049●第七章⑥公国vs帝国、路上の激突? ♪帝国は、強い……
049●第七章⑥公国vs帝国、路上の激突? ♪帝国は、強い、強すぎる……
“バカサンバ”の集団が前方を埋め尽くしたので、俺たちの辻馬車は停車してやりすごすことにした。
「みなさん楽しそうですね。枢鬼卿猊下がエリシン教の信者にお授けになった有り難き寿歌として、巷の貧民層に流行っていると聞き及んでおりましたが……これはまた、超ベリーグッドに絶賛拡散中といった感じで」
シェイラが気楽にながめるバカサンバの集団は一つだけではなかった。ヤンヤヤンヤと踊る人々の、次なるグループが別の路地から現れて、合流する。
「うーむ……」
憮然として黙るしかない。
「猊下、いかがなさいました。浮かぬ顔をなさって。よろしいではありませんか、世にも目出度い寿歌で神様を祝福させていただくことは、貧しい市井の信者にとって、この上ない喜びでございます」
この馬鹿踊りが、寿歌かよ……
「んなこと言ったって、シェイラ、こちらは複雑な心境だよ。見たところ、ただ脈絡も見境も無く騒いでいるだけじゃないか? 第一、場違いにもほどがある。今の今まで死体だらけだった現場なのに」
「仰せの通りでございます。しかしご覧ください。かれらは“ロバの葬儀屋”が片づけた道を選んで練り歩いております。たぶん、皆はバカサンバを歌い踊ることで、この救いようもない不幸を猊下の寿歌の神通力で清めようとしているのでありましょう」
そうか……と合点する。バカサンバ集団は、さすがに餓死者が転がった道を踊り歩くのは控えているのだ。そのため必然的に“ロバの葬儀屋”の後をつける形になっている。
「見ようによっては、霊柩車について歩く新興宗教の葬列に見えなくもないなあ、ただし、思慮浅薄で能天気な破天荒信教ってところか」
いやしかし、こんなところで現状肯定していいものやら。
僕たちの辻馬車は前後をバカサンバの自発的歌舞音曲団体様にサンドイッチされてしまった。先頭を進むロバの葬儀屋がいつのまにか、するりと横道へ逸れると、僕たちは馬鹿踊りの勝手連の一部となって、そのまま表通りに押し出される。
不吉で不潔な闇の世界から、金満の光に輝く豪華な世界へ。
ドンチャカと踊り狂う貧しき下民の集団が、超高級なホテルやレストランからディナーを終えて夜の盛り場めざして繰り出した上民の集団に激突する。
広い歩道に渦巻く困惑の叫びと怒号は、おおむね上民の紳士淑女が発したものだが、たちまちバカサンバの奇声と伴奏に呑み込まれる。
踊る集団はいちおう大衆的なマナーに配慮してか、自然に隊列を変えた。見た目がみすぼらしいと自覚している者は集団の内側に、外見に比較的自信のある者と、最初から街角を練り歩くつもりだったらしい揃いの浴衣のダンサーたちと、歌と伴奏で盛り上げるサポートチームが集団の外側をコーティングする。
♪ 皆々サンバ 皆サンバ 笑って浮かれて 空を見上げりゃ
お天道サンバ お月サンバ
円く光って 燦燦サンバ!
やんや踊ろう 皆々サンバ おめでとサンバ ご愁傷サンバ!
