霜月8
みんな食べ終わって、おじいちゃんと父さんは居間に移った。
母さんと祢子が片づけをしている間に、トビ兄ちゃんと健太が一緒に風呂に入ることになった。
健太がいつになくさっさと洗面所に入ったと思ったら、裸の腰にタオルを巻き付けて飛び出してきて、
「母さん、お風呂に変なものが浮いている」と訴えた。
「え? なに、いったい?」
母さんが仕方なく手を拭いて見に行った。
祢子は皿を洗っていたが、すぐに戻ってくると思った母さんがなかなか戻ってこない。
変だと思って見に行ったら、母さんが湯舟を洗っている。
「どうしたの、母さん。なんで湯舟を洗っているの? せっかくお湯を張ったのに」
母さんは、しいっと口に人差し指を当てた。
「大きい声を出さないで。
……ちょっと、お湯が汚れていたから、お湯を張り直すだけだから」
祢子は何が何だかさっぱりわからない。
所在無げに立っていたトビ兄ちゃんを見上げると、困ったような顔でつぶやいた。
「お年寄りは、昔の習慣のままだからなあ」
「健太?」
健太を見ると、健太も困ったような顔を作って、ささやいた。
「なんか、白っぽい、消しゴムのかすみたいなものが、いっぱい浮いていたんだ」
母さんがお風呂の湯を張り直して、トビ兄ちゃんと健太が入って、その後に祢子が入った。
お湯はきれいだった。
父さんはいつも一番最後だから、次は母さんだ。
母さんを呼ぼうと居間に行ってみると、男ばっかりがテレビを見ていた。
「母さんは?」
父さんに聞くと、
「二階。わしが呼んでくる」
いつもなら、母さんも居間で横になっているのに。
母さんは間もなく下りてきて、黙ってお風呂に入った。
「ほら、祢子も健太も、子どもは寝なさい!」
父さんがせかす。
「わしも、もう寝るかな」とおじいちゃん。
「じゃ、おれも。明日は早いから」
トビ兄ちゃんも言った。
お互いに、おやすみなさいと言いあって、祢子も健太もおとなしく二階に上がった。
なんだか、もう、いろいろありすぎて、くたくただった。
次の日、祢子はなかなか起きられなかった。
窓からの朝日がまぶしくて目が覚めて、びっくりして布団から飛び出した。
パジャマのまま下に下りると、母さんが朝ご飯の片づけをしていた。
「母さん、トビ兄ちゃんは?」
「もう出たよ」
祢子はがっかりした。
「なんで起こしてくれなかったの?」
「お父さんが、まだ寝かせておけ、って言うから」
「でも」
「見送りたかったなら、自分で起きればよかったじゃない。人のせいにしないで」
母さんの強い口調に、祢子はびっくりした。
母さんは、機嫌が悪そうな顔で、食卓の皿を台所に運んで、いつもより乱暴に洗い始めた。
そうか。
トビ兄ちゃんは朝早く出るって言ってたから、母さんも朝早くから起きて、ご飯の支度をして食べさせて、準備を手伝ったり、見送ったりしたんだ。
だから、疲れて機嫌が悪いんだ。
「……ごめんなさい。早く起きて手伝わなくて」
「もういいから、ご飯を食べてしまって」
何を食べたらいいんだろう。
周りを見回していると、母さんが乱暴な手つきでガスコンロに火をつけた。
鍋がかかっているから、みそ汁が入っているのだろう。
「わたしがやるから」
母さんは黙って皿洗いに戻った。
みそ汁が沸騰してきたので、火を止めた。
「母さん、健太は?」
「まだ寝てるよ」
健太も見送らなかったんだ。
ちょっとほっとしたが、胸にぽっかり空いた穴は埋まらない。
健太の分のみそ汁を残しておかないと。
そうだ、健太には、「トビ兄ちゃんが起こさないでと言ったんだって」と言おう。
トビ兄ちゃんなら、そう言うに決まってる。