027●第四章⑥トモミへの説教と情報の三原則。サヴァカン帝国の隠された本音。
027●第四章⑥トモミへの説教と情報の三原則。サヴァカン帝国の隠された本音。
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異世界で月見と天体観測をしっかり楽しんだ転生者は俺が史上初めて……ではないだろうけど、ほぼ初めてじゃないか? と、能天気な自尊心に包まれて翌朝を迎える。
実にスッキリ、気分爽快。20代前半とおぼしき肉体年齢をかんがみると、性欲がらみの煩悩がHな夢とともにムラムラと残る“下半身元気”な朝を迎えていてもよさそうだが、不思議なことに青少年にありがちなお悩みはどこかへ消え去っていた。
この、やや奇妙なほど爽やかな目覚めは、その後ずーっと続くことになり、その理由もしっかりとあったのだが、何事も結果オーライで、気分よければすべて良し……と、気に掛けることをやめてしまった。
朝食を済ませて身支度すると、そのまま机に向かい、山をなす書籍と資料、紐で綴じた書類や古文書を読み漁る。熱中のあまり図書館に泊まり込んでいるのだ。
エリシウム公国の建国後の大まかな歴史、ここ一世紀ばかりの詳細な歴史、政府と統治機構の仕組み、政治と宗教の役割分担、憲法と民主主義の発展レベル、そして経済の動きや国際関係……そういった事項を分野別に整理して、頭に叩き込む。
もちろん新聞にも目を通す。TVは無く、ラジオも開闢期という現状はムー・スルバの各国でも似たり寄ったりだ。したがって新聞が最大のメディアとなる。
今朝もできたてほやほやのクレープみたいに温かい新聞が席まで届けられた。
本当にホカホカなのは、印刷のインクが我輩の手を汚さないように、家事冥奴が赤色魔法石を仕込んだアイロンをかけて、しっかり紙面を乾かしてくれるからだ。
そこまで気遣うことはないとシェイラに言ったが、家事冥奴の仕事を奪うことになるからと、やんわり諭された。それにシェイラは指摘しなかったが、新聞のインクがついた指で俺が貴重な古文書に触って汚したら、司書女史が悲しむだろう。
公朝新聞、公毎新聞、公読新聞、公産新聞が四大紙で、左寄りから右寄りまでカバーしているのだが、基本的にどれも政府の統制下にあることが、すぐにわかった。
現政権への悪口が、どこにも書いていない。
それは当然、非の打ちどころのない完全無欠な素晴らしい政府だから……という説明も成り立つのだろうが、左寄りでも右寄りでも、“社会はこうあるべし”という理想を掲げているはずだ。そして理想と現実には必ずギャップがあり、その谷間から現在の為政者への悪口が噴出している……というのが、むしろ健康な国家だといえる。
「前世記憶の体験を総合すると、現政権への悪口があってこそ正常、無ければ異常と考えていいね。政府の圧力で書けないのも問題だが、新聞社が自粛して自分から書かなくなっていたら、もっと性質が悪い」とトモミに説明すると、“鳩に豆鉄砲”な顔で唖然とされてしまった。
「新聞は社会の公器だと習いました。公平な報道機関が他の人の悪口なんか書くのはいけないと教わったんですが」
「いやいやトモミ、公共の媒体であるからこそ、為政者の悪事や欠陥を暴いて紙面化することで、神様に通報しなくてはならないのだよ、えへん」と我輩は勿体ぶる。美少女から尊敬の眼差しを浴びせてもらえる、至福の瞬間なのだ。こことばかりに続ける。「力のある為政者が、公益のための通報を“誹謗中傷”と言いくるめて断罪するとか、上司が部下をいじめる行為を“叱責と指導です”と言い換えて涼しい顔をするようでは、民主主義の危機だよ。社会で最強の為政者に対して、社会で最弱の低層庶民から、相当に辛辣な悪口を新聞の読者欄に自由に投書することができるか否か、そのあたりで社会の風通しの良さが計れる」
