037●第六章①公王との謁見。歌え! エリシン教“救世歌”。
037●第六章①公王との謁見。歌え! エリシン教“救世歌”。
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数日が過ぎ、先代の枢鬼卿の六日間の服喪期間が明けた。
先代の枢鬼卿の亡骸は、死後四十九日を経て執り行われた国葬が後わったのち荼毘に付された。そしてご遺骨は首都エリスの西方の山麓、国葬儀式の会場に使われた半円形劇場を見下ろす斜面に築かれている、白亜の玉ねぎ形のエリシン教納骨堂に収められているという。
我輩が正式な枢鬼卿として国民にお披露目をして、同時にエリシン教の最初の講話をする“就任式”は、葬儀後の服喪期間を含めてさらに四十九日が過ぎた翌日、すなわち五十日後とされている。
つまり先代枢鬼卿の死後百日をもって、新枢鬼卿が正式に就任するわけだ。
それまでにいくつか、こなさなくてはならない宗教的な儀式があった。
かなりの緊張を伴う最初の試練は、枢鬼卿の上に君臨されている、このエリシウム公国の最高権威者であり、神の預言者とされる公王様とのご対面である。
陛下との“謁見の儀”というものだ。
その日がやってきた。
思えば、謁見する前に勝手に枢鬼卿布告を出したりしてドタバタしたものだから、公王陛下には、なんという生意気で失礼な男なのかと最初からご立腹の可能性がある。
就職して上司に挨拶するときには初対面の印象が大事ということは重々承知しているが、ご対面のその口で、「お前は即刻クビだ!」くらいに怒られても仕方がないような……
シェイラに尋ねてみたが「まあ、クビにはされないでしょう。定年までは働かせてもらえますよ、こき使われるかもしませんが」と軽くいなされてしまった。
そのとき、「謁見の儀の演出ですが、大盛の豪華版か、ほどほどの中盛りか、小盛りの廉価版地味路線の、どれがお好みでしょうか」と松竹梅の三択コースを提示されたので、地味路線にしてくれと答えておいた。
その場で確認してみると全く内輪の儀式で、参列者は公王府の内勤者だけ、ご来賓はありません、というレベルだったので、それなら質素簡潔なほどありがたい。
絶対権力者の公王様にお目通りするだけで、こちらは疲れ果てるであろう。余計に気を遣う賑賑しい要素はカットしておきたい。
会場は、公城の西門を入ってすぐの位置にそびえるエリシン教の本山大聖堂。
数千人を収容できる屋内スタジアムであり、宇宙を模した八角の形に広がる大屋根の天辺に天母スライムーンを象徴する金色の玉ねぎが載っているという、この国では類を見ない個性的な建築だ。
シェイラの解説によると、八方に拡がる無限世界をスライムーンの神の御威光で統一するという“一光八宇”思想をあらわしているそうだが「エリシン教の最も古い原理的な概念を象徴する、はるか昔にすたれた建築デザインなので、気にされずともよろしいです」ということだ。
毎週末、土曜日の日暮れ時には美撒の会が開かれて、このときは大聖堂とその前の広場が庶民に開放され、多数の信者が集まる。屋台の夜店も出て、ちょっとしたお祭り気分も味わえるとのこと。要するにご家族向けのサービスなのだが。
美撒の堅苦しい儀式の部分は公王府の事務管理部が仕切っており、シドをはじめとした中堅幹部十二名が回り持ちで導師を務め、講話するという。
枢鬼卿は神様との折衝に忙しいので、本山大聖堂の説教台に昇って特別講話するのは年に一、二回に限られるとか。
やれやれ、ほっとした。毎週やらされたらたまらない、演説なんか不得手だし、話のネタに困る。本当にやりたい仕事が、できなくなるしね。
ただし公王様との謁見の儀は、美撒の会とは逆に、日暮れでなく日の出に合わせて執り行われた。
つまり、ご本尊でもあるスライムーンの月が陽の光に隠れるタイミングだ。このとき、スライムーンそのものに憑依されて、公王陛下がお出ましになるというわけだ。
ステンドグラスから差し込む朝日に照らされて真紅に浮かび上がるのは、大伽藍の一角を占める雛壇に集まったエリシン教の修道少女聖歌隊が百名ほど。
その手前にはブラスバンドの女性奏者が数十名、そして中央通路の左右には逞しい女性の儀仗隊が並ぶ。
いずれも黒い修道服姿だが、頭巾のようなナン・ベールは被らず、服はパーカーになっており、フードは背中に預けている。その代わり髪には幅のある白いカチューシャを着用して統一感を出していた。
会場に居並ぶ全員が女性であるのは、我輩でなく先代の枢鬼卿の趣味だ。公王府に男は自分一人というハーレム状態を満喫していたわけだが、シェイラにとってもその方が組織を管理しやすいようだ。つまり女子校状態。
ということで、我輩の前世記憶の青春を甘酸っぱく飾る女子野球応援団席とクリソツな賑やかさだが、それでも数千人が収容できるスタジアムでは寂しく感じるほどだ。さすが地味路線。
