024●第四章③天動も地動もオッケー、異端者を救え!
024●第四章③天動も地動もオッケー、異端者を救え!
「シェイラ!」と呼ぶと「ふわぁい」と気の抜けた返事が返ってきた。
どうしたのかと書棚の隙間から覗くと、窓際に寄せたソファに寝転んで読書中だったらしく、背もたれの影からもぞもぞと美魔女の肢体が起き上がるのが見えた。
逆光にきらきらと舞う銀髪と、肩を見せた白磁の肌が艶めかしい。
「猊下ァ……」と、あくび交じりで応じる、久しぶりの日向ぼっこで、すっかりくつろいでいたようだ。「御用の向きはいかがでございましょ、わ~たくしめのような大婆がお若いお二人の仲睦まじいホノボノと楽しいお仕事を邪魔してもよろしゅうございますか?……」
皮肉かそりゃ、と我輩は言い返したくなった。昨夜のシェイラとはまるで別人かと思うほどに気が緩んでいる。まあしかし、魔女だからな。どこの異世界でも、魔女は気まぐれだった。
立ち上がったシェイラは両手に一冊ずつ、たった今まで読んでいたページに指を挟んだ本を持っていた。その表紙を見ると……
「それって漫画じゃないか、禁書の棚にあった」
「あ……」シェイラは少しうろたえた。僕が禁書棚に並んでいた古書のコミックのタイトルを覚えていたのは想定外だったらしい。「げ、猊下! こ、これはエリシン教として許すまじき禁忌の堕落がいかに人心を惑わすものか、わたくしみずからの目で確認し、その異端の罪深さを自己審問しておったのでございます!」
「いいよいいよ、つまんない言い訳なんて」と、僕は笑った。いかにもカタブツに見えるシェイラだって、本音のところは漫画好きなんだ。そうと知ったら突然に親近感が湧いてくる。「どれどれ、ちょっと見せてよ。へえ……」
シェイラの片手の一冊は『ズッコケ亀豚三等兵:こちら勝鹿軍亀豚駐屯所』。
「メタボな豚さんのドタバタミリタリーコメディか」
「め、めたぼ?」
「ああ、僕の前世記憶の異世界用語だよ。早い話が、肥満という身体的状態を婉曲に表現する学術風を気取った単語さ」
「要するにデブということでございますね」
「まあ、そうだね、デブという差別用語を口先でメタボと誤魔化しただけなんだけど。で、そっちの本は……」
シェイラのもう一方の手の漫画は『缶ピース』。
「ヘビースモーカーの海賊王が、究極のニコチンを求めて海賊道を極める戦いの物語でございます。深まる肺ガンをものともせず海原の果てに主人公が探すのは、世界にたった一缶しかない至福の紙巻タバコ、その一服こそ、人類に死の安らぎにも似た永遠の平和をもたらすと伝えられているのです」
「タイトルはシンプルだけど、奥の深いストーリーなんだ」
「はい、猊下、どちらも最終巻の最終話近くなので、ついつい熱中してしまいまして……」
「にしてもシェイラ、肥満と煙草、どちらも健康に悪い作品だなあ」
「わたくし魔女ですので。ギトギトの背脂拉麺も、ハイニコチンのキセル煙草も好物で免疫でして、いまだに平気の平左でございます」
悪びれも無く答えるところが、シェイラらしいといえば、そうかもしれない。まあ、それらの漫画が禁書になったのは、うなずけるような気もする。まともな人類は、真に受けて真似しない方がいい漫画なのだろう。
「えっ、でも、両手に一冊ずつってことは、同時に読んでいたの?」
「ええ、そうでございます。左目で一冊、右目で一冊」
「人間離れしたウルトラ読書法だ」
「魔女ですから」シェイラはにやっと、ドヤ顔を見せた。
「で、突然だけど、頼みがあるんだ」
「はっ」と、シェイラは片膝をついて畏まった。それでも両手の漫画本に指を挟んだまま離さないのは、よほど続きをよみたいほど面白いらしい。
「天文の分野についてだけど、エリシン教は天動説を支持している。ゆえに地動説は異端だ」
「おっしゃる通りです、猊下」
「このさい天動も地動も、両方オッケーにできないかな」
「は?」とシェイラは面食らう。「異端を異端であらざるとなすことは、それ自体が異端の論理でありますがゆえ、異端の異端と解釈しておりますが、異端に対する異端は逆説的に正論と解することも……」
「いや、そういった面倒くさい神学論争はちょっと横に置いといて」
俺は、地動説論者が異端の烙印を押されて逮捕され、死刑もあり得るという、この社会の現実を述べて、提案した。
「要するに、異端であろうがなかろうが、言論や風説の自由を認めて、全て無罪にしてやりたんだよ」
シェイラは目を丸くした。シェイラが仕えてきた歴代の枢鬼卿の中で、「異端を異端と認めずに許す」と、大それたことを言い出したのは俺が初めてということだ。
