003●第一章①転生先は枢鬼卿《すうきけい》 〈20240916修正〉
003●第一章①転生先は枢鬼卿〈20240916修正〉
ドスン! と尻が着地した。
といっても、さほど固くはない。木のベンチみたいなものに分厚い敷物が掛けてあって、その上に腰掛ける態勢で落ちたようだ。だから痛みはない。
はっ、と我に返って、下半身と、腕を見る。
体格は普通にGOOD、適度に筋肉質。見たところ二十代前半の若者の体躯だ。
性別は男。股座にしかるべきものが存在している。あられもない裸体かと思ったが、大丈夫、履いてますって。白い腰巻だ。これは現地の風俗マナーに配慮した神様の御厚意であろう。身を包むまぶしい七色の霊光に瞼をしかめつつ、ああ神様、ありがたや……と天を仰ぐ前に……
「おおおおーーーっ!」と巨大な歓声が前方から押し寄せて来た。
ここは円形の屋外アリーナといった趣だ、すり鉢状の観客席を埋める大観衆は数千人か、いや万人近くか。
その重厚などよめきに僕は打たれる。しばらくは我輩も驚いて言葉もない。
どうやら俺が座っているのは、舞台に組み上げられた金銀や花々の装飾も豪勢なひな壇型のステージセットの中段である。
空は血のように真っ赤な夕焼けに染まり、日没直後の時間帯だ。
僕は好奇心のままに、きょろきょろと見回す。
転生者の降臨を示すため神様が天上から“照らし降ろす”垂直の霊光スポットライトのド真ん中に俺はいるので、観客一人一人の表情はよく見えないが、聞こえるのは怒声や罵詈雑言の類ではなく、尊敬の念を含む驚嘆と感激がこもっているようだ。
ホッと一安心。
転生したとたんに住民の皆様に捕えられて八つ裂きや火あぶりは御免だからね、といっても、前前……前世あたりでそんな実体験もあったような気がする。
そこで思い出した、パラシュートみたいに光輪を背負って、天国の階段から下界へダイブする前に、神様からもらったアドバイスだ。
『今回は転生先の宗教的ニーズに合わせて、赤ん坊に生まれるのでなく、健全な青年の肉体で降臨してもらう。そうだ、着地したら身体の左右どちらかに両刃の剣が置いてあるので、それを手に持って掲げるように、それが貴公の身分証となる』
身体の脇を確認すると、右側の座布団形クッションの上に、柄に宝石をあしらった豪華な両刃の長剣が、むき身のまま置いてあるではないか。
俺は早速、持ち上げてみる。分厚い金色の刃は相当に重たく見えたが、持ってみると軽い。ひょいと真上に掲げることができた。
異様に軽く感じられたのは、剣だけではない。
我が身も軽く感じる。剣を片手で頭上に掲げたまま、すっくと立てたのだ。
そうか、この異世界は、前世の世界よりも重力が小さい。体感では三分の一くらいだろう。
これはオッケー、と僕は内心喜んだ。
いつの前世か覚えていないが、重力八倍の異世界に出現したときは難儀だった。トイレに行くにも這ってゆかねばならなかったからだ。
低重力は大歓迎である。
そして我輩自身も、この世界の住民連中に大歓迎されていた。
我輩を包む天の霊光が音もなくフェイドアウトすると、そのかわりに観客席の後方から投光器の照明が僕に集中し、パシャパシャとフラッシュが焚かれて、報道のカメラが俺の雄姿を撮影していることがわかった。
写真機というものがこの世界にはある。よしよし、文明国だぞ。
間髪を入れずにニッコリとカメラ目線を返す。初対面が肝心だ。映える顔つきを心掛けつつ、愛想笑い。まずは、この世界の連中から好印象を獲得しなければ。
反応は上々だった。