キンキラのラメがまぶしいキモノ風の法衣にキンキラの長衣を重ね着したのがやたら重くて、十二単の気分でよたよたと歩く俺に、漆黒の修道服……ただしボディコンのピッチリ系を纏ったシェイラが付き添う。
正面の通路には、まるで婚礼のように純白のカーペットが敷かれていた。
カーペットの前端に足をかけたとき、儀仗隊のサブリーダーが号笛をくわえてピューーーーーッと長く吹き鳴らす。
軍艦式だな、乗艦号笛と同じだ、と思う。
続いてリーダーが「捧げェーーーッ、銃!」。
ガシャッと金属音が響き、儀仗隊の修道女たちが肩に担っていた銃を型通りの動作でくるりと回して捧げ持つ。
それは木製銃身のライフル……だが、銃身を短く切り落とした形に整形した、短銃身ショットガンだ。実際に発砲されたら、なかなか剣呑なシロモノである。
そしてまるで業務用の殺虫スプレーみたいな、太い円筒の芯から棒が出て取手状の握りに似た部品がついた物体を、各自が肩掛けでぶら下げている。
もちろん殺虫用でなく空気入れのエアポンプでもない。
擲弾筒だ。円筒が太いのは、手榴弾かそれに近い炸裂弾を投射するためだ。
ショットガンも擲弾筒も演習用のモデルであることを示す黄色に塗装してあったが、彼女たちは使い慣れているようだ。
儀仗兵を演じる彼女たちの修道服のスカートは走りやすいように丈をやや短くして、靴は半長靴。そして全員が白いエプロンを着けているので、街中を歩けばメイドさんで通るだろう。
しかしエプロンの内側には薄い金属の防弾胸当てを差し込み、拳銃のホルスター、あるいはショットガンの予備弾体を隠せるようになっているはずだ。
彼女たちは二の腕の袖に隊章のワッペンを縫い付けている。クロスした剣の上に金色の玉ねぎ形を描いたエンブレムは公王府近衛隊の識別章と同じだが、地の色が血の赤で、クロスした剣の下に小さな銀色の髑髏マークが光っていた。
“突撃修道女隊”だ。シェイラがひそかに育成訓練している非公式戦闘集団。話に聞いてはいたが、実物を目の当たりにすると迫力がある。
何のために、ここに? と思ったが、すぐに理解した。
彼女たちは、枢鬼卿すなわち俺の護衛なのだ。
だからこのような儀式の場に参列している。
歩みを進めると、ブラスバンドの演奏が始まった。
公王勅歌とされる歌が斉唱される。エリシウム公国の公式な国歌というが、愛唱する国民は少ないらしい。
♪宇宙征かば 凍てる屍
恒星征かば 燃え尽く屍
太陽の 系にこそ死なめ
帰還軌道なし
なんだかお通夜感覚の根暗な曲想。この歌詞、片道切符の宇宙移民団が各自の心中に抱える哀切を謳っているようだ。
出発点である母なる惑星に還ることは許されないが、母星をあたたかく照らす、太陽という恒星の重力圏で人生の旅を終えたいという思いなのだろう。
ふと、昔々の前世記憶で“The Green Hills of Earth”という歌のタイトルが閃いた。似た曲想の名歌だったはずだが、詳しい歌詞は忘れてしまった。
それにしてもエリシウム公国だけでなく、ムー・スルバというこの世界の人々はやはり、一方通行で宇宙からやってきた移民の子孫ではないかという気がする。見るからに宇宙船っぽいスライムーンの姿からして……
あれはやはり、太古の移民母船じゃなかろうか。
そんなことを考えつつ、大伽藍の祭壇の下に到着すると、俺とシェイラはふかふかの真っ白カーペットに片膝をついて畏まった。
正面には、左右両翼のパイプオルガンが、見上げるような高所から百本あまりの筒をくねらせて、蓮華の華を逆さにしたように下方へ広がる中心に、天母スライムーンのご神体である淡い金色の玉ねぎオブジェが鎮座ましましている。
その手前の一段高い演壇にあたるフロアに金銀の装飾を施した猫足の玉座が据えられていて、まもなく公王様がお出ましになるはずだ。
顔を下に向けて、待つ。
「救世歌、謹唱!」
合唱隊のリーダーが命じて、歌唱の曲目が変わった。
最初はスローテンポで、ゆったりと歌われる。
♪天地さやかに 雷鳴らず
世界は終わる ひそやかに
渚に集える さまよいびとは
月の光に 導かる
神を讃えよ
神を讃えよ
われら自由のしもべなり
同胞たちよ 祈り歩まん
いまだ時はここにあり
エリシン教の讃美歌なのだろう。
世界の滅びを暗示して、魂の救いの道を大衆に訴える歌。
歌詞を三回繰り返したのち、間奏でテンポが速くなり、行進曲となった。
すると、歌詞が変わる。
♪天地砕ける 雷鳴りて
正義は悪を 撃ち倒す
いくさに集える 無敵の天使
月の光に 導かる
神を讃えよ
神を讃えよ
われら自由のしもべなり
同胞たちよ 祈り進まん
いまだ時はここにあり
清らかな修道女たちの声がリズミカルに、心地よく響く。
しかしこれは軍歌じゃないか。
社会正義を唱えて慈善活動する“救世軍”のテーマソングみたいにも聞こえるけど、ある種の進軍歌?
