038●第六章②晴れた日の永遠、そして少女の訃報。
038●第六章②晴れた日の永遠、そして少女の訃報。
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とはいえ……
「公王様を代理できる、神様の代理人だといったって、実感は全然ないよね」
それが僕の偽らざる心境だった。
「そうですね」とシェイラは楽しそうに応じる。「謁見の儀の演出を“大盛の豪華版”にしておかれましたら、当代一流の芸能人を何十人も集めて歌合戦を開催して、首都エリスのセレブ女優とピチピチの新人女優をずらりと招いたレセプションを満願全席でお楽しみいただき、カラースモークの花火を数千発は打ち上げますので、否応なく実感いただけたと思いますよ。スターの皆さんが順番に足を運ばれて、“猊下おめでとうございます!”と、ちやほやされますので」
けっ、要するに超豪華なVIPサクラじゃないか、とクサる我輩。大枚のギャラをはずんで、枢鬼卿猊下にお世辞の一言くらいよろぴくと、シェイラが仕込んでいるはずである。
「もしかして、プッチャリンさんのお笑い演芸会も?」と、大聖堂の末席で儀式を“見学”していたトモミが笑顔で訊く。
「それはもちろん、絶対マストでご招待したでしょうね。公国一の天才喜劇役者! きっと猊下の物まねで笑わせてくれたんじゃないかしら。ああ、そうそう、そのプッチャリンが大劇場で、なんと猊下の“お馬鹿サンバ”を盗作してるらしいです。新枢鬼卿のソックリ演技でダンスショーを始めたんですって!」
「えっ! シェイラ、あの馬鹿踊りが劇場にかかっているのか?」
「ええ、演劇のフィナーレで、ステージに大階段を作って、“新枢鬼卿様御用達”の看板を吊るした前で、バックコーラスの踊り子をずらっと並べてラインダンス、そこでプッチャリン本人が金ラメの法衣を真似した衣装でタップを踏みながら……」
「“お疲れサンバ、わがサンバ!”」と、トモミがはしゃぐ。可愛い、メチャ可愛い、しかし我輩は、トモミの足元に穴があったら飛び込みたいほど恥ずい!
「あら、トモミちゃんって、あのバカサンバのこと、知ってたのね」と、さほど驚く様子も無く確認するシェイラ。
「ええ、公王府図書館の司書女史さんたちが、お三時の体操のかわりに踊ってらしたもので、教わりました」
「そうそう、突撃修道女隊のメンバーも、ラインダンスの練習の傍ら、お馬鹿サンバを楽しんでいるようですよ」と、シェイラが補足する。
セーラー服に機関銃ならぬ“修道服にショットガン”の娘たちの戦闘集団がサンバを嗜むのはいささか異様だが、それよりもラインダンスを練習している方が不思議である。そこを指摘すると……
「スカートの中の利き脚、たいてい右足にショットガンのホルスターを装備しておりますので、勢いよく脚を上げながら銃を引き出して構え、同時に安全装置を外して発砲する即応訓練を施しているのです」とシェイラ。
十人二十人と並んでそれをやられたら、さぞや恐ろしい光景となるであろう。スカートの内側に興味を示して注目した男たちは、鼻の下を延ばした顔面に散弾を食らうと思われる。
そんな彼女たちが、お馬鹿サンバに興じている。
そこまで広まっていたのか、となると……
俺は訊かずにおれない。
「にしても、どうして、いったい、いつ誰がどうやって、プッチャリンに俺のアホ踊りを伝授したんだ?」
「さあ、わかりません。でもあのとき、事務管理部に居合わせたオフィスレディたち、全員が踊っちゃったもので、その中のだれかがプッチャリンのファンで、ステージの出待ちをして、たまたま劇団の打ち上げ会に誘われて、そこで余興に披露した可能性があります。プッチャリンが面白がって、そのまま新作のドタバタオペレッタに組み込んだのではないでしょうか」