バカサンバの阿呆な歌詞が、偶然の産物とはいえ、いまや千人近くの歌声の濁流となって、高級な街路のストリートオルガンや、老舗レストランのテラス席に流れる弦楽四重奏の優美な調べを木っ端微塵に粉砕した。
「お、おい、ここって、ザンギ区の大街路じゃないのか?」
公王府図書館で『公国ブラ歩き~首都エリス編』を読んでおいたので、ページの写真と現実の場面が一致した。ネオンの煌めきと一体化した、石造りの高層建築はホテルと百貨店と美術館と劇場の複雑な集合体だ。しかも屋上には観覧車、つまり遊園地まで備わっていて、イルミネーションに輝いている。
「はい猊下、首都エリスで最も繁華な観光名所です。ここからアクササ区の戦争寺までの一帯は、国内最大の歓楽街となっておりまして……」
と、シェイラもさすがにバカサンバ集団の狂喜乱舞にあきれたのか思考停止ぎみで、きょろきょろと周囲を見回して観光案内なコメントを呟く。
「本日は凄い人出です。エリス港に各国の観光客を乗せた豪華客船が何艘も到着しています。公国の通貨ネイが下落したため、海外からの訪問者にとって、エリシウム公国が低価格で楽しめる安物の観光国に成り果ててしまった結果です。観光客の増加は国家経済の活性化に大きく貢献している、これぞウーゾ宰相の功績である……と、ウーゾ政権の報道官は自慢していますが」
「それって、良いことかな?」
「その逆であると存じます」とシェイラはキッパリ。「外国人の財布を当てにしたビジネスに傾倒するばかりで、肝心の国民を豊かにして地場産業を育てることを忘れています。貧しい市民を渡来外国人の足下にかしづかせて、奴隷的奉仕に従事させているのが実態と考えてよろしいでしょう」そして、いまいましそうにため息をつくと、「裏町では、年頃の若い娘や少年を見かけませんでしたね。それら少女や少年たちは今夜、あの紫の髪の外国人たちに春を売るために、ホテル裏の路地で“立ちんぼう”しているはずです」
「そういえば、あいつらは一体……」
バカサンバの集団に歩みをはばまれて怒り、怒鳴り散らして拳骨を振り回している、紫色の外国人の団体が目立ち始めていた。肌の色は僕たちと変わらないが、紫色の髪に判で押したように紫色のローブ衣装をまとい、お揃いの紫色の杖を持ち、ツアーコンダクターが掲げる紫色のプラカードを中心にまとまっている。ただし、身に着けた装身具はキンキラの一流品、明らかに公国の下民よりも、桁違いにリッチな観光客だ。
「サヴァカン帝国の臣民たちです。帝国人にとって、紫は強くて勇猛な正装を意味しますので、全身を紫色で装うのが習慣になっています。そして」とシェイラ皮肉めいて、「虚栄心も傲慢も横暴さも、かの国では紫色をしているようですわ」
サヴァカン帝国は、南の海の彼方の大陸を支配する専制国家だ。皇帝陛下のもとに強大な軍事力を誇り、周辺の小規模な民族国家を力ずくで併合し、名目上は連邦制を取りながら、実体は皇帝一人が何もかもすべてを支配する大帝国を築き上げようとしている。
近年、“親善友好”の名のもとにエリシウム公国へ外交攻勢をかけていて、公国が旅行ビザの滞在要件を大幅に拡充したことを受けて、帝国からの観光客が倍増また倍増して、エリシウム公国のインバウンド観光客の八割を超えるという。
街路では紫の集団が一気に増えていた。ひときわ大きくて豪奢な劇場の演目が幕引きとなり、帝国臣民の観客がどっと路上に繰り出してきたのだ。
みな、ゲラゲラと笑い、ろれつの回らない口調で騒いでいる。劇場内はホワイエのバー以外では禁酒のはずだが……
あとで聞いた話だが、多くの者がカートン単位で酒を持ち込んで、客席を宴会場に変えていたようである。観客の八割はサヴァカン帝国の臣民ツアーなので誰も止めなかったが、残り二割の客は観劇どころでなくなり、すっかり気分を損ねて途中で退出したらしい。
いまや紫一色に染まった劇場エントランスの上に目をやると……
『悪徳知事と爆笑貧者:くたばれ愚民ども!』
四畳半ほどもある巨大な絵看板には、いかにも私腹を肥やしておりますとばかりに、でっぷりと肥満した“悪徳知事”がふんぞり返る執務席の足元にひれ伏して、知事の靴で足蹴にされる爆笑貧者が描かれている。ただし、爆笑貧者の手にはライターが握られていて、椅子の脚にくくりつけた爆薬の導火線に点火しようとしている、というお騒がせなシチュエーションだ。
そして、タイトルの上にはでかでかと“世界一の喜劇俳優リーチャー・プッチャリン特別公演!!”
「これはこれは、この世界へ転生してきたその日、我輩の先代の枢鬼卿をパロディネタにして三文芝居を打っていたプッチャリンじゃないか! たしかあのときは公城の西側の劇場だったっけ」
「はい猊下」とシェイラ。「首都エリスの西方、ヤブシ区の文化劇場でしたが、今はこちらザンギ区の公国劇場に小屋を移しました。公国最大級の大劇場で主演を張るまでに出世なさったわけです」
「それは目出度い。けれど、相手の悪役キャラを枢鬼卿から知事に変えたのは、どうしてかな」
シェイラは笑顔で「猊下が枢鬼卿布告で“異端は罪としない”と宣言なさったからですわ。あれが国民には大好評で、猊下はたちまち“善人枢鬼卿”とされて、“善い人”の代表として褒めたたえられているのです」
「そんなに善い子だったつもりはないけどねえ」
「ご謙遜を。あの布告で数千人の“異端刑事犯”が解放されて、命を救われたのですから。くだらない冤罪で殺されるかもしれなかった人々とその家族から、猊下はこのうえなく感謝されているのです」
そのような経緯で、プッチャリンは枢鬼卿を悪役に据えることができなくなり、かわりに、県民から賄賂と供物を集めたうえに愛人を囲い、知事選挙で票の買収を公然と行って平然としている破廉恥な某知事をパロディネタに持ってきたという。
まあ我輩としては、いつまでも悪役のままお笑い芸人にコケにされているのは有り難くないので、それはよかったと胸をなでおろしたものの……
「えっ、あれは何? あの看板は……“第一回バカサンバ全国大会:B3グランプリ開催決定! 大会まであと39日”って、何のこっちゃら?」
思わず声が上擦った、何を考えてやがるんだ、プッチャリンという、あの、おバカ芸人は!