しかし……
突撃修道女隊が、現実にここにいる。
彼女たちも歌っている。
この進軍歌は、夢のような讃美歌ではなく、現実の戦闘員が歌うものなのだ。
エリシン教の兵士たちは、まだ少ないが、着々と準備を進めている。
そして思う。
シェイラは、企んでいる。
軍備を必要とする、何らかの企てを。
しかし、その企てを実行に移すには、シェイラにとってこれまでの歴代の枢鬼卿は全くの期待外れだった。なにしろ誰もが、色と欲の酒池肉林にどっぷりと溺れたまま安住し、何もしなかったのだから。
そこへ、我輩が降臨した。
どうやら、ここしばらくの枢鬼卿とは異なるタイプの人間が、新しい枢鬼卿としてやってきたのだ。
もしもそうだとしたら、シェイラは待ち望んだチャンスを得ようとしているのではないか?
「猊下、面をお上げください」
シェイラの声がした。顔を上げる。
「え……」
声が喉に詰まった。
公王の玉座は、空っぽのままだった。目をしばたたく。
無人の玉座、それしか、ここにはない。
「猊下、どうぞお立ちください」とシェイラは促して告げた。
「公王陛下謁見の儀は、終わりました」
そのとき唐突に、僕は思い出した。前世記憶のどこかに、この歌の曲が眠っていたのだ。このメロディは、たしか……
曲のタイトルが、ぼんやりと浮かぶ。
ウォルシング……とか、それともワルツィング……マチルダ?
歌詞は思い出せないが、移り住んだ国を放浪して災難に遭って逃げ回る、ちょっと哀れな移民たちの歌ではなかっただろうか?
はるかな昔、この星ムー・スルバに片道切符で降りてきた人々は、もしかしてこの曲を歌っていたのかもしれない。同じ境遇の人々に思いをはせて。
僕とシェイラが退場する間、ワルツィング・マチルダの曲は勇壮に鳴り響き、長めの間奏を挟んで、進軍の歌詞が繰り返されていた。
「公王様は、どうして……」と歩きながら僕は尋ねた。
「ご不在なのです、ずっと前から」
「いったい、どこに」
「それが、誰にもわからないのです」そしてシェイラは淡々と告げた。
「枢鬼卿のワガ様は公王陛下の代理権をお持ちである、唯一の人物です。……ですから猊下は、神様の代理人。今こそ、ここで猊下の御手にエリシン教団のすべてが、そしてこの国の未来が委ねられたのです」
※作者注:映画『渚にて』(1959)のテーマに使われた名曲『ワルツィング・マチルダ』のメロディはスコットランド民謡をもとに1895~1903年に編曲、あるいは19世紀にオーストラリアで流行した『The Bold Fusilier(勇敢な歩兵)』というミリタリーソングからアレンジしたともいわれます。〈サイト『原語で歌う海外曲』より〉
ともあれ曲の成立は130年ほど昔のことであり、曲の著作権保護期間は満了しており、現在では間違いなくパブリックドメインに帰属しております。
なお曲想のイメージは、陸上自衛隊中央音楽隊の演奏によるCDを参考にしています。
また『海ゆかば』の歌詞は古歌であるためパブリックドメインに帰属しておりますが、曲に関しては作曲者の逝去が1965年とされていることから、「没後70年」とされる保護期間が2035年までは続いているものと解されます。




