霜月12
父さんが足を洗って出てきた後、祢子は黙って風呂場に入って、湯舟のふたをたたんだ。
もわっとおじいちゃんの残り香が立ち昇り、健太の言っていたものがお湯を濁らせている。
いったいどうしたら、おじいちゃん一人でこんなにお湯を汚せるのだろう。
祢子は泣きたい気持ちで、チェーンを引っ張り、湯舟の栓を抜いた。
だんだん水位が下がっていき、排水口に向かって小さい渦ができていく。
お湯が全部抜けてしまうまで待って、祢子は掃除用のスポンジを手に取り、洗剤を垂らした。
まだ温かい湯舟の縁をまたいで中にうずくまり、無心に湯舟をこすった。
湯舟を洗い終わって、改めて栓をしてお湯を張り直す。
台所に戻ると、食卓と流しを忙しく往復していた母さんが、ちらと祢子にとがめるような目を向けてきた。
「お風呂、洗ってお湯を張り直しているから」
母さんは痛みを我慢しているような顔になって、「ありがとう、ごめんね」とつぶやいた。
食卓は、全く話が弾まない。
母さんも疲れたようで、無表情だ。
種の異なる生き物たちが、たまたまこの瞬間に居合わせて、一つの鍋をつついているみたい。
祢子は途中で風呂の湯を止めに行った。
だれもなにも言わない。
これから、こんな毎日がずっと続くのだろうか。
おじいちゃんがいる限り。
祢子は、おじいちゃんを憎んだ。
数日後、祢子が学校から帰ると、母さんが家にいた。
健太が母さんにまとわりついている。
「あれ? どうしたの、母さん。お仕事は?」
「時間を短くしてもらったの。三時までに。買い物をして帰っても四時には家に帰れるように。
家のこともできないなら仕事をやめなさい、ってお父さんに怒られちゃって」
「ふうん」
祢子は嬉しかった。母さんがいつものように穏やかにほほ笑んでいる。
ランドセルを二階に置いてきて、手洗いとうがいをした。
おじいちゃんは、居間にいないから、書斎にいるのだろう。
久しぶりに、母さんといろいろ話ができる。
やった!
母さんがレジ袋の中をがさがさと探しながら、いたずらっぽく、
「おやつを食べる? おいしいお菓子を買ってきたよ」と言った。
「うん!」
祢子と健太は元気よく返事した。
「おじいちゃんも呼んでおいで」
祢子はつい、嫌な顔をしてしまった。
「え~、おじいちゃんは呼ばなくてもいいじゃん」
「どうして?」
母さんが怖い顔をした。
「……だって……」
「だっても何もない! おじいちゃんだけ仲間外れにするつもり? いいから、呼んでおいで!」