おおおおおっ……と寄せては返す観衆の歓声から、僕はこんな言葉を聞き取っていた。
「フェリクス・レナトゥス! フェリクス・レナトゥス!」
突然、その意味が脳裏に閃いた。
フェリクス・レナトゥス……それは“幸福な転生”という趣旨の慣用句だ。祈祷用語の一種である。
しめた、神様は転生する俺の脳に現地語の辞書アプリをインストールしておいてくれたわけだ。これは助かる。
と、「幸福な転生!」の大合唱がフッと静まった。
長く豊かな金髪……いや、ほとんど銀に近いプラチナブロンドを丸めて結い、後頭部に黒いレースの花飾りを載せた、神官めいた威厳を放つ女性が視野に入ったのだ。
彼女はステージ中央の金銀花飾りのセットの上に立つ我輩を見上げつつ、舞台袖のマイクらしき拡声装置の前に進んで、俺に向けて両手を差し出して歓待の意を示すと、胸元にクロスさせる。この国の流儀にのっとった最高級の敬意を示したようだ。
彼女の衣服は真っ黒なノースリーブのワンピース・ドレスだった。
まるで濡れているかのようにボディにぴっちりと吸い付いた漆黒の薄衣を透かして、繊細な文様を華麗な刺繍で縁取った下着のラインが浮き立って……いや、わざと浮き立たせることで、妖しい魅力を醸し出している。
歳は二十代半ばか。
絶世の美女……にほぼ近い、キリッとした眼差しの端正な容貌。俺のタイプだ。
彼女は厳かに宣言した。
「われらがエリシウム公国の新たなる枢鬼卿が、めでたくご降臨なされました! 古の予言はまたも成就されたのです! 天はわれらに聖なる公王の代弁者、新たなる新世代の枢鬼卿…カルディナル…を再び下賜なさったのであります。……今こそ悲しみは終わり、喜びが始まる。諸人こぞりて慶事を寿ぐべし、心ゆくまで歓喜するがよし! 讃えよ幸福な転生! ルミナル・カルディナル!」
群衆は応え、我輩を俺を僕を讃える慣用句を唱和する。
「ルミナル・カルディナル! ルミナル・カルディナル!」
ルミナル・カルディナル……これは“光あれ枢鬼卿”という意味だ。
そう悟って、俺は思わずフニャーッとにやけてしまった。まことに目出度いなあ。転生早々から縁起の良い人気者なのである。
そして銀髪黒衣の美女は僕の前に進み出て片膝をつき、かしこまると、忠誠の誓いを述べた。
「神聖なるエリシウム公国へようこそ、新しき枢鬼卿猊下、私は首席補佐官にして近衛隊司令官を併せ務めております、名はシェイラ・マヤ。なにとぞ、お見知りおきを。そして、望むままにご命令を。猊下、どうぞ我らに猊下の聖なる御名をお告げ下さいませ!」
そっか、降臨したからには名を名乗れということか、と俺は納得した。これから国を挙げて歓待するにあたって、まずは我が名を知らしめよと言うのだ、よかろう。
我輩はおもむろに深呼吸して、大音声を発した。
「我輩……は……」
そこで詰まった、しまった、そういえば自分の名前を決めていなかった。名前なんてたいていは親が決めているものなので、全然意識していなかったのだ。ここはひとつ、カッコいいイケメンを思わせる、耳映えのする威厳ある名にしなくてはならぬ。内心は大慌てで、スマートで英雄っぽい名前を想い出して、よしこれだと決心して言い直す。
「我輩は! …………」
沈黙の「……」が長引いたのは、補佐官のシェイラが感極まった如くに叫んでしまったからだ。
「ワガ=ハイ様! 新枢鬼卿猊下はワガ様!」
間髪を入れず、大群衆が呼応した。
「ワガ様、ワガ様、我らが猊下、ワガ様!」
