師走2
「いいよいいよ、これで。父さんのカバンだし、いいものなんでしょ? ありがたく使うよ」
「そう……?」
母さんはほっとした顔をして、雑巾を持ってくると、カバンをからぶきしてくれた。
拭いたところで、何も変わらなかったけれど。
持ち物チェックに、祢子はそのカバンで行った。
みんな、化学繊維製の、軽くて薄くておしゃれなバッグで来ている。
黒っぽいのが多い。赤やピンクのさし色が入っているのもある。
青いのや、表面がつやっとしたエナメル調のもの、スポーツ用品メーカーのロゴがワンポイントで入っているのもすてきだ。
祢子のような、おじさんが持っていそうなカバンは、一つもない。
体育館の床に、紫とピンクの中間色のバッグを置きながら、こずえちゃんが聞いてきた。
「変わったバッグだね。それ、どうしたの?」
「父さんの」
ふうん、と言って、こずえちゃんはそれ以上何も言わなかった。
祢子は、かなりみじめな気分だった。
三日間だけと思っていたが、始終このカバンを持ち歩くことを考えると、行く前から気が滅入ってくる。
自分は旅行の間中、カバンのことばかり気にしてしまうのではないだろうか。
だからといって、母さんに、これでいいと言ってしまった以上、今さらどうもできない。
日曜日、朝ご飯を食べ終わると、母さんが言った。
「祢子、ちょっと、○九に旅行カバンを見に行こうか?」
「えっ、……いいの?」
祢子は遠慮しかけたが、嬉しいことに、母さんは強引だった。
「いいから、ちょっと行こう」
「オレも行きたい」
「健太は、今日はお留守番。お父さんもいるし」
健太はかなり粘ったが、母さんがきっぱりだめだと言い渡した。
カバンも嬉しいが、母さんと二人で○九で買い物なんて、嬉し過ぎてどうかなりそうだ。
「ちょっと寒いから、マフラーと手袋もしておいで。……お父さん、ちょっと留守をします」
父さんとおじいちゃんが同時に「うん」と言ったのはおかしかった。
二人で、自転車を漕いで○九に行く。
思っていたよりも近かった。
母さんの実家を少しすぎたあたりの、新しい二階建てのビルだ。
十時過ぎたばかりなのに、もうお客がたくさん入っている。
カバン売り場は、エスカレーターを上がって二階にある。
エスカレーターが初めての祢子は、母さんがすっと乗るのをまねして、一人でなんとか乗った。
下りるときは、少しつんのめった。
エスカレーターに乗ったことを、健太に自慢してやろう。
カバン売り場には、みんなが持っていたようなバッグがたくさんあった。
「どれでも、好きなのを選びなさい」
にこにこしながら母さんが言った。
「いいの? 本当に?」
祢子は、売り場を行ったり来たりして、値札を見ながら考えに考えた。
どれも、祢子にとってはすごく高価だ。
最終的に、黒一色で、隅に赤い豹の刺繡が入ったバッグを選んだ。
「それでいいの? 地味じゃない?」
母さんに言われたが、祢子は答えた。
「うん。だって、これだったら、健太の時にも使えるから」
「健太のことは考えなくても、自分の好きなのを選んでいいのよ。
……母さん、この頃働いて、ちょっとお金持ちなんだから」
そうか。母さんが働くということは、母さんもお金を稼いでいるということなんだ。
祢子は、初めて気づいた。
でも。
まだ勤め始めて一月もたっていないし、そんなにたくさん稼いでいるようにはみえない。
それなのに、それを祢子のために使ってくれるんだ。
母さんだってほしいものがいっぱいあるだろうに。
お出かけのたびに、いつも「服がない」とか「靴がない」「バッグがない」とか言っているのに。
「ありがとう、母さん。でも、これがいいの」
「じゃあ、これを買ってくるよ」
「うん。本当に、ありがとう」