044●第七章①ワカミヤ丸の魔法攻防戦、大人たちの虚々実々。
044●第七章①ワカミヤ丸の魔法攻防戦、大人たちの虚々実々。
首都収税局、察査部の収税官は三十名ほどにもなるだろうか。集団を指揮する若き女性官吏のサルマとオヤジ風のフェンステルを中心に、ワカミヤ丸の傾斜路の前にずらりと二列の横並びでスクラムを組んだ。
傾斜路の上にはシェイラただ一人、と思ったら、そうではなくて……
「集えマドロス海兵!」
シェイラが叫んでピュウッと口笛を吹くと、こちらも瞬時に数十名の男がずらりと登場してスクラムを組んだ。全員、青白の横縞Tシャツがはち切れんばかりの筋肉男。ワカミヤ丸の水夫たちである。
「ここは私有船だ、税金取りの木っ端役人どもを入れるな、不法侵入を阻止せよ!」
シェイラの指令が大音声で轟く。
「ひるむな収税戦隊、突入せよ!」
女収税吏サルマの金切声がこだまして、屈強な男たちの集団が激突した。
「官対民のガチンコ勝負、脱税か節税か、ド根性の押し競まんじゅうです!」
倉庫街の陰に停めた高級馬車の窓から観戦する僕に、シドが実況で解説してくれる。
「両者一歩も譲らず、盛大な掛け声、“おーえす、おーえす”は収税戦隊、“あいあい、さー”は、われらがマドロス海兵であります。双方猛烈な圧力、汗みどろマッスルの火花炸裂、おお、さっそく悲鳴が上がってまいりました。官民の接触面から“痛い痛い”の合唱が漏れ聞こえております。見えないところで黙って足を踏みつけ、またぐらを蹴り上げ、相手の下腹部にパンチを見舞ってやるという、卑怯な隠し技。見えなければ、わからなければ、いかなる暴力も容認されるという非情の掟。昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友のふりをしたやっぱり敵、容赦ない下半身の戦いが、男たちを燃え立たせております!」
高級馬車の中にまで、男の声で「痛い痛い痛い」の悲鳴が聞こえてくる。
「あの痛い痛いの声は、つまり暴行罪にあたるとアピールしているのかな?」
「さようでございます、猊下」と手に汗握るシド。「偶発的な押し合いへし合いではなく、意図的な殴る蹴るの暴力が判明すれば暴行罪で告発できます。どちらのチームも相手方こそ暴力をふるっていると主張するため、痛い痛いを連発して被害者面を決め込むのであります」
「どちらもいい大人なのに、やることがセコいというか、みみっちい戦術だねえ」と僕。
「率直なコメント、ありがとうございます」とゲストコメンテーターに感謝するシド。「まことに仰せの通りですが、オトナ同士の戦いとは、敵の落ち度を見つけて察警へ通報するチクり合いに尽きるのであります。この場合、隙あらば証拠フィルムを撮影し、察警に被害届を受理させるのが肝要。証拠映像さえあれば、刑事告訴に勝利します」
言われてみれば、敵方はフェンステルのオッサンが、こちらはシェイラ自身がそれぞれ騒動から少し距離を置き、八ミリクラスの動画撮影機を構えて、シャッターチャンスを狙っている。
しかし双方とも闘い慣れしているためか、ゲンコツもキックも、なかなか視認できない。
業を煮やして、先にキレたのはサルマの方だった。
敵味方合わせて五十人を上回る暴力団子状態の中心で唱える。
「ええい、バンカーバスター!」
サルマの頭上で五芒星型の魔法紋がピカリと光って立ち上がり、前方を指向する力場がズシンと響くと、マッスルなマドロスたちが紙相撲の紙力士のように吹き飛ばされる。
「リアクティブアーマー!」
間髪入れずにシェイラも唱えていた。瞬時に顕現した逆五芒星形の魔法紋が、飛ばされたマドロスたちをスプリングクッションのように優しく受け止める。
「ブリッツ!」とシェイラは反撃した、差し伸べた手指の先端から電撃がほとばしる。
「イージス!」とサルマは受けた。シェイラに向けた両手のひらに八角形の光の盾が生まれると電撃を跳ね返し、そのビームが逆にシェイラへと襲い掛かる。
が、シェイラは予測していた。
「プァフ・トイラカーマ!」で半透明のパラボラ型反射結界を形成、跳ね返されてきた自分の電撃を吸収しざま、「ファランクス!」で、パラボラの中心軸が高速回転し、多束砲身となってパルスビームの光弾をドドドドと撃ちだす。
「ゴールキーパー!」とサルマ、こちらもババババと光弾を超高速連射。
双方の光弾が両者の中間で鉢合わせして、まばゆいスパークを飛ばす。
「おのれ権力のメス犬め!」
シェイラが激高して罵声を上げた。とはいえ表面的な顔つきはにこやかな微笑のままだ。
「へん、宗教狂いの守銭奴が!」
シェイラよりは明らかに若いサルマだが、負けじとニコニコ顔で罵倒を返す。
二人の間のスパークは、ちょっとした火山の噴火を思わせる炎の乱舞だが、無数の光弾はすれ違うことなく、一発残らず正確に正面衝突している。恐るべき弾道制御力だ。
「ブス!」とシェイラ。
「ババア!」とサルマ。
「敵味方とも、予期せずして本音が出たようです」と高級馬車の中で、シドが不安げに解説した。「にこやかな憎悪、とでも申しましょうか」