「でも」とトモミ、「悪口が正しくなくて、嘘八百だったら、大変なことにならないでしょうか? 嘘八百を本当だと信じてしまったら……でも逆に、嘘八百と思われたことが正真正銘だったりして」
おお、それは良い質問だね……と、我輩はしたり顔で、食い入るように見つめるトモミの視線を受けてあげる。「まあ、悪口と言うのは言い過ぎかな。正しくは“批判”なんだけれど、大衆は“批判”と“悪口”の区別なんかしてくれない。自分がいつだって正しくて、それ以外はみんな間違っていると信じて疑わない。なぜなら、自分が間違っていると認める勇気なんかひとかけらも無いからだ。自分は絶対に正義、だから善、だからあいつは悪だとね、それで、“悪は滅ぼせ、悪人は殺せ”などと平気で叫ぶ」
「そんな……そんなに、誰もが一方的に、勝手に思い込んで、自分は善で他人は悪だなんて、そんな決めつけは、神様がお許しになりませんわ。善と悪を決められるのは、神様だけです。天母スライムーンの神様だけですよね」
「ああそうだ、その通りだ、トモミは賢いな」と我輩は褒めた。本当に感心したのだ。「そうだよ、トモミ、多くの無知蒙昧な人々は、自分中心でしか、物事の良し悪しを判断しない。どんなにもっともらしく、世のため人のための立派な考えですよと主張していても、その本音は“自分の利益になるかどうか”、それだけなんだ。だから用心しなさい」
用心……って? と、純真な少女の瞳が我輩に問いかける。答えは明瞭だ。
「たいていの大人たちは、主観的にしか物事の価値を判断しない。……ということを、常に頭のどこかに置いておくことだ。本当のところは、どのような人物にも、どのような物事にも、善と悪が両方混ざっている。大切なのは、その混合比が、善と悪で七分三分か、それとも四分六分か、よく考えて見分けることだ。それは自分ひとりで、主観を捨てて、客観的な神様の視点に立つことでしかできないのだよ。トモミ、神様を拝むだけでなく、神様の眼にはこの世の中がどのように映っているのかを考えなさい。そのうえで、自分の道を選ぶのだ」
「枢鬼卿さま……」トモミは両手の指を組んで、我輩に祈りを捧げていた。「どうかこの、哀れな迷える子亀をお導きください、悪を払い、善なる心へと」
完全に信仰されてしまった。美少女に崇拝され慕われる、この幸せ感の甘美なことよ。まあエリシン教の正真正銘の枢鬼卿様なのだから、誰にも信仰されなかったら商売あがったりだもんな。
にしても、この世界では、迷っているのは子羊でなく子亀なのだと知って、不謹慎にもプッと吹き出しそうになってしまった。が、それをこらえて、我輩は同時に考えていた。
……あの、夜空を支配して人類を睥睨するスライムーンの奴は、極軌道の高みから、たぶん精巧な電子の眼で、人間には見えない波長の電磁波か何かで、我々をスキャンし、監視している。長大な時間を超えて、おそらく何千年にもわたって。
何を考えている? スライムーンの神様よ、人類の前途は善か悪か、その行く末を見定めるつもりなのか?
「しかし、それはそれとして」と、我輩は二人の雰囲気を戻すことにした。偉そうに説教してしまったと反省する。この調子ならいつでも教会の説教台で一席ぶつことができると自信をつけたけれど、トモミを“迷える子亀”扱いしない方がいい、信仰心をつけすぎて、出家してエリシン教会の巫女になるとでも言い出されてはたまらないからだ。色欲絶対厳禁の聖職者に就職されてしまったら……
イチャイチャできなくなるではないか!
我輩だってたまには美少女とイチャイチャしたいのだ。喫茶店デートくらいなら良いではないか。健康優良な20代青年なのだからな。もちろん強制や準強制でなく、トモミの親切な合意が前提だが。
だから迷える子亀トモミよ、俗世を捨てて修道院に入りますなどと我儘言ったら、断固阻止だぞ! 尼寺行きは絶対反対!
