040●第六章④三種の航空機《エアクラフト》、ここに発明さる。
040●第六章④三種の航空機、ここに発明さる。
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三日後。
公王府図書館の、枢鬼卿専用スペースでは、机を継ぎ足して作った長大な作業台に、過去八十年分の年鑑や新聞の縮刷版、様々な分野の雑誌類が、時系列で綺麗に並べられていた。
司書女史の協力を得たとはいえ、一人で黙々と朝から深夜まで書誌資料の発行年を特定する作業を続けたトモミの労作だ。
これで、エリシウム公国の“戦後八十年”と呼ばれる直近の歴史を、ようやく一年ごとの順番で閲覧できるようになったわけだ。
その端にさらに机を足すと、我輩とシェイラとトモミの三人が額を突き合わせるように集まり、シェイラはペンダントの白色魔法石に触れて、盗聴防止の結界を展張する。
秘密保持の上で、確認したい事柄がある……と、我輩がシェイラに頼んだからだ。
何のことかと、興味津々の二人を前にして、我輩は小声で語った。
「過去八十年の文献類にざっと目を通したけれど、科学系の雑誌や論文集が非常に少ない。代わりに多いのは魔法書だ。それも、難しい魔法理論書でなく、簡便な家庭魔法学の分野が中心で、内容も似たり寄ったりで代わり映えがしない。中身はいつの時代も変わらず、各種の魔法石を生活に応用して、豊かな暮らしを実現するノウハウばかりだね。……で、いろいろと読んでみた結果、科学分野も魔法分野も含めて、ある一つの技術的要素がすっぽりと抜け落ちていることに気がついたんだ、それは……」
我輩はおもむろに立ち上がると、四本足の黒板に板書した。
“飛行”
シェイラとトモミは、ぽかーんとして、しばらく文字を眺めた。
「ほとんど聞かない言葉ですね、非常にレアな専門用語でして、たぶん一般の辞書には載っていません。“飛行”は、じつは最新の軍事用語です。砲弾を発射した際の軌道を計算するために用いられる専門的な概念ではありませんか?」
「それそれ、軍事用語」と俺はシェイラの言葉を補足する。「“弾道飛行”という表現をマニアックなミリタリー書籍に見つけたんだけど、普通の人はまず、使わない言葉だよね。しかも、この場合の“飛行”は、打ち上げた砲弾が地面に落ちることが前提になっている」
ええそうです、とシェイラはうなずく。「飛ばした物体は、たちまち落ちます」
たしかに、それが道理だ。この世に万有引力があるかぎり、物体はたいていどこかに向かって落ちてゆく。
「しかし僕が言う“飛行”は、落ちるための飛行ではなくて、科学的に工夫して、より長い時間を滞空する……つまり、人間が制御する“航空”を実現するための“飛行”なんだよ。具体的には、こういうことだ」
我輩はトモミに用意させていた、図鑑の見開きほどの大きさの紙を手で折りはじめた。軽くて腰の強い良質の紙だ。
数秒で、何の変哲もない、三角翼の紙飛行機が出来上がる。
放物線を意識して、手首のスナップを利かせながら、シュッと放つ。
不思議な物体に初めて遭遇したとしか思えない、好奇心と不可解さの混じった、シェイラとトモミの熱い視線を絡めとりながら、この世界ムー・スルバの近代史に“世界初”の功績を残すことになる、わが紙ヒコーキは図書館の閲覧室の高い天井めがけて上昇し、音もなく、ゆるやかなループを描いて空中を舞った。
翼に適度な捻りを入れていたので、紙ヒコーキは旋回を終えると、出発点の机の上に戻ってきて、見事に着地する。
昨晩、自分の執務室の中で何百回も、こっそりと特訓した成果であった。
おおーっ、とシェイラとトモミ、二人の感嘆の声が美しくハモる。
「諸君、これが飛行だ」
わずか十秒程度のフライトだったが、世界の航空史にルネサンスをもたらす異世界のダ・ヴィンチ気取りで、ドヤ顔の僕。
観ていた二人とも、よほど感動的な目撃経験だったのか、口を半開きにしたまま、ため息をついている。数秒置いて、シェイラが問う。
「こ、これはいったい、なんという工作物なのですか?」
「紙ヒコーキさ、航空機の原始的な形態のひとつだね」
「神へこーき……」
「あ、いやいや、紙ヒコーキ、つまりペーパーグライダーだ。この飛行は人為的に制御した、かつ科学の産物だね。そして第二弾は……」
次なるは、我輩の前世記憶で“竹とんぼ”と称されている航空機だ。
材料は事務員食堂に備え付けの割り箸。やや大ぶりの高級品と思われるが、トモミちゃんから彫刻刀を借りて、夜なべでシコシコと削った労作である。割る前の割り箸を平坦に削り出しながら角度にねじりをつける。回転軸は亀豚の串カツに使われている細い串だ。
「スクリュープロペラですね、船を推進させる最新装置です。水中で回すものですが……」とシェイラが反応したが、我輩はちっちっと指を振ると、シェイラの見解を訂正した。