「くわばらくわばら……」と我輩。「大人の本音って、どこの世界でも恐ろしいものだ」
「けだし、御意であります」とシドも認める。
しかしさすがにファランクス対ゴールキーパー、両者とも粘りに粘ったものの、十数秒でドドドとバババの応酬戦は途絶え、突然に沈黙した。
双方、弾切れである。
シェイラもサルマも、ぜいぜいと肩で息をしながら、睨みあう。
正直、俺は感嘆していた。
「にしても、すごいな。サルマって魔女だったんだ、魔女同士の戦いって、前世記憶で何度か遭遇したけれど、こんなに派手に火花が散るのは滅多に見ないよ。このエネルギー密度は、初めてじゃないかな」
「そうですね」とシド。「サルマは三級の魔法使ですが、昇格試験に落ち続けているので三級なだけで、実力は上位ランクの二級に匹敵すると聞いています」
「じゃ、シェイラは?」
「シェイラ様は魔法使としては無免許なのでノーランクです。最高魔法院の昇格試験など、最初からボイコットされていますので。シェイラ様の実力は一級どころか特級を凌駕されるかもしれません」
「そりゃ立派だ。ならばシェイラの圧倒的勝利じゃないか」
と、褒めちぎったところで、やにわにシェイラが、ぺこ、とお辞儀して告げた。
「まいった。サルマどの、通るがよい」
「れれれ、シェイラの敗け?」と面食らう俺に、シドか注釈する。
「敗けたふりです。魔法戦はエキサイトすると際限がなくなります。やりすぎて死人が出る前に、ほどほどで敗けてやるのが、当教団の定型的な戦術となっております」
「なんだ、芝居なのか」
「ええ、サルマ嬢は賢く狡猾です。あのように魔法戦を挑んで、シェイラ様の実力を測っているのです。ここで、無免許でも超一流の実力をシェイラ様がお持ちであることが判明しますと、サルマ嬢は次回から重装備の一級魔法使を連れてくるかもしれず、かえって厄介なことになりますので、今はあえて弱そうに見せかけて、敵に満足感を与え、油断させておくのが賢明ということですね」
「さすが、能ある鷹は爪を隠す……ってことか」
「タカという生き物は理解できませんが、私どものムー・スルバでは“寝たふりをするウサギ”という故事で伝わっております」
シドの説明によると……
これはウサギと亀が徒競走のレースで勝負する話なのだが、物事は単純ではない。
レースの一部始終が仔細に語られているということは、大勢の見物客がいて、歴史的な公式記録が残されたからだ、と考えていいだろう。
ということは、このレースは動物界の一大興行として成立していたと思われる。
ゴール近くは有料のスタンド席で囲まれ、レースの途中経過は公式記録員のウサギスタッフによって駆け足でスタンド席まで伝えられて、観客の動物たちを一喜一憂させていたわけだ。
つまり、観客のウサギや亀さんたちから料金を取って儲ける商業的なイベントだったということになる。それが、このレースの正体だった。
そして選手の亀は、レース出場前にこっそりと、ライバル選手のウサギに相当高額な金品の賄賂を渡し、自分が勝つように話をつけていた。
そのようなわけで、ウサギはレースの途中で寝たふりをして、わざと負けたのだ。
寓話の描写では、徒競走で圧倒的優位にあるウサギに対して挑戦状を突き付けたのは亀の方である。ということは、このレースを主催して有料イベントをプロデュースしたのは亀だったのだ。
亀はレースの観覧チケットを売って大儲けする傍ら、選手のウサギが納得できる高額の賄賂を渡して勝利した。
レースの結果が観客の常識を覆す名勝負になったことで、観客は興奮し沸き立って、大満足。
なんと、ウサギと亀と観客の“三方良し”のイベントが実現したというわけだ。
それに、たまのレースで負けてやったところで、選手のウサギが損するはずもない。両者、恨みっこ無しである。
いや、実はこのレース、もう一つ隠れた側面があった。
悪徳な賭博業者が暗躍して、観客たちの間で莫大な賭け金が動いていたのだ。
亀が勝ってしまう、という大穴の番狂わせは、賭博の元締めとなった動物マフィアに巨額の利益をもたらすこととなった。
賭けに負けた観客たちは不満かもしれないが、負けて不満になるくらいなら、最初からギャンブルなんかに手を出さなければいいのである。
賄賂で勝敗が左右された八百長試合と知れば抗議する者がいるかもしれないが、それなら八百長でないギャンブルなんてものがこの世にあるのかどうか、大人のあなたなら、それくらいわかるだろう? ……と、動物マフィアのボスはクックッとうそぶいて終わるだけである。
こうして悪人までホクホクに儲けさせた歴史的な興業の成功例は、寓話となって後世に伝えられることになったが、“じつは八百長試合だった”という真実だけは最後まで隠されたのだ。
「そ、そういうことだったのか」
僕は驚いたが、我輩としてみれば、大人の世界なんて、そんなものであろう。
そして今、目の前で展開している、収税吏たちとシェイラの戦いも、正義と悪といった二極対立の単純な勝負ではなく、大人と大人の狡猾さが火花を散らす、虚々実々の駆け引きであるはずなのだ、きっと。