「まあしかし、神様のことは忘れて、実用的な対処法を話そう。世の中の真実を見極めるための、基本的な手順があるんだ。手前味噌だけど、“ワガ=ハイの情報三原則”と呼んでくれたまえ」
「情報三原則?」
「そうだ、三つの単純な法則だよ」と、我輩は説明した。
「第一に、情報は必ず意図的に流される」
目の前に、新聞を広げていた。一面の見出しは“ウーゾ宰相、外遊より帰国。サヴァカン帝国皇帝陛下と包括的友好条約を締結へ”。
エリシウム公国の本島である、ここエリス島から南方に千キロメルトほど海を越えていけば、そこに大陸が広がっている。
サヴァ大陸。
サヴァカン帝国はかつて、比較的地味な中規模の国家だったが、ここ数十年で周辺の諸民族国家を次々と併合して、巨大帝国に変貌しつつある。
新聞の写真はみな同じで、エリシウム公国のウーゾ宰相が、サヴァカン帝国の首都モスカンで開催された国際平和体育大会の閉会式に招かれ、帝国スタジアムの貴賓席に立って、帝国の政府主席であるラトンプ将軍と友情を込めて固い握手を交わしている……という場面だ。
ウーゾ宰相はニコニコ顔でチョビ髭をたくわえた、気のよさそうな紳士に見える。50歳代あたりだろう。我輩の前世記憶にある“背広”という衣服をグレードアップした感じの、高級な正装だ。ラトンプ将軍は四角張った角に房を垂らした、サヴァカン帝国独特の軍帽を被り、詰襟の軍服姿。飾り房がたっぷりの肩章に、胸にずらりと並べた勲章が仰々しい。
二人とも国家を代表する、錚々《そうそう》たるたるVIPだ。
記事を読むと、こんな内容だった。
サヴァカン帝国の皇帝陛下はウーゾ宰相の訪問をことのほか喜ばれた、このあとウーゾ宰相は政府専用船でエリシウム公国へ帰国し、サヴァカン帝国の皇帝陛下との間に“包括的友好条約”なるものを締結する運びとなったこと、それに先立って、先進国である豊かなエリシウム公国政府から発展途上のサヴァカン帝国政府へと、友情の証として五千億ネイの無償経済援助をプレゼントするという。
ネイとはエリシウム公国の通貨単位で、大衆食堂なら千ネイで亀豚叉焼山盛り拉麺が一杯、二千ネイで演芸場の格安立見席ってところだ。一億ネイも出せば郊外にまずまずの豪邸が買える。
「記事内容と写真から受ける印象はどうかな?」とトモミに訊く。
「いい感じです。公国と帝国、海を隔てた二つの国が仲良くなって、友好条約を結ぶってことですね。あちらの皇帝陛下とこちらの宰相様が握手して、平和の約束をするかわりに、こちらからあちらに、友好の援助を差し上げるということじゃないですか?」
ブー! と答えてやりそうになって、口の中に引っ込めた。ハズレだけど、0点ではないからだ。
「うん、そうだね。隣同士の両国が平和を誓って、仲良しになりましょうと約束を交わした……この記事を読んだ人は、まず最初にそう思う。写真の場所も、国際平和を謳ったスポーツ大会の目出度い閉会式だしね。つまり、記事を読んだ人々みんなにそう思ってもらえるように、あらかじめ意図的に記事内容が作られているわけだ。……そこで、ワガ=ハイの情報三原則の第二だ」
我輩は勿体ぶって続けた。
「第二に、情報にはウソがある」
「新聞の記事にウソなんかあるんですか?」と、純真な少女はびっくりする。
「もちろん、記事が全部嘘八百ってことはないよ。ただ、大事なところでイメージをぼやかして、印象を操作していることがある。事実とは異なる方向へと、読者の考えを誘導する場合があるんだ。……この写真を見たまえ、われらがウーゾ宰相の隣にニヤッと笑って写っているのは、帝国の政府主席であり軍人のラトンプ将軍だ。皇帝陛下ではない。しかし記事の見出しや本文では、まるでウーゾ宰相が皇帝陛下と会って友情の握手をしたかのような印象を受けるね。ここが一番ウソっぽいところだよ」
「えーっ、写真の立派な軍服さんは、てっきり皇帝陛下だと思いました」
「写真説明のテロップが小さいから、見落としてしまうのさ。この記事の大事なポイントは、写真と本文が微妙に一致していないこと。本文では、ウーゾ宰相がサヴァカン帝国の皇帝陛下に直接会って握手したかのように思わせながらも、実際に“会見した”とは断言していない。つまり、そこから言えることは……」
