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041●第六章⑤明らかになる歴史、誰も空を飛ぼうとしなかった理由。

041●第六章⑤明らかになる歴史、誰も空を飛ぼうとしなかった理由。



 はるかな昔、シェイラやトモミ、そしてこの星ムー・スルバに暮らす人々のご先祖様たちは、宇宙からやってきた。

 真空の海を越えて移り住んできたのは人類だけではない。移民と同時に、家畜はもとより、その他さまざまな動物や昆虫や微生物のたぐいが、この星に持ち込まれたはずだ。

 しかしそのとき、この星の大気成分はそれらの生物の呼吸に適しておらず、鳥や虫が飛行できないほど大気密度が低かった。その時点で、空を飛ぶ生物たちは飛行という手段を捨てざるを得なかった。

 つまり、地面や海面よりも下の環境に適応する方向へと進化もしくは退化していったのだ。

 その結果、ムー・スルバの大空を飛行する生物は存在しなくなった。

 しかし、そのような環境条件のもとで、人類はどこで、どうやって暮らしたのか?

 大気がまだ安全に呼吸できないとしたら……

 もちろん地下だ。トンネルを掘り、地下に密閉空間を作って、呼吸可能な成分の空気を一気圧で満たす。

 植民した当初は誰もが地下生活を余儀なくされただろう。

 人類は何世代もかけて人口を増やし、地下都市を拡張していった。

 その名残なごりが遺跡化して、いまやムー・スルバの各所に大規模なダンジョンとして残されていると思われる。公王府図書館パラティヌスライブラリの地下、すなわち公城デュクストラの地下深くに複雑なダンジョンが広がっているという話とか、エリス島の西部地方には地中ダンジョンが張り巡らされていて、勇者たちのパーティーが日々、モンスターを狩って魔法石を採集しているという話と、矛盾しない。

 その一方で、大気の改良が進められたはずだ。

 酸素を含めた呼吸可能な元素を大気中に増やして、何らかの方法で大気圧を高め、一気圧に近づけてゆく。

 その作業をおこなったのが、天母コスモマザースライムーンだ。

 直径数百キロメートル、いやもっと大きな、超巨大スライムの外套に包まれた移民母船。

 あれが極軌道を巡りながら、惑星ムー・スルバに大量の化学物資を、膨大な時間をかけて散布していった……いや、その作業は今も続いているのかもしれない。

 天母コスモマザースライムーンは、おそらく太陽光と太陽風のエネルギーを使って各種の化学物質を半永久的に生産するシステム……驚異的な持続可能性を誇る“万能光合成工場”ではないだろうか。

 そして植民後数千年かけて、大気組成と大気圧が、人類の生存に適するレベルまで改善されていった。

 それが現在のムー・スルバなのだ。

 しかし、空を飛ぶ生き物たちは退化して、飛行能力を失ってしまった。

 そして何らかの事情で、飛行のための科学技術を、その記憶も含めて、人類も失ってしまったのだろう。

 このムー・スルバに植民したのち、人類の文明も退化してしまったのだ。

 積極的に“空を飛ぼう”と考えなかったために。

 そして、中世風の異世界に近いレベルにまで文明は後退した。

 かたや、大気が呼吸可能になるにつれて、人類は地上へと進出していった。

 このとき、人類はこの星の陸上と海洋に適応した家畜生物を伴っていた。

 その代表種が、亀《トータス&タートル》だ。

 過酷な環境に耐性を発揮した一部の亀が、他の生物種と交配して家畜化する。

 陸の亀牛かめうし亀豚かめぶた、は食用種となり、額や肩に甲羅を着た亀甲馬きっこうばは野戦兵器としても使役される。

 そして海洋生物として、全長数十メルトに達する亀甲鯨きっこうくじらへと急速進化したものが亀マグロや亀イカなどの水中生物を圧倒する海の王者として君臨することとなった。

