017●第三章③神感触指《しんかんしょくし》と夜伽冥奴《よとぎメイド》
017●第三章③神感触指と夜伽冥奴
それはつややかな銀色のメタリックな道具で、我輩の前世記憶に残るバナナという果実に似た三日月形をしていた。片手で握れば半分は手の中におさまる、バナナにしてはやや短いサイズだ。
「ああ、これは」とシェイラは俺の視線を察して教えてくれた。「垢取りの魔法石です。製品名は“神感触指……ゴッドフィンガー”、握ると細かく振動して、これで肌をなぞれば表面の垢や角質を落とし、お肌がツルツルスベスベになります。振動の波長を大きくすればマッサージ効果もありますので、肩こりにも効きますよ」
試しに肩に当ててくれたが、バナナ型の曲線が身体の凹凸にフィットして、ゾクッと鳥肌立つほどに気持ちいい。ウィーン……といった音もなく、きめ細かでソフト、しかし妙にネットリ感のあるバイブレーションが、まるで天使の口づけ、いや天使の舐め回しである。といってもさすがに天使様とキスしたりペロペロされた経験は無いので、あくまで比喩なのだが、それほどに快感を刺激する道具だ。
それで足裏もこすってくれたが、くすぐったくてキャハハと笑い転げてしまった。愉悦感満点であるうえ、かかとが一発で柔肌並みに滑らかな感触になったのには驚く。
それひとつで一個の魔法石であり、大変貴重な品で、首都エリスの平均的な一戸建て住宅一軒分のお値段はするとのこと。
「そして猊下、本来の用途以外にも、いろいろな使い道があります。たとえば……」
「ヒョッ!」と、俺は上半身を痙攣させた。このようなアイテムを予告もなく男性の乳首に接触させるのは人権蹂躙というものであろう、しかも、クリクリと捻るようにこねくり回す動かし方は、その筋の邪道ではないか!
「ひゃ、ヒャヒャヒャヒャヒャッ……」
我輩、あまりの快感と破壊的な愉悦に悶絶寸前。“快楽死”というものがあるならば、きっとこれのことだ。
シェイラが手を引っ込めたとき、僕は「もっと」とオネダリするところだった。まったく、人の皮膚感覚を天国のてっぺんまで昇天させかねない、恐ろしい道具である。クセになるのだ。
脳内に渦巻く恍惚の嵐を押しのけて、やっとの思いでハアハア……と息を整えたとき、この“神感触指……ゴッドフィンガー”なる物体と同じものを、ついさきほど見たのではないか……と思い出した。
そうだ、あの、くノ一嬢が俺を襲撃したとき、その手に握っていたのは、たぶんこれだ!
まるで刃物のようなメタリックな輝きに目を奪われて、てっきり短剣だと思ってしまったが、じつのところは、この快感満載な魔法石だった?
いやまさか……しかし、そうだとしたら!?
俺はシェイラの膝枕から、彼女の豊胸を見上げた。
この麗しいフォルム、そういえば、あのとき瞬間的に目撃した生バストに似ているのではないか。
くノ一嬢の背格好も、そういえば、近いというか、そっくりのようにも……
だが論理的に、そんなはずがない。くノ一嬢と格闘技で闘ったとき、シェイラ本人は脱衣所の部屋に待機していたはずだから。
しかし、シェイラは名うての魔法使いでもある、ベテラン魔女だ。
これも魔法の仕業だとしたら? ドロロン! で分身の術とか。
で、もしも、くノ一嬢がシェイラだと仮定したら、なんのために?
僕の肉体的戦闘力を試すため……か?
それとも、サプライズでいきなり、この“神感触指……ゴッドフィンガー”で俺をくすぐろうとしていたのか?
いや、単に、僕の裸を観たかっただけ?