「ウーゾ宰相は、皇帝陛下にお会いできかったのですか?」
「だろうね、それが事実なのさ、ウーゾ宰相はサヴァカン帝国の皇帝に会いたかったはずだけど、会ってもらえなかった。だからかわりに、政府主席のラトンプ将軍と握手した写真を使ったんだ。ウーゾ宰相と皇帝陛下のお並び写真があれば、そっちの方を掲載しているはすだからね。……そこで、情報三原則の三番目となる」
紙面をにらみながら、我輩は様々な可能性を推理した。そして結論が出る。
「第三に、大事な情報は隠される」
我輩はウーゾ宰相とラトンプ将軍の握手写真を指差した。それは二人の頭の上あたりの、背景の壁だ。
「この壁にはサヴァカン帝国の国章が浮き彫りにされている」
実線で描いた五角星の形だ。ただし大小の五角星が五個、マトリョーシカみたいな入れ子構造に描かれている。この“五重五角星”がサヴァカン帝国の国章だ。
「つまり、写真の二人が立っている貴賓席の背後のもう一段高いところにサヴァカン帝国の皇帝陛下の玉座が置かれているんだ。ということは、われらがウーゾ宰相はサヴァカン帝国の皇帝陛下よりも一段低い位置に置かれたことを意味する。そして注目したいのは、ラトンプ将軍の立ち位置だよ。写真ではウーゾ宰相が右、ラトンプ将軍が左に立っている。つまりウーゾ宰相から見た場合、自分の右側にラトンプ将軍がいるということだ。……で、他の文献の各国王室の写真をいくつか見てきた範囲では、二人並んだ写真では、本人たちにとって右側、つまりカメラマンから見れば左側のほうに、より偉い権力者が位置するようにされている。女王様からみれば、その右側が王様の玉座だ。つまりこの新聞の写真では、ラトンプ将軍の方が上座すなわち偉い人のポジションにあたるんだよ。些細なことのようで、正式な外交写真としては重要なことだ」
「ええっ……? それじゃ、ウーゾ宰相は随分へりくだって、サヴァカン帝国の人たちから低く見られていたことになるんですね。気が付かなかったです」
「そうだよ、トモミ」偶然出会った記事だけど、その一面の記事と写真だけで、エリシウム公国の政治的な内情が推察できたわけだ。「記事と見出しだけを読めば、エリシウム公国とサヴァカン帝国は対等で友好的な関係にあるように思えてしまうけれど、実は、エリシウム公国がかなり低い位置へ見下されている。ウーゾ宰相はあちらの皇帝陛下に会わせてもらえず、その下の政府主席であるラトンプ将軍よりも低い立場に扱われ、仕方なく作り笑いでお愛想を振りまいてかえって来たんだよ。しかも、五千億ネイという上納金まで支払うと約束させられてね。ウーゾの外交活動にどのような圧力がかけられたのか、詳しくはわからないけれど、これは屈辱的な朝貢外交だぞ!」
しかも、同じ写真がサヴァカン帝国の新聞にも掲載されて、あちらの全国にも知れ渡っている。とすれば、サヴァカン帝国の国民は、自分たちの皇帝陛下のもとに、エリシウム公国がぺこぺこと頭を下げて挨拶にやってきて、しかも五千億ネイという巨額の上納金まで差し出した……と解釈するだろう。
カモがネギをしょって来た……とは、このことだ。
サヴァカン帝国にとっては、一方的なまでの外交の勝利である。この先、“包括的友好条約”で、サヴァカン帝国にとってさらに都合のいい取り決めが、どれほど実行されるのか、気を付けて、注視しておかなくてはなるまい。
これも、ひょっとするとエリシウム公国の滅びの兆候なのだろうか?
少なくとも、両国が友好関係にあることを、ウーゾは一生懸命に偽装しようとしている。実態は異なるのに。
「エリシウム公国の国民に対しては、さも両国がとても仲良しになったかのように伝えながら、実のところ、ウーゾ宰相にも、あちらの皇帝陛下にも、腹の中ではドロドロとした思惑が渦巻いているのかもね。両国首脳の本当の本音というのは、新聞の記事などには絶対に書かれない。僕たちはそれを推理推測するしかないんだ。だからトモミ、大事な情報であるほど隠されている、と言えるんだよ」




