035●第五章⑦赤と黒、そして炎浄《バーニング》ビジネス。
035●第五章⑦赤と黒、そして炎浄ビジネス。
ぶつぶつと呪文を唱えながら、あっちの抽斗、こっちの戸棚をガチャパタと開け閉めするシェイラ。どうやらそれが“面倒臭いけど必要”な開錠操作らしい。
見ていると、最後に僕の執務机の上に固定してあるインク壺をカチッと回す。
すると、机の天板がまるごと、音も無くスムーズに右へスライドした。
天板の下に沿わせて隠れていた薄い物入れが現れる。
そこには漆黒の函に入れた黒表紙の冊子が一冊、タイトルは書いていない。
昨日、俺が図書館から持ち出して、あまりの赤字に仰天した赤表紙の帳簿とウリ二つの体裁で、唯一の違いは、こちらは黒表紙であるだけだ。
「ワガ様がご覧になられましたのは、“表の収支決算書”……そしてこの世に“裏なき表”はございません」
シェイラは黒い冊子を広げて見せた。中表紙にもタイトルは無く、手書きでひたすらに数字と項目がずらりと羅列されているだけだが、内容は明らかだった。
最初のページは“収支概要”となっており、まさに一目瞭然。
「真っ黒くろすけの大黒字じゃないか!」我輩は目を白黒させた。「赤い表の決算書では年間数百億ネイの赤字を出していたのに、この、黒い裏の決算書は真逆だ。年間数千億の黒字を計上している。あくまで表に出ない“闇の裏金”を合算してのことだが」
やれやれ……と俺は肩を落とした。にわかには信じがたいが、そういうことだ。
「すみません、気が抜けてしまわれましたか? ……そうでしょうね」と優しい声で気遣うシェイラ。
「これが本物の決算書ってことだね?」
「はい」と教団の財布をガッチリ握っている美魔女は素直に自白する。「猊下をすっかりまんまとペテンにかけてしまいました」
赤字に粉飾した偽物帳簿の数字を見抜けるかどうか、枢鬼卿を試したらしい。
結果、見事に騙されたわけだ。
我輩はむすっとシェイラを睨みつけた。さすがに抜け目の無い美魔女、赤字の垂れ流しをリアルに何年も続けているはずがないわな……。
「謀ったな、シェイラ……」
「猊下、お怒り下さい、ずる賢い嘘つきシェイラに、もっともっともっと! 激怒下さいませ!」
ここぞとばかりに我輩の怒りの炎に油を注ぎ、背中を見せて鞭を差し出すタイミングをはかるシェイラ。
「おあずけっ!」と先手を打つと、半ばやけくそで俺は口走った。
「シェイラよ、バカでかした! コンチクショーすごいぞ! クソッタレお見事!」
「さぞや複雑なご心境とお察し申し上げます」
「全くこれでは、怒っていいのか褒めるべきなのか……困るじゃないか。落日よりも赤いまっかっかの大赤字を助けるために、苦心して免罪符事業を思いついたのに……」
困る、といっても俺の口元はにやける。ついでによだれを垂らしたくなるほどだ。黒字の数字に並ぶゼロの長さ、いくらあっても邪魔にならない可愛さこそ、お金の特質だ。この満足感、幸福感は何物にも代えがたい。
教団の経済破綻という、さしせまった最大の心配が消し飛んだのだから。
シェイラは平然と犯罪的真実を答える。
「大人の実社会で“儲ける”というのは、いかにして免税の裏金を手に入れるかにかかっております。真面目に税金を納めれば、泣きべそをかく程度にしか儲からないように税制はできておりますので。ご覧の通り教団の黒字は、概ね大企業からの巨額の闇献金と、それから偽装企業を経由して、教団の支配下にある多数の非公式な子会社の収益を赤字に加工して現金で吸い上げた結果です」
「それってしかし、世間にバレたらまずいよな?」
「もちろんです。しかし戦場でも弾に当たらなければどうってことがないように、税務省にバレなければ平気なのです。数字の操作は魔法を使って慎重に行い、証拠隠滅に務めておりますが、税務省の徴税局には魔女の査察官もおりますので、油断なりませんけれど」
「それにしても、どうしてこんなに巨額の闇献金がホイホイと企業から集まるんだ? エリシン教団はただの宗教法人だ。政治力は無いので、賄賂献金で仕事の利権を回してもらうこともできないし、超高額のお布施と引き換えに教会に御払いしてもらうとか、お守りや縁起物の熊手をもらったって、一銭も儲からないだろう?」
「おっしゃる通りですが、蛇の道は蛇です。教会には“異端指定”という強力な武器がございます。企業はたいてい、叩けばなにがしかの埃が出ます。製品の検査数値の偽装、商品の産地偽装や欠陥の隠蔽、闇カルテル、粉飾決算や脱税、経営者のお家騒動、従業員への暴力暴言や強制姦淫などの違法行為とその隠蔽、給与の不払い問題、窓口担当者が客をバカにしたりわざと無視するカンパニーハラスメントなど、それらの問題は信者から教会への神前告発や懺悔による通報行為で明らかになります」
すると教会は独自の調査で事実確認を行い、該当する企業の悪徳を指弾して“異端企業”に指定するのだ。
異端指定された企業は全国の教会の掲示板で社名が晒され、藁を編んで作った亀の甲羅形の憑代人形に企業名を記して、教会の玄関前に建てられた“死神柱”に五寸釘で打ち付けたうえで、導師様が呪詛の祈祷をするのだという。
