神無月4
一組アンカーのやさかくんが走り始めた。
やさかくんは二百メートル走らねばならない。
二組はあと二人残っている。
一組がリードしているのだ。
やさかくんの走る姿は、のびのびと長い手足を使っていて、敵ながら思わず見とれる。
二組アンカーのかいのくんが、上手にバトンを受け取った。
かいのくんは背が低いのに、どうしてあんなに速く走れるのだろう。
マンガで足が渦巻きに描かれている、あんな感じで、あっという間にコースを通過していく。
やさかくんは人より長く走って、さすがに少しペースが落ちてきている。
かいのくんがどんどん差を縮めていく。
やさかくんが逃げ切った!
やさかくんの体に、白いテープがまとわりついた。
かいのくんが、その直後にゴールに飛び込んだ。
わあっと大きな歓声と拍手が運動場を揺るがした。
最終的に白組が勝った。
健太はまた自慢するだろう。
運動会の次の月曜日は代休だ。
その日、祢子は母さんと一緒に眼鏡屋に行った。
九月に注文していた眼鏡を受け取るためだ。
眼鏡屋のおじいさんは、奥から赤い縁の眼鏡を持ってきた。
祢子の耳に眼鏡をかけては、前から横からじっと見て、また外してつるの調整をすることを繰り返した。
すぐ前に立ててある丸い鏡を見て、祢子は、赤いのじゃない方がよかった、とひそかに後悔していた。
この前フレームを選ぶとき、祢子は銀色のがいいと思った。
母さんは、赤いのがかわいいよ、と言った。
そうなのかなと思って、赤い方にしたのだ。
赤い眼鏡をかけると、まるで眼鏡をかけたぺこちゃんみたいだ。
メガネ姿のぺこちゃんは見たことないが、とにかくぺこちゃんに見えて仕方がない。
つるの調整が終わって、眼鏡をかけて遠くを見てごらん、と言われた。
ガラスの扉の向こうには、山や、もくもくと白い煙を吐いている工場の煙突がある。
はっきり見える。
他のみんなは、こんなに見えているのか。
近くを見ると、鏡に映る自分の顔だけでなく、母さんの小じわや眼鏡屋のおじいさんの顔のしみもはっきり見える。
見え過ぎて、ちょっとくらくらする。
それに、鼻に当たるところが重い。
プラスチックレンズは、熱に弱いし傷がつきやすいと言われたので、ガラスのレンズにした。
プラスチックのレンズにしたら、もっと軽かったのだろうか。
不満はあれこれあったが、買い替えるなんてぜいたくはできないので、これでがんばるしかない。
祢子はにこりと笑って、「よく見える。母さん、本当にありがとう」と言った。
「これで黒板が良く見えるようになるわね」
「うん。お勉強がんばります」
「これ以上目を悪くしちゃだめよ」
「はあい」
母さんは、お財布を取り出した。
どのくらいかかるのかと思って横からのぞこうとしたら、「子どもは気にしないの」と追い払われた。
眼鏡をかけたまま自転車に乗ると、自分の足がはるか遠くに見える。他人の足のようだ。
バランス感覚が変になっているので、用心しながら母さんについてペダルを漕ぐ。
いつの間にか空気が乾いて、日光もそれほどまぶしくない。風がさわやかで気持ちがいい。
車の通りが少ない田舎道に入ると、祢子は母さんと並んだ。
母さんが、何気ない風に言った。
「もうすぐ、お父さんの方のおじいちゃんがやってくるよ」
祢子は、びっくりした。
「え? 遊びに来るの?」
「いいや、一緒に住むの」
寝耳に水とは、こういうことか。
「うちに? 部屋は?」
「お父さんの書斎を整理して、そこに住んでもらうの。
お父さんは長男だし、おじいちゃんはおばあちゃんが亡くなって、一人になったから」