鬼卿だったのだ。これなら気が楽である。
ちら、と俺は横を向いて、馬車の窓枠の横にはめ込まれた小さな鏡を見る。パレードの最中でも自分の姿を確認できるように配慮した工夫だ。
そこに映るのは、顎が細く鼻筋の通った二十代の青年の、男ながらファニーなフェイス。ちょいと塩顔だが笑えば悪くない、少年めいてお茶目に見えるぞ。
鏡に向けて一瞬ニマッと笑い、ああよかった……と胸をなでおろす俺。
「先代には悪いけど安心した。お芝居の枢鬼卿の顔は俺の顔じゃないからね」
「も、もちろんでございます猊下! 猊下のお顔であんな猿芝居をさせるなど、このシェイラが絶対に許しませぬ。憲法にどう書いてあろうとも、私に下命なさればあの大根役者、スッパリと斬って捨ててご覧に入れます」
さすがに大っぴらには言えず、小声で俺の耳元に囁いてくれたのだが、つまりシェイラは、非公然にして非公式の暗殺も日常業務に含めているということだ。
俺はうなずいて答えた。
「それは心強い、頼りにしているぞ。しかし今は、あのような芝居でも庶民の貴重な娯楽、我輩も一度、観客席に座ってみたいものだ」
「はい、落ち着かれたら手配いたしましょう」
にっこりとほほ笑むシェイラ。彼女もこの猿芝居はそれなりに面白いと感じているようだ。
しかしこれで、我輩に関わる一つの状況が読み取れた。
さきほど葬式を出された先代の枢鬼卿はワガママ放題の守銭奴で、独裁者と揶揄されるほど国民から嫌われていた。パラハラとオネダリのカタマリらしい。こんな芝居で笑いものにされるほどに。
だから、先代が死んで我輩が降臨したことが、今、国民に大歓迎されているのだ。
そして先代の枢鬼卿をバカにする“下賤な猿芝居”をやめされることは、憲法の規定によってできなかった。……と言うのは実はタテマエで、宰相のウーゾとかいう人物、自分でなく枢鬼卿の人気を落とす芝居なので、むしろ密かに後押しして続演させたのだろう。なぜならば……
観客だ、よく見るとシェイラがいうところの下民はどこにもおらず、ここにいるのは上民だらけだ。
というのは、この劇場は首都エリスを貫く大通りに面している、一流の公的施設だからだ。我輩のもやもやした前世記憶では帝劇とかオペラ座に相当する。チケットの値段は高く、貧しい庶民が気軽に利用できる大衆的な場所のはずがない。
劇場のチケットブースに集う観客たちは、みな、上流っぽい小ぎれいな服装をしている。
一般市民の貧富の格差は、そのコスチュームにわかりやすく表れていた。貧しい下民は、我輩の前世記憶にあるところの“作務衣”を思わせる、和服調の衣類だ。これがエリシウム公国の昔ながらの民族衣装なのだろう。履物は下駄か草履に類する木質サンダルか、ときどきアンバランスだが革靴で歩いている者もいる。
対して富裕層の上民は、“洋服”を思わせるデザインが多い。男性はスーツとスラックスに山高帽かシルクハット、女性はワンピース・ドレスに様々な文様の装飾帽子が主流のようだ。
上民と下民のファッションの基礎的な差は、生地の素材だ。光沢がまるで違う。我輩の前世記憶に照らし合わせると、上民はシルク、下民は麻ってところだろうか。
我輩がかつて転生していた異世界で“メイジ”という元号を使っている国があったが、その国の風俗や大衆文化に似ているようだ。
この劇場を訪れる上民の人々には、舞台で踊る爆笑貧者みたいなドタ靴とボロボロ作務衣みたいな、粗末な身なりの人物は一人もいない。
それどころか、個人所有の馬車か、小型ながらも金属製の自動車で乗りつけてくるリッチな客もあちこちに認められる。自動車は排気ガスを出していない、ということは電動か。
だからこの高級劇場の出し物は、貧しい庶民に見せるための“下賤な猿芝居”のはずがない。
ハイソサエティな高級ミュージカル・コメディなのだ、それが真実の姿だ。
では、何が面白いのだろう?