赤面しつつ半信半疑のまま、我輩はシェイラに確認した。
「シェイラ」
「はい?」まるで質問を予測していたかのような、ちょっと得意げなドヤ目に見える。
「きみ、さっき、僕を襲ったりしなかった?」
僕の視線はシェイラの魅惑的な半球に遮られて、彼女の顔の下半分の表情はうかがい知れない。
くすり、とシェイラは悪戯っぽくほほ笑んだのかもしれないが、こう答えた。
「それは、記憶にございません」
前世記憶に残っていた、どこかのくだらない異世界のくだらない詭弁をうっかり教えたことを、早速後悔するはめになってしまった。
政治家だよなァ、この女は、もう……
*
一時間後、我輩は自室にいた。
個人用の居間、ベッドルーム、トイレとシャワールーム、そして非公式の執務室などが連結した、いわば超豪華VIPマンションのまるまる一邸分の間取りが防弾壁で独立した、プライベート空間である。
つまるところ、“メシ→フロ→ネル”という、帰宅オヤジのルーティン三点セットが、ようやくここに成就したわけだ。
やっと、“ネル”ところまでこぎつけたか……
思えば難儀な半日であった。
転生で着地した場所は死んだ前枢鬼卿の棺桶の上であり、メシとなれば毒殺されかかり、勢いでサンバ祭りを催し、フロでは石鹸のペナルティキックで大鼻血、そしてくすぐり天国。
我輩、さすがに疲労困憊である。
「まだ先代の枢鬼卿の服喪期間でございますので、明日から六日間は決まった予定はございません、十分にご休養くださいませ」
言い残して、シェイラは恭しく退出した。
朝の目覚まし時計は鳴らないことになっており、好きなだけ爆睡オッケーだ。
寝室といっても普通に大広間サイズだ。巨大な天蓋付きベッドはもちろんフカフカで、しかも円形、サイズはダブルどころかトリプルを超すだろう。
枕元に照明やラジオ、窓のカーテンを自動開閉するスイッチをまとめた制御パネルがついており、適当につついて遊んでみた。ベッドが上半身を起こすモードに変化したり、自動マッサージ機能でクネクネと動くほか、ブインブインと上下に動いたり、ぐるぐると回ったりする目的不明の機能も備えていたが、そのあたりは先代の枢鬼卿の趣味なのだろう。まったく、一人で眠るためのメカではないぞ。
で、ふと気づいて、通常の枕の隣に置いてあった抱き枕を布団の下に寝かせて、いかにもそこで就寝しているかのようにカモフラージュした。
転生初日の夜は何につけても用心にまさるものはない。
前世記憶では、爆睡中に刺客の侵入を許してグサリとやられた経験がある。
そんなわけで今夜は、居間のソファで寝ることにした。
そのとき……
チリリン、と鈴が鳴った。
外の廊下に出る玄関スペースから居間につながるドア、その手前をアールヌーボー調の衝立が仕切っている。
衝立を背景にして、人影がうごめいた。
僕はドキッとした。衝立に白いガラスのレリーフで描かれていたうら若い女神が、画面からするりと抜け出したように見えたからだ。
妖精めいた、無垢な容貌の少女だった。
金髪に近い茶系の髪がふわりと肩にかかり、胸から下には半透明の薄衣を羽織っている。なぜか黒い首輪を嵌めていて、そこに鈴がついているようだ。
黄色魔法石をふんだんに配したシャンデリアが少女の動きを感知して、照度を上げた。
高い天井から降る金色の光が、少女の薄衣を透かして、秘めやかな肢体を浮き立たせる。
限りなく薄い衣はまるで、汚れなきオーラを羽衣に仕立てたかのようで、我輩は目を奪われた。
「あ、あの……」
小鳥のさえずりに似た声の響きが、僕の耳をくすぐる。
「猊下、であらせられます?」
我輩は黙って重々しくうなずいた。「うむ」とか言えばよかったのだが、そのとき我輩だけでなく俺も僕も言葉を失うほどに、その少女に魅入られてしまったのだ。