 亀甲鯨きっこうくじらは今や有益な海洋資源となっている。事実、エリシウム公国の主要産業のひとつとして、捕鯨業があげられるほどだ。

 人類が地上に進出する一方で、地下都市は徐々に無人化して放棄され、深部からダンジョン化していった。

 それにともなって、宇宙から植民したときに持ち込んだ家畜やペットの動物たちが、地下深くの環境に適応して野生化した。

 それらの生物は無秩序に異種交配をおこなってキメラ化した結果、ダンジョンの地下第七層レベルセブン以下に生息するという、各種のモンスターへと“進化”していったのだ。

 地表に進出できた人類は、なぜか、かつての科学技術を維持して子孫に伝えることをせず、まるで先祖返りしたかのように、中世に近い封建的な社会システムを構築した。

 理由はよくわからないが、おそらく数百から数千年にわたる地下都市の生活は、閉鎖された環境で限られた資源を奪い合う社会を作り出し、そこに厳然としたピラミッド形の身分制度が構築されたのだろう。

 力を持つ指導者層が資源を独占し、弱者である一般市民は奴隷的な労働の対価として、指導者たちが施してくれる“おこぼれ(トリクルダウン)”に預かる……という社会構造だ。

 人類が地上へ進出しても、中世的身分制度を基本とする社会構造は変らなかった。

 専制的な王が統治する小さな王国が群雄割拠し、国境を接する国同士で領土争いが繰り返された。

 そこで何世紀か足踏みしたのち、人類はようやく、未来へと進歩する方向へ舵を切ったわけだ。専制君主の王制を改めて、立憲君主制や議会制民主主義の構築へと……

 どうやって、進歩することができたのか?

 魔法技術だ。

 地下ダンジョンの奥底で個体数を増やし繁栄する、無数の怪物たち。

 それらモンスターは人畜無害な安全種がいる一方で、人類を好んで捕食する危険種も蔓延はびこっている。

 しかしモンスターたちは全体として、人類に多大なメリットをもたらすようになった。

 それが、モンスターの体内に“結石”するという魔法石マギメタルだ。

 無害でおとなしいモンスターから有害で凶暴なモンスターまで、それらの体内に生産される魔法石マギメタルは、人類文明を中世から近世へと進化させる、不可欠な資源となったのだ。

 いまや、魔法石マギメタルの利用は、人類文明の隅々にまで及んでいる。

 赤色の魔法石マギメタルは火を、青色は水を、茶色は肥料などの化学物質を、そして緑色の魔法石は薬品を生成してポーションの原料となる……といった具合で、庶民の日常生活にも欠かせない。

 とりわけ黄色の魔法石マギメタルは電気エネルギーをもたらして、交通機関や工場を動かし、人類文明を近世から近代へとステップアップさせようとしている。

 つまり、石炭や石油といった化石燃料に頼ることなく、魔法石マギメタルという魔法の産物によって、この世界は産業革命を成し遂げたのだ。


 以上が、公王府図書館パラティヌスライブラリに揃っていた年鑑や生物図鑑から得られた知識に、我輩の前世記憶ぜんせきおくに残されている異世界の歴史知識を掛け合わせることで見えてきた、異世界ムー・スルバの文明の正体である。

 ……といったことを、我輩はかいつまんでシェイラとトモミに語ったのだが、どこまで理解してもらえたのやら、その点は心細い限りだ。

 我輩の前世記憶ぜんせきおくにある、どこかの異世界の“十九世紀後半”あたりの文明度の人々に、「きみたちは宇宙移民の子孫である」と説いても、それは、まともな科学でなく怪しい新興宗教として受け止められるだろう。ダーウィンとかいう人物が唱えた“進化論”すら、宗教上の異端として排撃された時代なのだから。

 しかし、それはそれとして、現在のムー・スルバに出来上がったのは、何一つ空を飛ぶものがない世界であることは、シェイラもトモミも、衝撃的な現実として受け入れてくれた。

