042●第六章⑥魔法の正体と、破壊された幻想。
042●第六章⑥魔法の正体と、破壊された幻想。
「箒ですか?」と、シェイラは面食らった顔で「あんなもので“空を飛ぶ”なんて、あり得ません。箒は、“怒突く”ためのものです」
「どつく?」
ムー・スルバでは、魔法使いといえども箒で空を飛ぶ技術を持ち合わせていないことはわかったが、“怒突く”とはこれいかに。と、怪訝な顔をした俺に、シェイラはごく真面目な顔を向けた。
「あそこにいるのは庭園冥奴に見せかけた鬼破番です。彼女たちの箒には鋼鉄の芯を仕込んでありまして、不法な侵入者を“怒突く”用途にもちいます」
無害な使用人に偽装して、じつは魔女の護衛官というわけだ。何を護衛しているかというと、もちろん枢鬼卿、すなわち俺である。
緑の芝生に玉ねぎ形のスライムを模した植栽が芸術的な庭園に佇む美女メイドさんたち……といった牧歌的な情景は偽物にすぎない。鋼鉄の仕込み箒だけでなく、彼女たちの長いスカートの中には短銃身のショットガンも隠されているのだろう。
やれやれ……と気抜けした我輩にトモミが正しい答えを返してくれる。
「箒は、掃くために使います。お掃除サッサ……と」
正確に、箒で地面を掃く仕草をしてくれたが、その姿は前世記憶に残る、とある貧困テーマのミュージカルの看板を飾る哀しきヒロインを思わせる。コゼットという名前だったか。
「でも」とトモミ。「ワガ様がおられた前世の異世界では、魔女は箒で“空を飛ぶ”のですね! 素敵です、憧れちゃいます、夜空を高く飛んで、スライムーン様のみもとへ近づけるなんて、想像するだけでもウットリです」
可愛いことを言ってくれるじゃないか……と、にやける我輩に、シェイラは冷たく合理的な認識を返す。
「怒突こうが掃こうが、箒は箒です。あんなものに跨ってぴょんぴょん飛び跳ねたりしたら、どうなるのか……」
「どうなるってんだい?」と俺。
「股ずれです」とそっけなく答えるシェイラ。「鼠径部が擦り剝けて、痛いのなんのですわ。治療に赤チンを塗布したら目も当てられない惨状となりまして」
「あかちん?」と僕。
「“魔キュロクロム液”です」とトモミ。「水銀を魔法処理した殺菌消毒液で、飲んではいけない要注意ポーションのひとつです、ちょうど血のような色をしています」
そんなものをお股に塗るはめになったのか、それは見るからにおそろしい……
シェイラが渋い表情を崩さないので、これは彼女の黒歴史らしい。空を飛ぶ気があったかどうかは定かでないが、本当に試したことがあるのだ、箒に跨って跳びはねてみたことが。
「ともあれ箒なんかで空を飛ぼうなんて、非科学的な発想です。重さのある物体が空に浮き続けるなんて、科学的合理性を否定する非科学妄想にすぎないと考えております」
夢の無い理屈だが、まあ納得はできる。
だが問題は、魔女がそれを言うことにある。
「わりとキッパリ言うじゃないか。でも、シェイラは魔法使いなんだろう?」
「モチのロンでございます!」
「でも、魔女であること自体、非科学の産物じゃないのか?」
「いいえ」ニンマリと微笑して、銀髪の美魔女は宣言する。「魔法は科学なのです」
「おいおい」と俺、「それって、自虐的自己否定タイプの利益相反型自己矛盾のセリフじゃないか? 魔法イコール科学ならば、魔法ってなんなんだ?」
「それは、正確に真実を申しますと、“魔法に見える科学”なのです。これはエリシウム公国の最高魔法院では邪悪な異端思想とされますが、わたくしども、公王府に属する“国教魔法使”は、堂々たる異端魔法使を称して、“魔法は科学、科学は魔法”と主張しておるのです」
どうやら、公国には最高魔法院という、魔法使の最高権威の学府があって、そこにとてつもなく偉い魔法使様が君臨されているようだが、シェイラとその部下の魔法使たちは、最高魔法院とは袂を分かって対立する別派閥ということだ。
最高魔法院からすればシェイラたちは異端の徒であり、シェイラからみれば、最高魔法院こそ許しがたい異端である。
まあ我輩にとってはどちらでもいいので、この関係を根掘り葉掘りして深入りするのはやめた。
魔法使たちの世界にも、ドロドロした対立と抗争の黒歴史が秘められているということだが、そうした議論の巻き添えになっても、得るものは少ないだろう。
「とはいえシェイラ、以前、“魔法は科学を凌駕している”って、言ってなかったっけ?」
「あ、あら、わたくし、そんなことを申しましたっけ」と、とぼけるシェイラ。
「確かに、どこかで聞いたぞ」
