神無月8
何度も一緒に帰るうちに、次第にこずえちゃんは打ち解けてきた。
こずえちゃんと話すのは楽しいことに、祢子は気づいた。
祢子は今まで、こずえちゃんのことを、ただおとなしい子としか思っていなかった。
その他大勢の中にいて、自分の意見を何にも言わない子。
けれど、話してみると、何も意見を持っていないわけじゃなかった。
ただそれを言わないでいるだけなのだ。
言っても、怒られたり否定されたりするだけだから。
こずえちゃんには、高校生のお兄ちゃんがいる。
お兄ちゃんは長男だから、勉強をがんばって、いい大学に行かなければならない。
だから、この田舎なのに、家庭教師をつけてもらっている。
こずえちゃんは女の子だから、勉強はしなくてもいいけど、何か芸事を習いなさいと言われて、ピアノを習うことにした。
家にはグランドピアノがあって、ピアノの先生の家に週二回通っている。
車での送り迎えは、一緒に住んでいるおじいちゃんの役目なのだそうだ。
「こずえちゃんちは、お金持ちなんだね。家庭教師とか、ピアノとか」
「そうなのかな……」
「でもお金持ちも、大変だね」
「……好きだと思って始めたけど。
ピアノは好きなんだけど、時々本当に嫌になる……。
ママはほめてくれたことは無いし、間違えると怒られるし」
「練習って、どのくらいするの?」
「学校がある日は二時間かな。休みの日は、五時間ぐらい」
「ええっ、そんなに!」
「それでも少ないくらい。本当はもっとしないといけないんだけど」
何にも知らないで、ピアノを習えてお金持ちっていいなと気楽に思っていた。
こずえちゃんがピアノが上手なわけだ。
もともと上手だったのだろうが、さらにそんなに練習しているのだから。
自分にはとてもできない、と祢子は思う。
「こずえちゃんは、ピアニストになりたいの?」
「まさか」
こずえちゃんは、大急ぎで手と首を横に振った。
「もっと上手な人なんて、いっぱいいるよ。
でもたぶん、音大に行くのかな。
ピアノの先生になると思う。
ママが、そうしなさいって」
「ふうん」
つぶやいてから、祢子は、自分の声が不満そうに聞こえたかもと、慌ててつけ加えた。
「ピアノの先生だって、すごいよ。なかなかなれないもん」
「いいの」
こずえちゃんは、さみしそうに笑う。
「わたしには、ママの言う通りにするしかできないから」
祢子は、なんと言ったらいいのか、わからなかった。
「祢子ちゃんは、すごいよね。はっきりと自分の意見を言えるから」
「おかげで、悪口も言われていると思うけど。でも、気にしないことにしている」
「強いよね。そういうところ、あこがれる……」
祢子は、びっくりした。そして顔が赤くなるのを自覚した。
「い、いや、とても、そんな、偉くもなんともなくて、我慢強くないから、言いたい放題しているだけで……
こずえちゃんの方が、よっぽど強いと思うよ。そんなに毎日我慢して練習して。
だから、あんなにきれいな音が出せるんだね」
今度は、こずえちゃんが赤くなった。
こずえちゃんとは、話が弾む。
一緒に歩く距離は長くはない。
おまけに、こずえちゃんは早く帰って練習しないといけないから早足だ。
だけど、そのわずかな間にいろんなことを話す。
「パパは優しいけど、お仕事でほとんど家にいない」
「何のお仕事?」
「建設会社の社長」
こずえちゃんは、ちょっと誇らしげな顔をしたが、すぐにそれを恥じるように目を伏せた。
「へえ、すごいね」
やっぱり祢子は、うらやましい。
「ほら、近くに、ゴルフ場ができたでしょ。あれ、うちのパパの会社が工事したの」
ゴルフ場、と聞いて、祢子はびくっとした。
「どうしたの、祢子ちゃん」
こずえちゃんは敏感だ。
「ううん、こんな田舎にゴルフ場って聞いて、びっくりしただけ」
「田舎じゃないと、ゴルフ場は作れないんだって。
遠くからのお客さんもいっぱい来ているって。
祢子ちゃんのお父さんは、ゴルフする?」
「まさか。そんなお金のかかることなんてできないよ。できたとしても、すごく下手そう」
「そうなんだ」
こずえちゃんの言い方は気弱そうでおっとりしているから、腹が立たない。