022●第四章➀公王府図書館と、図書ロッコとラグノベル。
022●第四章➀公王府図書館と、図書ロッコとラグノベル。
この国、エリシウム公国は滅びようとしている。
いつ、どのような原因で、いかなる姿で滅びていくのか?
そういったことをシェイラに尋ねたが、答えはこうだった。
「猊下、エリシウム公国について詳しくお調べになれば、おのずとお分かりになることと存じます」
シェイラは解答をはぐらかしたわけではない。そのことが我輩にもよくわかった。
ひとつの国が滅びるというのは、その原因もプロセスも、ものすごく複雑で大きな異変である。
我輩の過去の前世記憶からすれば、複数の要因がややこしく絡み合って起こる。
例えば、異世界に転生して物心ついたころに、やたらとありがちなのは、戦争だ。
隣国との国境紛争、あるいは大国の突然の侵略、あるいはこちらから欲を出して「まあ何とかなるだろう」と戦争を仕掛け、スカタンやって大敗するケース。
というよりも、俺が転生した時にはすでにどこかの国と慢性的に戦争中で、大人に成長したところで出陣するというパターンが圧倒的だった。貴族のエリート士官で恋人の令嬢もいて、華麗なる出征となれば誠にラッキーだが、親ガチャに恵まれなければ騎士や下っ端の足軽ということも多い。
そして戦争は終わることがない。運が良ければ神様からもらったチート力で戦いを生き延び、勝つか下剋上で成り上がるかして、国家同士の“国盗り物語”に巻き込まれてゆく。
その過程で、勝ち続ければいいが、敗けたら国が滅びる。
どこかの異世界で、そんな歴史書を読んだ気もする。タイトルは『スリーキングダムズ』とか『サードライヒ』、『クリーク・デア・シュテルネ』とか『タイコーキ』とか……
まあしかし、本質的には、戦争で国が滅びるのは超複雑なプロセスの最終段階に過ぎない。
とある異世界でクラウゼヴイッツという軍略家が述べているように、「戦争は政治の延長である」からだ。
戦争の前に政治あり。
政治というのは、支配者が人民や国土を管理する行為をいう。
その政治の背景には、経済・産業・学術・文化・宗教・自然環境など、さまざまな構成要素がある。
それら構成要素のどれかひとつでも安定を失って暴走、あるいは破綻すれば、人々が良識を失って内乱や戦争に至り、国家は無政府状態となって滅んでゆく。
だから、あらかじめ国家の滅亡を防ぎたいと思ったら、まんべんなく諸事情を把握しなくてはならない。
エリシウム公国の経済・産業・学術・文化・宗教・自然環境などについて……
とにもかくにも勉強だ。
それが、この国を滅亡から救う第一歩。
「図書館とか資料室はあるのかね」と我輩はシェイラに尋ねる。
シェイラは、待ってましたとばかりに答える。
「はい、猊下! あらゆる資料文献を収集整備し、日々館内をくまなく清掃しております。司書女史たちは大喜びでょう。正式な利用者のご来館なんて、何十年ぶりですから」
*
さすがに公王府図書館。
渦巻状に建てられた公王府の建物、通称“本丸ビル”の一部をなす千メルト以上におよぶ長大な区画が、まるごと図書館と資料室に当てられていた。
五階ほどの吹抜け空間にテラスを設け、列をなす書棚はそれ自体が分厚い壁となって、建物の構造と一体化している。
ひたすら本の壁、壁、壁……
書物を整理し、収納し、埃を払い、薄紙と水糊で修復に務める司書女史たちは百人を超えるようで、みなエプロン姿でハタキを腰に差して勤務している。万引きは一冊も許さぬ覚悟で、本を買わずにいつまでも立ち読みする輩には肩をはたくことで警告する……といった頑固な書店員に似ているような。
皆さん厳格にも頭にはターバンを巻いている。髪の毛一本でも通路や本に落としてはならないというわけだ。
前世記憶でフェルメールとかいう画家が描いた“青いターバンの少女”さながらの優美な司書女史の集団が居並ぶ一方で、窓の外の回廊には、凛凛しい甲冑姿の乙女たちが剣を吊り、槍を掲げて行進する。