「エリシン教会の威厳を保ち、体面を維持する上では歓迎できかねますが、制度的には不可能ではありません」
「そっか、方法はあるんだ」
「はい、猊下、“枢鬼卿布告”という公王府から発する勅令がございまして、猊下がご署名、押印なさるだけで全国に周知徹底させることができます」
シェイラが説明するには……エリシウム公国の国教であるエリシン教の聖なる神様は、“天母スライムーン”と称する汎用神だが、公国で一番偉い公王様は、その神様を代理できるという。いわば公王様は教祖様だ。
そして枢鬼卿は公王様を代理して、公国の宗教行政をすべからく実施する権限を持つ。
すなわち、「我は公王様の代理人である、教祖様である公王様に代わって布告するので、全国の教会も信者である全国民も、この布告に従え」と知らしめることができるのだ。
ただし、エリシウム公国は“立憲君主議会制民主主義”を採用している進歩的な国家なので、国民議会と、議会に選ばれた政府が存在している。だから、何から何まで枢鬼卿が勝手に決めて独裁的に強制するということはできない。
「枢鬼卿様が独裁的に強制できる範囲は、エリシン教の教団と全国の教会に限られますし、強制できる内容は、宗教的な事項に限られます。“枢鬼卿布告”だけで法律を作ったり、他国と条約を締結したり、宣戦布告するような、政治的な“政”はできないのです」
「なるほど、それは納得だよ。政治は議会と政府に、宗教は公王府に、それぞれ統御する分野が棲み分けられているってわけだ。政治と宗教は分離している、政教分離って概念だね。だからエリシン教会は異端者を告発しても、その者を裁判にかけて裁くことはしないし、できないはずだ。民主主義国家はそうでなくちゃ。ということは……」そこで我輩は重大なことに気がついた。「ちょっとまてよ、じゃあなんで、地動説を唱える異端者は、実際に逮捕投獄されて、裁判されて、死刑まで宣告されているんだ? エリシン教会にできるのは“〇〇は異端です”と判断するだけにとどまるはずだ。異端者を告発できても、宗教裁判なんか開けないし、逮捕も投獄もできないはずだぞ」
「おっしゃる通りです」とシェイラ。「ですから、議会が法律によって、“神聖な国教であるエリシン教に盾突く異端は宗教上の罪であるがゆえに刑法上の罪である”と定めているのです。公王府は、“たとえば地動説はエリシン教にとって異端である”と告知しているだけでありまして、あとは察警庁のベジャール長官の権限のもとに、刑法に定められている“国教異端罪”の条文を適用して、異端者と目された国民を、察警の警吏がしょっぴいて、ブチ込んで、拷問して自白させて、問答無用で判決を下して絞首刑に処することができるのです」
“しょっぴいて”以降の表現がややぞんざいで、吐き捨てるような言い方になっているのは、シェイラ自身、議会が勝手に法律を成立させて“国教異端罪”という重罰を伴う罪を制定して、しかも実施していることに対する反感を抱いていることをあらわにしていた。
そして僕も、怒りを感じていた。
「それじゃ、エリシン教会は異端を告発はするけれど罰するつもりがないんだ。にも関わらず、政府が勝手に教会の名を借りて処罰しているんじゃないか。これは政府と議会の暴走だ。ダメだよ、即刻、是正しよう!」
「御意、誠に仰せの通りでございます。直ちに手配いたしましょう」
手にした二冊の漫画本のページの端を折ってテーブルに置くと、シェイラは図書館を飛び出してゆき、数分後に、布告用の事務用具一式を携えた事務管理部長のシドを伴って戻って来た。
ピンクのつやつやした丈夫な大判の紙がテーブルに広げられ、太くていかにも頑丈なペンと、こってりした黒インクが用意される。
「これって、動物の皮じゃないか?」
「はい」とシドはよくなめしたピンクの紙の四隅に文鎮を載せながら、「亀豚の豚皮紙でございます。正式な行政文書の原本に使用する特殊な紙です」
そうか、この世界では羊皮紙でなく豚皮紙なんだ。
この世界の汎用的な家畜らしい亀豚さんたちが可哀想になったが、我輩が転生してきた異世界によっては、財宝の在りかなどを示す重要文書は人間の頭部の皮膚に刺青で記述して、本人が死んだら皮を剥ぎ取って持ち歩くといった野蛮極まりない残酷な世界もあったので、こちらの世界ムー・スルバは倫理的にましな方なのだろうと思う。
シド女史がペンを構えた。エリシン教として威厳のある書体で起草する必要があり、彼女はエリシン大学の“巫女ペン講座”で師範の資格を得た名人ということだ。
「文案はいかがいたしましょう、骨子だけご教示下されば、形式にのっとった布告文に生成させていただきますので」とシド女史。