並んでいる絵看板の最後の一枚に、答えがあった。
悪しき枢鬼卿を散々小馬鹿にした爆笑貧者は、芝居のラスト近くで宰相のウーゾらしき人物が差し向けた官憲に捕まって、殴る蹴るのボコボコにされる。のみならず貧しい庶民たちからもバカにされ、卵やトマトみたいな野菜とかの生ゴミ類を投げつけられ、群衆に踏みつけられてグチョグチョのスライム状態にされてしまう。
それでも本人はめげずに立ち上がって、酒瓶片手にフラフラとよろけながら千鳥足のタップダンスを披露する。彼の正体は正義の反骨者ではなく、ただの酔っ払いだったのだ。しかしそれでも本人は幸せそうに、酩酊者のグネグネ踊りを続けていく……
ということで、この芝居は、「貧しい庶民が権力者をバカにする」というガス抜き作品であると見せかけながら、その結末は「豊かな人々が貧しい愚者をバカにできる」演出に帰結しているのだ。
だから宰相のウーゾは、この芝居を気に入って、上演を許している。
枢鬼卿は、宰相よりも位が上なのだ。だから宰相のウーゾにとって、自分の上に立つワガママな枢鬼卿をネタにして蔑み笑い、なおかつ自分の権力で不敬者を取り締まってボコボコにするこの芝居は、観ていて気分のいいものなのだろう。
だが、謎が残る。
猊下が気に入らなかったら、主演の役者を暗殺して差し上げます……と、シェイラは請け合った。それならどうして、先代の枢鬼卿の意を汲んで、暗殺を実行しなかったのだろう?
現に、芝居は上演され続けているのだ。
ということは、なにか理由があるのだ。主演の役者を、あえて暗殺せずに生かしておく理由が。
「あの役者さ」と、僕はシェイラに尋ねた。「凄い名優みたいだね。国民的スターなの?」
シェイラは穏やかな表情でうなずいた。
「リーチャー・プッチャリンですね。今、人気絶頂です。演技がとても上手いんですよ。このお芝居では悪の枢鬼卿と爆笑貧者を一人二役で演じています」
「あ、そういえば顔もそっくりだね」
絵看板に描かれた枢鬼卿と爆笑貧者はどちらも先代の枢鬼卿と同じ顔をしていた。円縁眼鏡にチョビ髭の、にやけた間抜け面だ。もちろん地顔でなく、メーキャップでそっくりに見せているのだが……
「でも、これ、舞台演劇でしょう? 二人が同時に顔を合わせることは、物理的に不可能なのに」
「そこなのです」とシェイラはここぞとばかりに解説した。「主役のリーチャーは枢鬼卿と爆笑貧者を入れ代わり立ち代わり演じます。二つの役が同時に出演するときは、どちらかを等身大の操り人形が演じるのです。たとえばリーチャーは、貧者を演じながら枢鬼卿の人形を天井から降ろしたワイヤーで操り、しかも腹話術で枢鬼卿のセリフも喋ります。一つ一つの場面はお馬鹿なギャグにすぎないのですが、リーチャーの演技力は神業なのです」
「あ、そうか」と我輩は納得した。なるほど、あっさり暗殺するには惜しい才能を持つ傑物ということだ、リーチャーという主演俳優は。「彼の芝居のネタは平凡でも、芸達者なのでビッグな笑いを取れるんだ。お笑いグランプリならぶっちぎり大賞の実力だね」
「オワラーイぐらんぷり?」
「あ、いやいや我輩の前世記憶に残っている、お笑い芸人がその人気を競い合うトーナメント試合だよ」
「そんなものが、どこかにあるのですか?」
この世界ムー・スルバからしたら、転生しなくては行けない異世界のイベントだ。不思議に思われても当然……とか考えたところで、ようやく車道に広がった群衆を左右に分けることができたらしく、車列が進み始めた。
そこで、我輩は気付いた。
シェイラのやつ、わざと、ここで停止するように仕組んだのではないか?
俺が演劇の内容に興味を持った時、「げ、猊下! 申し訳ございません!」とうろたえたシェイラの態度に、かすかながら、わざとらしさを感じたのを思い返す。
彼女はさりげなく偶然を装って、劇場の前でしばらく馬車を止めた。
そうすることで、『悪の独裁者と爆笑貧者:くたばれ愚民ども!』という演劇がお金持ちの人々に受けていることを、新しい枢鬼卿すなわち我輩に認識させたのではないか?
そして芝居に対する我輩の反応を観察したうえで、自分が枢鬼卿のために暗殺すら引き受けていることを示す。
そこでさらに我輩の反応を再観察して、判断の材料にしているのだ。
どのような判断を?
それは明白。
突然にポッと降臨した新枢鬼卿の若者が、“自分の忠誠を捧げるに足る人物であるか否か”を見極めるためだ。
シェイラと言う美貌の補佐官、見た目だけでなく、なかなかのやり手とみた。
さて、俺は彼女の上司として、合格に値するのかな?
いずれ、わかるだろう。