「図書騎士隊です」とシェイラ。「地下書庫は何層も掘り下げてありまして、深層は図書ダンジョンと化しております。しばしば怪物の出現が報告されますので、図書騎士が随時パーティーを組んでパトロールし、書籍や資料の防衛に従事しているのです」
「な、何か出るのか?」
シェイラの顔つきから推すに、本当にモンスターが巣食っているらしい。
「はい、ペーパータイガーにシミノザウルス、狂暴なのは紙切竜とか。……図書ダンジョンはどこかで地下墳墓とつながっているようで、屍霊もよく出るようです。地下墳墓には“死界文書”と称される、古代の回線文字を刻んだ文書基板も多く埋蔵されており、まさに資料の宝庫ですわ、屍霊だけに」
「なんだか怖くなってきたな……」
「ご安心を、猊下、バケモノが出没するのは地下第七層以下です。現在のエリシウム公国を知るための資料は、地上施設だけで十二分に揃いますので」
「まずはこの星ムー・スルバから調べたいね」と僕は好奇心をにじませる。「しかしその前に、あれに乗ってみたいんだけど」
それは、幅0.9メルト、長さ1.8メルトばかりの木材の板に金属の小さな車輪を四個つけた、簡便なトロッコだった。車体中央に1メルトばかりの金属板の柱が立ち、そこから前後へとT字形のバーが延びている。車体の左右には金網の箱がしつらえてあり、書籍や資料類を入れて運ぶ手籠をぴったり収納できるようになっている。
つまり、人が乗って運転する、最小サイズの“手漕ぎトロッコ”だ。
「ああ、“図書ロッコ”ですね。ご興味がおありですか」とシェイラ。
なにぶん超巨大な図書館である。そして書籍は重い。閲覧室から、目当ての本が収納してある本棚まで数百メートルというのはざらなので、図書の運搬にはこの図書ロッコが重宝しているということだ。
早速、司書女史の一人に運転を教えてもらう。
館内の通路には埋め込み式の二条のレールが縦横に走っており、図書ロッコはその上を走る。車体中央の金属の箱から突き出したT字棒を両手でつかんで、シーソーの要領で、お一、二、お一、二と上下に揺らすと、シャフトを介して車体下部の歯車で回転運動に変換され、車輪が回ってするすると前進する。
一人だけでも十分に運転でき、後進するときは車体の前部に立って、後方を向いてT字棒を上下に漕げばいい。
線路が二方向、三方向へと分岐している場合、その手前の柱か壁にポイント切り替え装置のレバーがついているので、徐行しながら手を伸ばしてカチッと切り替えて走り抜ける。
上階のフロアに上がるときは、釣瓶式の小型エレベータに乗る。金網の昇降塔が随所にあり、内部のゴンドラの床のレールにそのまま乗り入れる。
下のフロアに降りるときは、レールが傾斜路や螺旋通路にも敷かれているので、そのまま滑るように走り降りる。
「これはおもしろい、子供用のローラーコースターって感じだ」
正直、僕ははしゃいでしまった。ほとんどの書棚の前にはレールが敷設してあり、司書女史は依頼された本を見つけて図書ロッコの籠に入れると、シャーっとレールの上を素っ飛ばし、五階ほどの高さにそびえる書架の前のテラス通路から反対側のテラス通路へと、空中の歩道橋を行き来して、螺旋スロープを華麗に滑り降りてくる。すべてレール上の走行だ。
クイッとブレーキを利かせると、司書用のカウンターの前にピタリと停車、書籍の入った籠を取り外すと、閲覧机まで数秒で届ける。
「早いのなんの、まるで本の妖精だね」と俺は褒めた。
図書ロッコは数十台あり、指定した本はたちまち揃う。閲覧机の近くには分野別に分類した図書カードの引き出しがあって、そこからピンポイントで本を選ぶこともできるが、引き出しだけで家一軒分のボリュームがあるので、素人が探せば日が暮れてしまう。