笑いをこらえながら、愉快そうに語るシェイラ。
「それが事実なら……」俺はムスッと腕組みすると、「版権使用料をたんまりと払ってもらおうではないか!」
「そのように伝えましょう」と、すまし顔で受け流すシェイラ。「わたくしは劇場の支配人にもプッチャリン本人にも面識がありますもので。電話一本で」
「あ、いやいや冗談だ。何もしなくていい、騒ぎ立てると、俺が本当に転生初日に馬鹿踊りをやらかしたことを、公式に認めることになってしまう」
「御意、さすが猊下、鋭いご賢察ですね。しかし件の踊りは観客に大ウケのようでして、このままですと、一週間で首都エリスの下町に広まって、一か月もすれば全国規模の流行になるかもしれませんね。サンバのリズムなんて、史上初にして前人未到の最新文化なので、とても新鮮で刺激的なのです。誰だって一度は踊ってみたくなりますし、しかも誰だって踊れる振り付けですから、ね、どうしましょう?」
どうしましょう? って、わざとらしく言いおって、もう……
「知らん! ……というか、知らんぷりを決め込んでくれ。俺は関係ないぞ、関係ない! 真っ赤な他人だ!」
せっかく公王様がご不在で、その間やりたい放題の枢鬼卿ライフが満喫できるとわかっても、これでは街角をコソッと散歩することもできないではないか。すれ違う女子高生たちに気づかれて、後ろ指刺されて「ほら、お馬鹿サンバのお笑い枢鬼卿様よ!」と冷やかされるのは御免である、ああ、なさけなや……。
そんな会話をしながら、我輩とシェイラとトモミの三人は、爽やかな木立に囲まれた遊歩道のベンチに仲良く並んで座っていた。
公王様謁見の儀式が終わったので、公王府まで歩いて帰りましょうと、シェイラが誘ったのだ。大聖堂から公王府の渦巻形ビルまで、ゆったりと弧を描く遊歩道を二ロキメートルほどである。
空はよく晴れていて、そろそろ初夏の日差しを感じさせる。
ここは公城の一辺六ロキメートルの広大な城壁の中で、一般人が立ち入ることのできないエリアだ。適度に手入れされた広葉樹らしき木々を縫ってそぞろ歩けば、木漏れ日はぽかぽかと暖かく、耳に入るのは風にそよぐ梢の葉擦れのささやきだけ。
トモミは手作りのサンドイッチを持参していた。朝食が早かったのでちょうど小腹がすいたタイミング、バスケットを開くと、我輩の前世記憶のライ麦パンに近いブレッドに、バターとチーズとハム、あるいはレタスと卵といった感じの組み合わせで、素朴だけれど、おいしい。
なにしろ、トモミちゃんの手作りである。美味しい、いや、もはや“尊い”の一択しかありようがなかろう!
それにしても……
シェイラのやつ、なんで俺とトモミちゃんの間に座るんだ!
率直に言ってこの年増美女型魔法物体は邪魔である。
しかし、どいてくれと言うわけにもいかない。
ええいもう、この、もどかしさよ……
いつかトモミちゃん一人を誘って、今みたいに晴れた日に公園デートしよう!
もちろん手料理のお弁当がマストアイテム、“はい、アーン”してもらって、食べ終わったらベンチに寝転がって彼女の膝枕にゴロニャンと甘えるのだ……
軽食を終えて、しばし永遠に続く幸せの妄想にひたりきった、甘美なる時。
シェイラはついと立ち上がると、僕の前に跪いた。
「猊下、このシェイラ、折り入って深くお詫び申し上げるべき知らせがございます」
「ほい、おあずけっ!」
頼むから、ホッコリ気分に酔いしれる今、トモミちゃんの目の前で背中の生肌と九尾の猫鞭を露出するのではないぞ! いたいけな無垢の少女に清貧な我輩の趣味を誤解されて、人類最低のド変態とばかりに嫌われるじゃないか!
