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039●第六章③墓参、そして、ある発見。

039●第六章③墓参、そして、ある発見。



 シェイラは結論を述べた。

毒見冥奴どくみメイドの死が秘匿されるのは、毒殺が成功したか失敗したか、いずれかわからぬようにして、正確な情報を敵に漏らさないためです」

 毒殺が成功したら、その実行犯である毒見冥奴どくみメイドは拷問ののち処刑される。

 毒殺が失敗したら、毒見冥奴どくみメイドは毒に当たることになるので、やはり死ぬ。

 その一部始終が敵に知られたとしたら……

 毒殺に成功した敵は貴重な成功例を手にする。

 逆に失敗したら、それを教訓として、新手あらての毒殺手段を仕掛けてくる。

 敵にそのような判断材料を与えてはならない。

 だから、すべてを闇に葬り……無かったことにしてしまうのだ。

 ニヤン自身が、生まれたときから存在しなかったことにされてしまう。

「どうして……最初に知らせてくれなかった。どうして俺にまで秘密にしたんだ!」

「猊下、お怒りはごもっともです、心中お察し申し上げます。しかし……今朝までにニヤンの死を知ってしまわれたら、猊下は公王陛下の“謁見の儀”へお出ましになりましたか?」

「…………」

 俺は黙った。確かにそうだ。シェイラの心配は的を射ている。

 “謁見の儀”よりも先にニヤンの死を知らされていたら、僕は、俺は、我輩は、ここにはいないはずだ。

 なぜなら今、自分はエリシン教の枢鬼卿すうきけいという職位なんか放り出して、一目散にどこかへ一人で逃げ出したいと願っているからだ。

 このまま枢鬼卿すうきけいであり続けることは、ニヤンの命を犠牲にして、その死を踏み台にして、ぬけぬけと生きることだから。

 どうして、そんなことをしなくてはならない? いやだ、どこかへ姿を消してしまいたい。地の果てのさとで隠遁し、僕のために死んでしまった少女のために祈り、懺悔して、ひっそりと暮らしたい。

 そうしなければ、俺の気が済まない。きっと、神様も許してくれないだろう。

 しかし今、“謁見の儀”を終えて公王の不在を知った僕は、もう、引き返せない立場に身を置いている。

 公王なき教団で、公王の唯一の代理人として君臨することを受け入れた自分がすごすごと逃げ出すことは、公国最大の宗教組織であるエリシン教団に対する許しがたい侮辱であり、無様な裏切りとなるだろう。

 教団のトップである枢鬼卿すうきけいがどこかへ雲隠れしてしまったら、教団は統率力を失う。かなめの取れた扇のように、バラバラになってしまうかもしれない。信者たちは教団への信頼を失い、三々五々と離れてゆくだろう。

 だから……

 もう、どこへも行けないのだ、僕は、俺は、我輩は。

 逃げることは、侮蔑されるべき背信者になること。

 こうなると、覚悟を決めるしかない。

 枢鬼卿すうきけいのワガ=ハイを死ぬまで全うするしか、生きる道がないのだと。

「ニヤンは、どこにいる……?」

 ようやく言葉を絞り出した。自分にできることは、あまりにも少ない。

「近衛病院なのだろう? 病棟はどこにある?」

 シェイラは寂しげに首を横に振る。

公王府パラティヌスの建物の裏手にございますが、もう、彼女はそこにおりません」

「じゃ、どこに行ったっていうんだ!」

 恐ろしい推論は、着々と現実になってゆく。

「ニヤンに会いたい、とにかく彼女に会いたい。どこに行けば会えるんだ。一言でもいい、僕は、俺は、我輩は、ニヤンに謝らなくちゃいけないんだ。それしかもう、僕にできることはない。そうだ……通夜は無理でも、お葬式には間に合わないのか? 告別式か、それが無理ならお別れのできる場が」

 僕の、俺の、我輩の心は乱れ、判断力を失っていた。

「猊下」シェイラは悲嘆を秘めつつも毅然として答えた。「猊下はエリシウム公国の国教たるエリシン教の実質的な最高位たる枢鬼卿すうきけいです。猊下が葬儀にご参列なさることは、その儀式がその瞬間に、“国葬”になることを意味します。すなわち、下民ダウナの中でも取るに足らない、存在すら消された毒見冥奴どくみメイド野辺送のべおくりが、一国が主宰する正式の国葬となってしまうのです。……ですから、お立場をお含みのうえ、なにとぞご自制なさいますよう」

 ……それが、枢鬼卿すうきけいであるということか。

 ただ、愕然とするしかない。

「では教えてくれ、シェイラ、ニヤンの居場所を。ニヤンは今、どこに……安置……されているのか」

「その毒見冥奴どくみメイドの遺体は検視解剖によって死因を特定したうえ、公城デュクストラのいずこかの斎場で荼毘だびに付され、遺骨は埋葬されております」

「墓は……」ああそうだ、なんていやな言葉なのだろう。僕が、俺が、我輩が、ニヤンという少女を暗く冷たいそこへ追いやってしまった。なぜならば、ワガ=ハイという人物が転生してこなければ、彼女は毒殺の下手人にならずに済んだかもしれないのだから。