「だいたいこんな感じの本を」とアバウトに司書女史に頼めば、「承知しました、見計らいですね」ということで、代わりに探してくれる。
たちまち閲覧机には本の山ができる。
そんな“司書ちゃん”たちの検索技能の妙技を眺めつつ、しばらくの間、我輩は可愛い“司書ちゃん”と向かい合わせでT字バーをシーソーしながら、この巨大図書館の書架列を縫って走り、色とりどりの背表紙を眺めて楽しんだ。
「おおっこれは!」
無数の書架はまるで迷路だ。その一つを回り込み、目立たない“横丁”へ入って見れば、一連の書架に溢れんばかりに、小型の安価本がぎっしりと詰まっているではないか。金色の背表紙、銀色の背表紙に、より背の低い、とある異世界では“文庫本”というサイズに近い本の群れ。
勝手に俺が脳内で“司書ちゃん”と呼んでいる司書女史は、俺が頼むままに、幾冊かの本を書架から取り出してくれた。
『首輪物語』『ルナニア国戦史』『ネバードラゴンサーガ』……そして『ニーベルンクの指輪』『魔笛』『ファウスト』『不思議の国のアリス』『オズの魔法使い』『ドリトル先生冒険記』……その他、山ほどのファンタジー文学が古びたよれよれの背表紙で並んでいる。
いずれも、これまで我輩が数々の異世界でその書名を聞き知り、あるいは読んだことのある作品ではないだろうか……なにぶん曖昧な前世記憶に、かすかに残るタイトルでしかないのだが……
そして書棚の一番上に打ち付けられた名盤に刻まれた分類ジャンルは……
“ラノベ”。
「ラ・ノ・ベ……? どこかで聞いたことがある。昔昔に、どこかの前世で、何だったかな?」
「はい猊下、ラノベとは、屑小説の略称であると伝わっています。明記した文献はなく、口伝のみですので、信憑性は定かでありませんが」と、“司書ちゃん”は解説してくれる。「何千年かわからない昔に、当時の王様が、これらはまともな臣民が読んではならないゴミ屑同然のくだらない作品であると宣言して、焚書に処されたのです」
「焚書に? みんなまとめて焼き払ってしまったのか?」と我輩。
「はい、屑小説は、そちらの書架列の“俗悪雑誌”とともに、読めば脳味噌が汚染されて馬鹿になる呪いがかかった物語ばかりだということで、閲覧も所持も禁じられ、これらの本は国中から一か所に集めて焼かれたということです」
「ふうん……しかし、ここには残されたんだ、見てのとおりにね」
「さようにございます。当時の王様おひとりがこれらの作品を愛読して、お城の奥深くの図書館にワンセットだけ、ひっそりと収蔵されていました。……そして長い長い年月が流れて、回り回ってここに保存されております。詳しい経緯はわかりかねますが」
「てことは、その王様は馬鹿になったってことか」
「かもしれません、王様の国はまもなく滅んでしまったそうです」
「幸も不幸も、ラノベの力恐るべしだね。黒歴史のミステリーってやつか、図書館の中でもここはさだめし、文化の魔窟だ。マニアック精神のダンジョンと言えるのかもしれない。司書さん、君はどれかを読んだのかい?」
司書女史は「いいえ」と答えた。図書館全体で数億冊はあるだろうから、本のタイトルと棚の位置を頭に入れるだけでも大仕事だ。しかも、「読めばお馬鹿になる呪い」のかかったラノベである。ちょっと、読む勇気は出ないだろうなあ。まさかと思って半信半疑でも、万が一、読んで馬鹿になったら、人生おしまいである。
それに、ラノベを読んで賢くなった例は、まず、聞いたことかないし。
まあ、いつか、暇ができたらじっくりと読みあさってみようと思いながら、サンプルにと、適当に選んだ一冊を閲覧用の籠に入れて、再び図書ロッコを漕ぎ始めた。
閲覧机に戻ってみると、シェイラだけでなく、トモミも待っていた。
僕はその一冊……今は世界に忘れられたラノベを、広大な机の片隅に置いた。
その書名は……
『火星のプリンセス』、エドガー・ライス・バローズ著。