僕の怒りを感じてか、シェイラはやや慌て気味に答える。
「ですから猊下、ご覧の通り、猊下のおバカサンバがシモジモの民草に大流行のきざしと相成りまして、各地にバカサンバを愛好する勝手連が大挙発生しました結果、プッチャリンが音頭を取って、全国大会を提唱しておるのでございます」
「や、やめちくれ~!」我輩は頭を抱えた。「恥ずかしくてマンホールに投身したい気分だ、あんな馬鹿踊りのどこがいいんだ! ええいもうプッチャリンめ!」
「思いますに、いいところは山ほどあります」と、シェイラは冗談抜きの真顔でなだめてくれる。「まずは誰でも歌って踊れること、音楽的素養の乏しい音痴君だって平気です。ですから参加性が極めて高くなります。しかも考案なさった枢鬼卿猊下は善人です。基本的に好かれているのです。だから、歌って踊れば楽しくなれます。貧しい生活の中で、いっときでも不幸を忘れることができるのです。そしてなによりも大きなメリットは、宰相のウーゾや察警庁長官のベジャールにも、このバカサンバは禁止できないということです。枢鬼卿猊下じきじきの“作品”なのですから。 バカサンバを歌い踊ることを罪に問うことはできません。取り締まれば、エリシン教に対する宣戦布告になってしまいます。ですから、検挙できてもせいぜい交通法規違反で罰金どまりです。だからみんな安心して歌い踊るのです、この窮屈で閉塞的で不自由な気分を吹き飛ばすために、つまり……」
俺は直感した、そういうことか、それならわかる、大納得だ。
「みんな、自由を満喫したいんだ、たとえ一時的な、かりそめの自由でも」
「御意! バカサンバは、そのための手段なのです。貧しい下民に許された、数少ない“自由”の一態様だと存じます」
そのとき、僕はまるで気づいていなかった。シェイラの深謀遠慮を。
まさか、のちのちにバカサンバが兵器に応用されるなんて……
そのことに思いもよらぬまま、バカサンバのお囃子に包まれていると、異変が起こった。
公国劇場の玄関前のスロープを埋め尽くした紫色の団体観光客が、なぜか統制がとれているかのように隊列を組むと、ツアーコンダクターが紫の杖を上下に振って拍子を取ったのだ。野太い声で勢いよく合唱が始まる。
♪ 帝国は 強い 強すぎる
植民地 弱い 弱すぎる
皇帝は すべて 支配する
逆らうと 殺す 踏み潰す
帝国の 艦隊は 常に勝つ
お前らは 奴隷 虫けら以下
おいおい……と、我輩はいぶかしんだ。
この歌、あまりに挑発的だぞ。上から目線すぎるぞ。
はらはらしながら注視していると、バカサンバ集団と帝国臣民集団は歩道で正面から出会い、互いに道を譲らず押し合いへし合いして、車道にあふれた。
馬車も路面電車も、数少ない電気自動車も、停止を余儀なくされる。
たちまち歩行者天国状態となった交差点で、バカサンバ集団とサヴァカン帝国の紫色集団が、混じりあうことなく対峙する。
それは、これからホテルの裏道で春を売る側の貧しき庶民と、春を買う側になる富める外国人の、悲しくも宿命的な出会いであった。
※筆者注……「♪帝国は 強い」に始まるサヴァカン帝国の帝国行進曲は、想像しますに超有名な某スペースオペラ映画に流れる同種のメロディで歌われたのではないかと推察されます。
ただし私たちがあまり大っぴらに歌うと、おそらく音楽著作権上、重大な問題が発生するかもしれません。
そこで、『行進曲 軍艦(軍艦マーチ)』の曲で自虐的に歌われるか、「帝国の 艦隊は 常に勝つ」の次に「帝国は 強い 強すぎる」を追加して『ルール・ブリタニア』で歌われるのがよろしいかと思います。両曲とも現在はパブリック・ドメインに帰属しているはずですので。
なお、「♪帝国は 強い」以下の歌詞はいかにも前時代的で陳腐な内容でありますが、残念ながら21世紀の現在の世界そのものではないかと思います。ほら、「帝国」と「皇帝」を「Tランプ」に、「植民地」を「Мキシコは」とかに置き換えれば……