「異端企業の数がそろいますと、憑代人形をまとめて火刑に処します。呪詛の儀式の仕上げとして、キャンプファイアの要領で、真っ赤な炎で夜空に焚き上げて罪を浄化するものです。それを“炎浄”と呼んでおりますが、そこまでくると異端指定された企業のビジネスにかなりの悪影響が生じてきます。ギルド株主からの刑事告発や信者たちの不買運動とか、やはりダメージが大きいのは呪いの旗を掲げた信者集団の“抗議行進”ですね。それに“呪詛”を禁止する法律はありませんので、呪いの一環である炎浄は合法なのです。そこでどの企業も炎浄を恐れて、少なからぬ闇献金を黙って差し出してくるわけです」
なんだか背筋が冷たくなった。正義のためとはいえ、やることを斜め上から眺めると、集団リンチのつるし上げにほぼ近いような……
「お、恐ろしい宗教だ。それって、嫌がらせの極致じゃないか?」
「でも、良心的に正しい道を歩む企業に、そんなことはしません。あくまでも教会が悪事を突き止めた悪徳企業だけを異端指定するのです、悔い改めて教会にドッサリと献金して不祥事の責任を取れば、異端の罪は消滅します。そうやって罪にまみれたこの世に社会正義を実現し、教団の懐もちゃっかり潤うという、ウインウインの事業でしたが……」
「あっ」と俺は思い至った。「枢鬼卿布告第一号で“異端は罪ではない”とやっちまったぞ……」
「でもドンマイです、猊下」とシェイラは涼しい顔だ。「枢鬼卿布告では、教会が “異端指定”することまでは否定していませんので、大丈夫です。まあ多少は闇献金が減るかもしれませんが、その穴は、ワガ様がおっしゃった免罪符の収益で埋めていただけるでしょう。いえ、そうなるようにいたします!」
大胆不敵かつ冷静沈着な表情で、シェイラは両手の指を組んで、拝むように俺に感謝した。
「ありがとうございます、ワガ様、猊下のアイデアのおかげで、教団の大問題であります余剰人員の解決策が見えてきました!」
「なんだっけ、それ」
「お忘れですか? ワガ様が公王府での夜毎の酒池肉林の破廉恥な暴飲暴食宴会をおやめになったので、仕事がなくなってしまった遊興冥奴と毒見冥奴の集団、そして満願全席の厨房のシェフ、調理員、配膳係、給仕員、清掃係、フロントやコンシェルジュそのほか裏方の事務員、ベルガールやクローク係、来賓の下足番まで含めて五百名を下らない人員が現在、不本意ながら自宅待機を余儀なくされております」
そうだ、僕は先代の枢鬼卿がお好みだった、巨額を投じた連日のバカ騒ぎをスッパリとやめてしまったのだ。その結果、浮いた人員をどうするかが、シェイラたち教団幹部の悩ましい課題となっていた。
「しかし、ワガ様が免罪符事業をご提示下さいましたので、事務管理部長のシドの直轄で、部局の組織外に“プロジェクト免罪符”を立ち上げることができます。そこに百名程度の余剰人員を職種転換で吸収することができるはずです!」
シェイラは嬉しそうだ、何とかして雇用を維持したいと思っているのだ。
世間は不景気が長引いていて、転職は可能だが勤務条件はたいてい悪くなる。失業したままズルズルとワーキングプアの連鎖につかまり、住む家を失い、ホームレス化する人々は多い。新聞でも社会問題となっていたが、ウーゾ宰相の現政権は全くと言っていいほど手を打っていなかった。
貧者を一時的に収容して一夜の寝床と給食と病気治療を施す“救貧院”はあるが、それは慈善団体が民間の寄付で運営している。
で、最悪の場合、公王府の余剰人員も解雇されて路頭に迷う恐れがあることをシェイラは説明して言った。
「とはいえ、まだ四百名ばかりの自宅待機者が残ります。そこで、じつは免罪符事業とは別に、シドから解決案のプランABCが提出されております」シェイラは自分のブリーフケースから、数枚の書類を出した。「プランAは全員解雇、これは経営者にとって一番安くつきます」
「却下」と僕。「シェイラもそうだろう?」
「仰せの通りです、クビは避けたいと存じます。一方的な解雇は経営者の無能を示すだけであり、クビになるべきは経営者です。それに神様もいい顔をなさいません」
エリシン教団としても、むやみな解雇は宗教上よろしくないということだ。確かに、経営に失敗して従業員を大量解雇しながら何食わぬ顔で企業役員の座に居座り続けて高給を食む経営陣は、神様の視座からすれば厚顔無恥の部類に入るだろう。
シェイラは続ける。
「次にプランBは部局内での配置転換で雇用を続ける案ですが、難物になるのは、異なる職種に順応するための職能再教育です。これは滑稽なほどうまくいきません、金満家の殿方の接待業に特化していた遊興冥奴さんたちに一日中、地味な事務仕事や教会の庭の草むしりをやれといっても、個々人の向き不向きがございます。そもそも人間というのは、鋳型に嵌めることはできません。しかも職種を変わるたびに低賃金化していきますので。労務省のお偉いお役人はこともなげにリスキリングとほざきますが、そんなことが簡単にできるなら、三十年前にこの不況は終わっています」
「それは理解できるよ、リスキリングで儲かるのは、行政の委託で職能教育を請け負う労奴斡旋商社だけだろうな。労奴斡旋商社にとってリスキリングはしょせん他人事、適当に教室でレクチャーしてサヨナラだ。たぶん、習ったことはさほど役に立たない。だからたいていの労働者は、待遇が落ちるなら、なるべく転職せずに今の仕事を続けたいというのが本音だろうね」
「はい、わたくしも同じです。そこでプランCですが……」