「ま、まあそれは、きっと……」と思案しながらシェイラは誤魔化す。「魔法には科学が内在している……という意味で申したのです。“十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない”という格言がございますが……」
「あ、それ、前世の異世界で聞いた記憶があるぞ、偉大なSF作家の……」
「アーサー・チャールズという、その昔、スクルージ消費者金融ギルドで働いていた一介の事務員が残した言葉ですね。彼はこう続けています。“また十分に陳腐化した魔法は、科学技術と見分けがつかない”と。彼自身が無免許の素人魔法使いでして、魔法を使って返済契約書の数字を書き換え、少ない利息と思わせて法外なボッタクリ利息を払わせる……という悪徳商法に加担していました。経営者のスクルージ氏があまりに強欲すぎたので、アーサーは内部告発で刑事告訴したのです。公王が裁定する王立裁判にまで持ち込まれ、借金の担保の品とされていた債務者の人体の局部を、魔法を使って一切の出血無しに切り取ることができるかが争われました」
「人体の局部を? どこかで聞いたような、ヘンテコな話だなあ。で、裁判の結末は? さぞや辣腕の女性弁護士が大活躍するんだろうな」
「おっしゃる通りです。結局、女性弁護士のいちかばちかの勇敢な提案により、スクルージ自身が自らの局部を出血ゼロで切断できるのか、その場で実証してみろと迫られて、敗訴を認めました」
「いやはや……ムー・スルバではシェイクスピアの名作がそのように伝わっているのか、世も末だな」
「魔法界では有名な判例ですよ。ペニスの商人」
「しっ、それを言うな!」
あわててたしなめた。隣でトモミちゃんが、きょとん顔で聞いているではないか! 幸いなことに、問題の単語の意味や蘊蓄は知らないようだが、それともカマトトを決め込んでいるのか。
「とにかく話を戻そう。つまり、魔法と科学は混然一体で、だいたい同じものってことなんだな」
「はい、図星です!」我が意を得たりとシェイラ。「わたくしが信じるかぎり、魔法はすべて科学で説明できるはずです。この世のいかなる魔法魔術から天才の奇術まで、ネタの無いマジックなどあり得ないのですから。そこには、科学的に合理的な事象を、魔法であると信じさせる巧妙なレトリックがあるだけなのです。魔法だか奇跡だか幻想だかを本気で信じる能天気な馬鹿者が放置されているのは、バカにつけるクスリがないからという、それだけの理由です」
「そ、それはまた、いささか過激な思想じゃないのか? 世界のファンタジーに対する正面切っての挑戦だぞ」
「だからアーサー・チャールズは偉大でした。彼は、“天使はじつは悪魔であった”ことをネタにした小説も残していますが、それほどに逆説的な男です。彼自身が魔法使いでありながら、魔法はペテンであると暴露したのですから。いい例が、大晦日の夜にやってきて、一年間良い子だった子供にご褒美の贈り物をしてくれるダイ・コック・サンタの伝説です。あれは親が百貨店で買っておいたプレゼントの品を夜中にそっと枕元においてやり、元旦の朝になってから、さもサンタが訪れたかのように驚き喜んであげるという、家庭内ペテンの典型でして、まさか今どき、真に受ける子供なんていないと思いますが、だいたい魔法の正体なんて、そんなものです」
「そ、そうか、ムー・スルバのサンタさんは、大晦日の夜の大黒様なんだ、福の詰まった袋を担いでおられるところが似ているので、混同して伝わっているのか」
「ダイ・コック・サンタはもともと神界の料理人で、左肩からグルメ食品の詰まった袋を背負い、右手には悪い子の顔を潰す打出之大槌を握っています。悪い子を見つけるとハンマーで撲殺することになっていますので、本来の伝説では、元旦の朝には、幸せな料理の入った重箱をもらった良い子供と、頭蓋骨を粉砕された悪い子供が半々というのが、伝説の正しい結末なのですが」
「それって、“ナーマ・ハーゲ伝説”との無理くりの合体じゃないか? 大晦日に出刃包丁を持って各家庭を徘徊し、出来の悪かった子供に、親に代わって私的制裁を加える鬼どものことだ。……にしても、ファンタジーの伝説はたいてい、歴史の長い時間を経て、良い子にとって……というよりは、親にとって都合のいいストーリーに脚色、捏造されてしまうんだな」
「ファンタジーはすべからく、百貨店が商戦で儲けるための陰謀です」
「違いない……はっはっは」と笑いごとで片づけた俺は、真顔に戻って凍り付いた。
トモミが、涙ぐんでいた。