「空中で回すんだ、こんなふうにね」
左右の掌を擦り合わせて、ヒュッと放り上げるように飛ばす。
それは高速回転するプロペラの幻想的な半透明の円環を見せながら、部屋の天井近くまで上昇する。と、回転を弱めながらつつーっと降りてきたので、手で捕まえる。
これも昨晩、自分の執務室の中で百回あまり、こっそりと特訓した成果であった。
おおーっ、とシェイラとトモミ、二人の感嘆の声が美しくハモる。
これまた、二人が生まれて初めて遭遇した、歴史的偉業だったようである。
「そ、それも航空機の一種ですね、こここ、これは何というのですか?」
知的興奮に鼻息も荒く、シェイラは問う。
「使った割り箸の素材が“エリス松”なので、“松コプター”ってところかな」
「おお、松コプター! 素晴らしいですわ。スクリュープロペラが空中でこうも見事に機能するとは、初耳学でした!」
シェイラ、内心では脳味噌がでんぐり返るほど驚いているようだ。
続いて第三弾。
卓上用の電熱コンロを置いて、スイッチを入れる。黄色の魔法石を組み込んで、そこから電気エネルギーを得て発熱するコードレスタイプだ。さすが魔法のパワー、たちまち渦巻形のニクロム線が真っ赤になり、手をかざせば、熱い上昇気流が発生している。
その上の空中に、食堂で売っているコッペパンの半透明の包装紙……異世界によっては、セロハンとも呼ばれる薄膜状の紙……を半分に切って作った半球状のシートに糸を着けて落下傘風に仕上げたものを、かざし入れる。
半球状の包装紙は立ちのぼる熱気を受けて膨らみ、糸から手を離すと、ふわーっと浮かび上がる。天井近くで冷えると、ゆらゆらと降りてきた。
おおーっ、とシェイラとトモミ、二人の感嘆の声が三度目の美しいハーモニーを奏でてくれる。
「げ、猊下! こここここ、これはなんという名前でしょう?」
十数分で三種類の“世界初”に邂逅したシェイラの両眼はメラメラと燃え、その脳内には善悪こもごものアイデアが爆発的に閃いているようである。
「いや、ただの熱気球なのだがね」
ここまで来ると自慢たっぷりで嫌味なほどだが、かまわずに俺は鼻高々のピノキオ状態、気分はもう異世界の天才ダ・ヴィンチ様である。
この異世界ムー・スルバに存在していなかったものを、今、三種類も創造してみせたのだから。
「もんごるへー、ですか」と神妙に繰り返すシェイラ。セロハン紙で作った熱気球の模型をつまんで、下に開いた袋の口を広げてのぞき込み、不思議な顔で首をひねる。
「いやいや、モンゴルフィエだよ、それが熱気で飛ぶ気球の名前なんだ」
勿体を着けながら、我輩は納得する。
やはりそうだ。我輩がこれまでの前世で経験したことのない、特異な環境条件を、この世界ムー・スルバは秘めていたわけだ。
「紙ヒコーキ、松コプター、熱気球のどれもが、君たちにとって生まれて初めての常識破りの工作物だったということか。理由は簡単に想像がつく、ねえトモミちゃん、ムー・スルバには、お空を飛行する鳥やその他の動物や昆虫たちが、なぜか存在していないからだ! そうだろう? とりわけ、鳥はカアカア鳴いたとしても、空を飛ぶ鳥は、一種類もないんだ」
「はい、鳥は確かにいます。ダチョウにドードー、コケッコーと鳴く亀鳥さんやペンギンにクンバルヤイナ……でも、どれも地面を走るだけですね。ペンギンは海を泳ぎますけど、空にふわっと浮かぶことはしません」
「じつは、植物もそうなんだ」と、我輩は動物図鑑だけでなく、植物図鑑も洗いざらいチェックした成果をひけらかした。「我輩の前世記憶では、植物の繁殖には一般に、花の雄蕊から雌蕊に花粉を移動させて受粉させ、種子をつくるものが多い。そこで花粉を移動させる手段として、飛行する虫に運んでもらう虫媒花とか、花粉を風に乗せて運ぶ風媒花などがある……と思っていたら、それがないのだよ。今のところ、この世界ムー・スルバでは、植物の花の受粉の方法がまったくと言っていいほど、解明されていない。虫にも風にも頼らずに、どうやってかわからないが、別な方法で受粉しているんだ。なぜか、理由は不明だ。どこの本にも書いていない。おそらくは、空を飛ぶ昆虫が存在しないことが関係していると思われる。花粉を運んでくれる虫が、どこにもいないのだから、受粉を助けてもらうわけにはいかない。図鑑にカメムシはあるが、翼を持たずに地面をぴょこぴょこ跳ねるだけだ。ゴキブリもバッタもそうだ。玉虫もダンゴムシみたいに球になって転がるだけだ。蜂はアリと同じように地面を歩いているだけだ。ミツバチはいるが、地中のどこかから蜜を集めてくるらしい……としかわかっていない。ハエも蚊もいないのは実に衛生的だが、その理由はわからない」
いや、自分なりの推測はしている。
ムー・スルバに暮らす現在の人類は、どうやら太古の昔に宇宙から移り住んできた移民の人々の子孫らしい……という仮説だ。