あちゃーっ、と僕はのけぞった。しまった、これは大失態だ。せっかく考え付いたキラキラネームを披露するにあたって「我輩は」と偉そうに前置きしたのが痛恨のミステイクであった。そして、今更「いや、それちゃうちゃう、ちゃいまんねん、わてのホンマの名前は……」なんて訂正するなんてみっともなくて、枢鬼卿の権威を貶めるおそれがある、と直感する。
ええい、ままよ。
この異世界、わが通り名は、“ワガ=ハイ”でいくっきゃない。
とほほな気分で我輩が覚悟を固めたことを知る由もなく、シェイラは満面の笑顔で俺に向けて告げる。その笑顔があまりに素晴らしいので、僕はもう、自分の名前なんかどうでもよくなった。
小悪魔的なヴィランの美女が、生まれて初めて恋というものを知った瞬間というか、そんな、つまり、説得力満載の希望にあふれた笑顔だったのだ。
「我らが主、ワガ=ハイ様! なんと凛々しく雄々しい御名でありますことでしょう! さあワガ様、これより公王城へ、喜びとともにご案内いたしましょう!」
やった! と俺は内心、小躍りした。
ガラガラポンの転生ガチャ、大当たりの特等賞だ。心の中でカランコロンと福引の鐘が鳴る。枢鬼卿というのは、この国の最高レベルか、それに近い権力者なのだ。ならば一生、贅沢三昧で酒池肉林が確定だ!
美女揃いのハーレムを想像して、俺は一層フニャけた。
「猊下、こちらをお召しください」
美女シェイラに比べてレースの文様が控えめな黒衣を羽織った侍女が、捧げ持った匣を開ける。黒檀なのか黒漆なのか知らないが、高級感あふれる匣の中身は金糸銀糸のラメで幾何文様に飾られた長衣だ。
シェイラは畳まれた金ぴかのローブを掲げて登壇すると、俺の背中から着せ付けてくれた。背後からふわりと、シェイラの香りと息遣いが俺の首筋をなでる。ほどよくフェロモンを含んだ、かぐわしい微風の心地よさ。
後ずさりに降壇するシェイラの流麗なボディラインをムフフと愛でながら、俺は目の前にやってきた輿に乗る。紅白の羽衣を纏った巫女たちが数十人で担ぐ輿であり、文字通り“お神輿”だ。神輿の玉座は金銀と宝石細工をちりばめた豪華ソファである。
俺が掲げた長剣は、枢鬼卿の、いわば免許証にあたるようだ。見た目は重そうだが俺にとってはペティナイフ並みに軽々と操れる。それを円月殺法のごとく、すらりと中天に振り回すと、群衆がどよめく。
玉座の隣にしつらえてある円形座布団に剣を置き、ソファに腰を下ろす。輿の周りに並ぶ儀仗兵が長銃を捧げ持つ。
輿が進み始めると、観客席の前段に控えた楽隊がファンファーレを吹鳴し、そのまま壮麗なマーチに移行した。俺のために演奏しているのだ。古風だが格調高い曲想、我輩の前……前世の記憶によると、ダン・イクマー作曲の『祝典行進曲』に近いような。
そして楽音に重なる、群衆の歓呼。
「光あれ枢鬼卿! ワガ様! ワガ様!」
輿が半円形劇場の貴賓門を出るとき、我輩は振り返って状況を確認した。
ここが自分の記念すべき出現地点であり、ここから新たな転生の人生が始まるのだから。
「うえっ」
俺は、口の中に当惑のつぶやきをかみ殺した。
ありゃなんだ?
ステージの上に掲げられた、巨大な肖像画。
中年の男だ。丸縁の眼鏡をかけ、髪はM字形の生え際から後頭部へネッチリとなでつけたオールバック、唇はへの字で、左右の頬はたるんでいる。わざとらしく悪ぶったチョビ髭に、両眼の輝きは知性とは程遠く、下卑た欲望でメラメラの傲慢さがあふれている。
我輩が観たところ、半グレのヤクザなおっさん……という印象だが、その肖像画の巨大額縁には黒いリボンがかけられていて……
直感した。
ここは、祝宴の会場ではない。
どうみても葬式の斎場なのだ