「いえ、そのようなお戯れではなく」
ただならぬほど改まった様子で、シェイラはハスキーな声をさらに低めた。
「どうしても、ここで申し上げなくてはなりません、そして、お聞きくださらねばなりません」
シェイラは胸の前に両手をクロスさせて、上半身を前にかがめてお辞儀した。エリシン教の、弔意を示すポーズだった。そして訃報を口にした。
「ニヤンが、死にました」
……ニヤン?
はっとして、走馬灯のようにあの光景が脳髄に閃いた。
満願全席の食卓で、透明な毒液を塗った陶器の匙を持つ僕の手を瞬間的に握りしめて、奪い取った匙を自らの口にくわえ、命をかけてそれが猛毒であることを示してくれた毒見冥奴の少女。
まるで猫のような、俊敏な動作だった。
あのとき、僕の右手をつかんだ、ニヤンという名の少女の握力の強かったこと、その必死の表情、こぼれ落ちる涙、もう一生、忘れることはできない。
いや、たしかにそれまで、ニヤンは毒の匙で僕を殺そうとしていた。
しかし寸前で心を変え、僕の命を救ってくれたのだ。
そのニヤンが、亡くなった?
「馬鹿を言え、あの娘が? そんなはずがないだろう! たしか近衛病院で治療していて、命は助かったと聞いたはずだ!」
自分でも驚くほどの怒号だった。もしも手に鞭を持っていたら、シェイラの鼻先をかすめて地面を打ち据えていただろう。
しかしシェイラはうつむいたまま、さらに深くうなずくのみ。
俺は立ち上がって拳を固めた。事実とは認められない。さらに怒鳴る。
「そうだ、近衛病院へ行こう! あの娘を見舞うはずだったんだ。あそこで静かに療養しているんだろう? 今なら……」
「猊下」シェイラの声はさらにかすれ、潤んでいた。「ニヤンは、この世を去ったのです。わたくしはこの目で確かめました。……彼女は、致命的な持病を隠していたのです」
「持病を……?」
「はい、毒で身体の抵抗力が失われたことで、体内に隠れていた病魔が目覚めました。でもニヤンはその苦しみを隠して、笑顔で平静を装い続けました。死を予感したはずなのに。あの娘の全身が発疹に覆われて高熱に襲われたことで病魔の正体が発覚しましたが、その時はもう、手遅れでした」
「シェイラ、きみは魔女じゃないか! きみの治癒力は使えなかったのか?」
「間に合わなかったのです。駆けつけたときには、息を引き取っていました。すでにこの世を去った魂を元に戻す力は、わたくしにはございません」
シェイラは茫然自失の俺を見つめた。普段は鉄面皮を演じている彼女の両目には、悔恨の涙があふれそうだった。
……そうなのか……。
どうしようもない現実に、僕は打ちのめされるしかなかった。
「それは……いつのことだ」
「亡くなったのは、数日前としか申せません。毒見冥奴の死は、秘匿事項でございますので」
「なぜ、そんな大事なことを秘密にするんだ? ……僕の、俺の、我輩の命の恩人なんだよ!」
「命の恩人でありますが、猊下の毒殺未遂犯でもあります」
シェイラの顔は苦渋にさいなまれていたが、しっかりと僕を見やって、語る。
「毒見冥奴はわずかな例外を除いて、みな、親に捨てられた娘、売り飛ばされた娘、事件や事故で家族を失った娘、あるいは自ら家族を捨てた娘たちばかりです。毒に当たって死んだときに、その死を秘密にしたまま遺体を処理できることが条件となるからです」
ぞっとするような現実が、あっさりと突き付けられていた。トモミは茫然としていたが、取り乱す様子はなかった。毒見冥奴の雇用条件をすでに知っていたのだろう。
そうだ、トモミは同じ年ごろの女の子の悲惨な死を、何度か目の当たりにしてきたのだから。救貧院で働いたときに。