 “言われてみれば、確かにそうでした!”という驚きとともに。

「そうなんだ」と我輩はシェイラとトモミに、結論を述べた。

「空を飛ぶ生き物が全く存在しない、翼を広げて空を飛ぶ鳥も昆虫も見たことがない世界では、“空を飛ぼう”なんて発想が持てなくても無理はないさ。今までのところ、空を飛ぶ必要性はまるでなかったんだしね。だから、紙ヒコーキも松コプターも熱気球モンゴルフィエも誰一人として思いつかなかったんだ」

 そう……この世界にイカロス&ダイダロスや、あるいはダ・ヴィンチやチューハチ・ニノミヤみたいな天才が現れたとしても、空を飛ぶ鳥や虫がいなければ、“空を飛びたい”と願うはずもなく、飛行機械フライングマシンを発明しようなどとおかしなことを考える動機すら生まれなかっただろう。

「だからさ」と、僕はようやく本題に触れた。何のためにここで、紙ヒコーキや松コプターや熱気球モンゴルフィエを実演して見せたのか。

 つまりそれは、こういうことだ。

航空機エアクラフトは、新たな産業分野を切り開く画期的なツールとなる。エリシン教団が世界に先駆けて航空機エアクラフトを実用化すれば、そこに航空産業が生まれ、そして人と物を圧倒的なスピードで移動させる運輸産業がひらかれ、郵便物や新聞をいち早く届ける情報通信産業も生まれる。それを我々が独占するのだ!」

「それから軍事産業も!」とシェイラは感極まって叫ぶ。紙ヒコーキや松コプターや熱気球モンゴルフィエの実演モデルを見た途端、彼女の頭の中にいかなる光景が浮かんだのか、それは明らかだった。「いかなる敵よりも速く、遠くへ、爆弾の雨を降り注ぐことが可能になります。その三つの模型を数十倍に拡大したものを製造すれば、世界の戦場の趨勢は一変するでしょう! 猊下、この素晴らしき三種の神器をお示しくださいまして、このシェイラ、欣喜雀躍きんきじゃくやくにして感謝感激雨あられでございます!」

 シェイラは両手をテーブルに衝いてすっくと立ち、その両腕を中空へ延ばし、高いステンドグラスの窓の間に備えられた天母コスモマザースライムーンの神棚に指先を差し伸べた。

「ハイル・スライム! ルミナル・カルディナル! いまだ時はここにありゼア・イズ・ア・スティル・タイム! 希望の門は開き、かならずやエリシン教団は勝利いたします!」

 どうやら、本日のささやかな科学実験は、シェイラを根本的に変貌させたらしい。

 彼女が日々、心の内に養ってきた途方もない野望の導火線に、火がいたようなのだ。どのような野望であるのかは、まだ直接に問いただしてはいない。聞けば聞くほど、なにやらヤバい深みにはまりそうな予感がするからだ。

 俺の実験は、いささかやりすぎたのかもしれない。しかし産業革命を経て、魔法石マギメタルを活用するスチームパンク文化の時代に入ったと思われるムー・スルバでは、飛行技術の開発はもはや時間の問題だろう。

 だれかが、ちょっとしたきっかけで“空を飛びたい!”と願い始め、そのアイデアを本気で実現するために科学の道を志せば、数年も経たぬ間に、何らかの物体が空中を飛翔するのではないか。

 航空を事業化するチャンスをつかむなら、今だ。

 そう思ってのことだったのだが、シェイラはもっと直接的に、“航空の軍事利用”にまで着想を広げてしまった。

 そこにはシェイラなりの深謀遠慮があるわけだ。

 しかしその前に、我輩は確認しなくてはならないことがあった。

 シェイラに訊く。

「でもねシェイラ、お喜びのところに水を差して悪いが、きみ、魔法使いだろ?」

「はい、誠に仰せの通りでありますが」

「じゃ、魔法の力で空を飛ばないのかい? たとえば」と、窓外の中庭をメイド服に農作業用の大ぶりのエプロンを重ねた姿で掃除している庭園冥奴ガーデンメイドの皆様を指さして、俺は前世記憶ぜんせきおくに残る異世界では子供も知っている常識的な事実を指摘した。

「ほら、ほうきまたがって空を飛ぶとか、さ」

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