霜月1
十一月になった。
連休の初日、夜になって、おじいちゃんが家に来た。
玄関チャイムが鳴って、父さんと母さんはあわてて玄関から走り出た。
パジャマに着替えていた祢子たちも、後に続く。
玄関灯が弱弱しく照らす中、大人たちは、暗い夜の海で泳いでいるようだ。
父さん母さんが長旅をねぎらっている声に、おじいちゃんのしゃがれ声が混じる。
おじいちゃんの後ろから頭がもう一つ飛び出した。
「おう、祢子、健太。元気にしてたか?」
「トビ兄ちゃん⁉」
若々しく、笑みを含んだ声。
おじいちゃんちでよく遊んでくれた、トビ兄ちゃんだ。
「なんで、トビ兄ちゃんも?」
「遊びに来たの? 泊まるの?」
そばに行って、もっといろいろと話したいのに、父さんがこっちをふり向いて、怒鳴った。
「もう遅いから、お前たちは寝なさい!」
少しもじもじと粘ってみたが、だめだった。
きょうだいは、いやいや自分の部屋に上がった。
しかたなく布団をかぶったが、祢子は嬉しくてなかなか寝付けなかった。
父さんにはお姉さんと妹がいて、それぞれ二人ずつ子どもがいる。
今回来たのは、父さんのお姉さんの二番目の息子だ。
名前はトビオという。祢子と健太はトビ兄ちゃん、と呼んでいる。
父さんの実家に行った時には、たいていトビ兄ちゃんとも会っていた。
大人が忙しい時など、祢子や健太や他のいとこたちを、公園や海に連れて行ってくれた。
優しくて親切なので、みんなトビ兄ちゃんになついていた。
現金なもので、祢子はうきうきしていた。
明日から、楽しくなりそうだ。
次の日は朝早くから慌ただしかった。
いつもなら休日は昼近くまで寝ている父さんと母さんが、早くから起きていた。
祢子たちも起こされて、せかされながら食卓についた。
いつも父さんが座る席に、おじいちゃんが座っている。
父さんとトビ兄ちゃんがおじいちゃんの斜め両横。
父さんの隣が母さんでその隣が祢子。
健太はトビ兄ちゃんの隣だ。
健太はずるい。トビ兄ちゃんに甘えてはしゃいでいる。
「祢子も健太も、髪が跳ねてるぞ」
トビ兄ちゃんが笑った。
母さんを手伝ってお皿など配りながら、トビ兄ちゃんだって、と祢子は言い返そうとした。
トビ兄ちゃんの頭を見たら、跳ねていないのでがっかりした。
「今日は引っ越しの車が来るから、邪魔にならないようにするんだぞ」
朝ご飯を食べながら、トビ兄ちゃんが言った。
トビ兄ちゃんの言い方は、とても優しい。
祢子は、自分にも何か手伝えるのではないかと思いついた。
「わたし、手伝う」
「オレも」
健太が言ったとたんに、
「子どもは危ないから、だめっ」
父さんが怒鳴った。
怒鳴らなくてもいいのに。
せっかくの楽しい気分が、ぺちゃっとつぶれる。
おじいちゃんは黙ってゆっくりと食べる。
体が強くないから、ゆっくり食べないといけないらしい。
食べ終わると、口を大きく開けて指を突っ込み、入れ歯をかぱっと外して、湯呑のお茶の中にとぽんと入れた。
それを箸で少し揺らしてから引き揚げて、また口の中にセットした。
残りのお茶はぐいっと飲んだ。
当然のように、ごく自然に行われた一連の動作を、祢子と健太は目を丸くして見ていた。
「さあ、もうそろそろだから。祢子、片づけを手伝って」
「はい」
母さんが立ち上がったので、祢子もみんなのお皿を重ね始めた。
おじいちゃんも父さんもトビ兄ちゃんも健太も、ダイニングを出た。
健太はまだトビ兄ちゃんにまとわりついている。
健太のヤツ。邪魔ばっかりして。
引っ越しの車が着いた。
書斎の掃き出し窓が、開け放たれている。
祢子と健太は、居間の窓にかじりついて見ていた。
初めて見る書斎の中は、ほとんど空っぽになっている。
業者さんが下ろす荷物を、父さんとトビ兄ちゃんが受け取り、どんどん運び込む。
母さんは、雑巾を持ってあちこち拭いていた。
おじいちゃんは、運び込まれた段ボール箱を部屋の隅に寄せていた。
あまりたくさんは無かったので、荷下ろしと運び込みはすぐに済んだ。