「ニヤンの墓はどこにある? せめて、お参りだけはさせてほしい」

「墓はございます、猊下。ここからすぐの、小さな空き地に」


      *


 墓、と呼ぶにしては、あまりにも粗末すぎる墓だった。

 差し渡し一メルトほどの、半球形に盛り上がった、まだ新しい土、それだけ。

 我輩の前世記憶ぜんせきおくでは、“土饅頭どまんじゅう”とそれを呼ぶ。

 ここは幾重もの木々に囲まれた、さほど大きくもない、円形の広場だった。

 ニヤンの墓は、その片隅にあった。

 墓標もなく、手向けられた花も無い。

「ここが……?」

「はい」とシェイラ。「ニヤンの骨は、そこに葬られています。わたくしも、埋葬に立ち会いました」

 全身の力が抜けた。

 俺は地面に膝をつくと、ニヤンの骨の上に被せられた土に、両手を載せた。

 昼の日差しを受けて、土の表面は乾き、人肌のようにあたたかい。

 振り向かずに、シェイラに問う。

「ニヤンの歳は、いくつだった?」

「十五歳、と記録されています。学歴は無料寺子屋フライシューレの小学課程の修了のみ。中高等学校ギムナジウムに進むことはできず、何がしかの事情で家を出て、公王府パラティヌス毒見冥奴どくみメイドを志望した、というのが事実のようです」

 “事実のようです”と、歯切れの悪い表現になるのは、そもそもが違法就労に当たるからだろう。

 僕は、ニヤンのことを何も知らない。

 枢鬼卿すうきけいを毒殺しようと目論もくろむ何者かに利用されて、その手先となることを選んだ、悪いだ。

 しかし、直前になって、他人を殺すよりも自分を殺す方を選んだ。

 本当は、芯から、いいなんだ。

 俺は土に話しかけずにおれなかった。

「ニヤン、苦しかったろう、悲しかったろう、寂しかったろう……すまない、俺が悪かった、命を助けてやれなかった。こんなことになる前に、僕には何かできたはずだったんだ。我輩だって転生者のはしくれだ。コンビニの前でトラックに轢かれたり、駅のホームから列車の前に落ちてしまったり、階段で滑って転げて首を折ったり、銃で撃たれたり、殴り殺されたり、焼き殺されたりしたこともある。我輩は死に方のベテランかもしれないね。でもニヤンはきっと、もっと苦しかったんだ。好き好んで毒を呑んだはずがないんだ。病気で痛くても痛くても痛くても我慢して、その苦しみを隠し続けたのはなぜなんだ。死を覚悟したといったって、生きたくない人は一人もいないはずだ。どうしてそんなに苦しまなくてはならなかったんだ?」

 シェイラが、かすれ声でささやくのが聞こえた。

「最期が近づいたとき、医師は麻酔を使いました。眠ったまま、安らかに逝ったということです。申し訳ありません。わたくしたちには、それしかできませんでした」

 土の上でこぶしを握り締める。すると少女の握力の強さが記憶によみがえった。今にも隣からニヤンの手が伸びてきて、手首をぎゅっと絞るほど握られそうな気がするほどに。

 世界のなにもかもが、ぼやけた。

 自分が泣いていることが、ようやく理解できた。

 うめききながら、泣いていた。

 ニヤンの死は、偶然の行きすがりのような事件だったかもしれない。

 しかし、だからといって、拝んで念仏でも唱えて忘れることなど、できない。

 免罪符をエリスフジ山よりも高く積み上がるほど買ったところで、一瞬の救いにもならない。

「ニヤン、どうすれば償える? 僕は、俺は、我輩は、どうすれば許してもらえる? わからない、このワガ=ハイには、何もわからん。どうすれば、いい?」

 彼女のタマシイは、沈黙しか返してくれなかった。

 改めて、土を見た。自分の涙が、まるで死者に捧げる末期まつごの水みたいに、乾いた土を濡らしていた。

「また来るよ、ニヤン、いつか教えてくれ。せめて、きみのタマシイに喜んでもらうには、何をすればいいのか」

 立ち上がった。そして左右の景色が見えて、全身が凍り付いた。

 雑草に覆われた広場は、草と木々の境に沿って、幾重にもうねっていた。

 ニヤンの墓と同じ“土饅頭どまんじゅう”が、その名も知れない雑然とした草葉くさばの陰に、十、二十、いやもっと……

「これって、みんな……」

「はい」とだけ、シェイラの声が絞り出された。

 シェイラが、そしてトモミも、濡れそぼったハンカチを手に、こらえきれない嗚咽おえつにむせんでいた。

 これが、僕と俺と我輩ができる、ニヤンの葬儀の全てだった。

 そして、これまでの何十年かの間に、何者かが食事に潜ませた毒を枢鬼卿すうきけいのかわりに口にして殺された何十人だかわからない毒見冥奴どくみメイドのためにできる、追悼の全てだった。

 これから、自分に、なにができる?

 何もできないはずがない、やらなくてはならない、枢鬼卿すうきけいなのだから。

 僕は顔を上げた。

 広場を囲む背の高い木々、この星の樹木は、幹を延ばしてから枝葉を下へ垂れ提げるものばかりだ。まるで逆さになった糸杉のようで、玉すだれのようにザラザラ、シャラシャラと葉擦れを鳴らす。

 それが、むせび泣いているように聞こえた。

 いや、本当に、いくつもの、むせび泣きの声が重なっているような……

 鳥の、さえずりかな?

 空に目を移し、一つの事実に気づかされる。

 鳥が、いない。

 いや、虫もそうだ。地べたを這うものしか、目につかなかった。

 つまり……

 空を飛ぶものが、ない。



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