ただ美少女というには、どこか次元が違っていた。
うまく言えないが、“ここにあってはならないほど、綺麗すぎる何か”が少女の心の奥で光を放っていたとしか思えない。
というのは……
少女の肉体を包んでいる薄衣は、外形のデザインは贅沢レースをあしらったメイド風のエプロンドレスだったが、艶やかな光沢に満ちた真っ白な布地はほぼ透明だったのだ。
両腕を背中に回した姿勢を保っていて、胸を隠していない。少女が下半身に着けた一枚きりの下穿きを除けば、すべてが妖しいまでに透けて見える。まるで、冷たい湖水の朝霧を通して昇る太陽を拝むかのように。
つつましやかな清純さを背徳の色香でラッピングしたその姿は、恐ろしく蠱惑的だった。我輩と俺と僕の声を奪うほどに。
少女は濃い茶色の眼差しを伏せて、我輩を直視することは避けていた。悲しみか、迷いなのかと我輩が察する間もなく、刹那、心の奥底にあらゆる感情を押し込めて現実を従順に受け入れると決めたように、少女はしっかりと告げた。
「夜伽冥奴にございます。いかようにもお使いくださいませ。齢は十八で、今宵が初めてでありますこと、お許し下さいませ」
少女は分厚い絨毯の上で両膝をつくと、そろりそろりとにじり寄ってくる。
どこか壊れた人形のように身体を左右に振って不格好に進むので、見えた。少女の両手は背中に回されたまま、木製の手枷で戒められていたのだ。
逆らうことは封じておりますのでご安心ください。一晩中、猊下のご自由に、思いのまま、お慰みに供してくだされば幸いです……という意味だ。
我輩も俺も僕もその場に凍り付いた。
これは前任の枢鬼卿が満喫していた、夜のレクリエーションだ。
同時に、我輩と俺と僕に与えられた、一つの試練。
どうすればいいのか。
我輩は緊急に思いを巡らせていた。
まずは、この少女の手枷を外してやるべきか。
しかし、手枷は南京錠で締められており、それを開ける鍵は……
少女の首に回された革製らしき黒い首輪に、銀色の鍵が引っ掛けられていた。
そして銀色の鍵の輪に、首輪から前に下がった金色の細い鎖が通されている。
金色の細い鎖は、少女の身体の正面から真っすぐに、下着の内側に降ろされて、臀部へと回り、背中の手枷につながっている。
つまり、手枷の錠前を外すためには、透明なドレスをまくり上げて脱がせ、首輪に引っ掛けられた銀色の鍵を金の鎖に沿って引き下ろし、二つの胸のふくらみの間を通って、少女の下着を下げながら股間をくぐらせて背中に回さなくてはならない。
少女を自由にしてやりたければ、それだけの淫靡な手順を踏まなくてはならず、その間、猊下は少女の肉体をくまなく見て、触れなくてはなりませんよ……ということだ。
しかし、そんなことをしたら、我輩も俺も僕も、劣情を抑えることができるだろうか?
無理無理無理……と我輩の全人格が悲鳴を上げた。
この少女は禁断の果実だ。こちらに一切媚びることなく、覚悟して屈服する、清らかな心。
触れてはならない、壊してはならない、そんな、聖別された存在。
だからなおのこと、壊したくなる、嬲りたくなる。
汚れなき純潔こそ、犯したくなってしまう。
その姿のしどけなさに対して、その心がしとやかすぎるからだ。
なんという少女だ、と我輩は狼狽していた。ただそこにいるだけで、竜巻のように一方的に男の情欲を擾乱し、突き上げてくるとは。
喋ることすらためらわれ、下半身が狂いそうな気分で硬直する俺にいつのまにか最接近した少女は、ふっ、と息を吸うと、不自由な上半身を背伸びして、俺のローブの腰帯を留めている結び紐を口にくわえた。
一瞬で、巧みなまでに帯がほどけ、俺の身体の前がはだける。
やや小柄な少女のくちびるは、その目標を正確にとらえていた。
ヒッ、と僕は息を呑んだ。
少女の可愛い舌が、僕の臍の穴をペロッと舐めたのだ。




