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あをノもり  作者: 小野島ごろう
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神無月2

 食べ終わると、母さんが水筒のふたにお茶を注いでくれた。

 順番にそれを飲むと、健太は友だちの所に行くと言って、もうテントの外に駆け出していった。


 母さんは、重箱などを片付け始める。

 そこにいても何もすることがないので、祢子も「係の仕事があるから」と言って、そそくさとテントを出た。




 トイレが混み始める前にトイレを済ませて、ぶらぶらと体育倉庫のあたりを通りがかった時。



「祢子ちゃん」

 倉庫の陰から、聞きなれた声がした。


 祢子は、飛び上がった。




「お願いだから、少しだけ話をしてくれないかな。

祢子ちゃんの仕事の邪魔にならないように、ほんの少しだけ」


 哀願する調子。



 おそるおそるふり向くと、野球帽をかぶり、薄い色のサングラスをしたトドさんが、居心地が悪そうに立っていた。



「ただ、祢子ちゃんに謝りたいんだ。

この前、タエさんが勝手なことをして、ごめんね。 

ぼくは本当に知らなかったんだ。タエさんから聞いて、びっくりして。

祢子ちゃんにいやな思いをさせたんじゃないかって、ずっと気になっていて。

本当に、ごめんね」



 トドさんは、倉庫の陰から出て、少し祢子の方に歩み寄ってきた。


 祢子は少し後じさり、手が届かないくらいの距離を保った。




 トドさんは知らなかったんだ。タエさんが勝手にしたことだったらしい。

 


 素直に謝られると、悪い気はしない。

 しかし、すぐに許すこともしたくない。



「……それだけじゃない」

 祢子はつぶやいた。


「……ああ、そうだね。追いかけまわして、怖い思いをさせて、ごめん。

きみがあんなに……いや、言い訳はしないよ。

本当に、いろいろとごめんなさい」



 大の男が、子ども相手に、うなだれて平謝りしている。

 祢子は少しかわいそうになってきた。



 いつものあの鷹揚な態度はどこへ行ったのか、細身の長身が生まれたての小鹿のようにびくびくして頼りなげに見える。

 タエさんの言っていたように、本当に痩せたのかもしれない。ズボンがぶかぶかだ。



 こんなに人が多いところは、トドさんは苦手だろう。

 それを我慢して、祢子に謝るためにわざわざ来たのだとしたら。



 つい、「もういいよ」とうなずいてしまった。




「また、来てくれる?」

 するとトドさんが、上目遣いに聞いてきた。



「行かない」


「どうして? もう、何もしない。誓うよ」

「写真も撮ってた」

「それもしない。ほんとだ」



 断る理由をつけ加えようと、祢子は口を開いて、また閉じた。

 何も思いつかなかった。


 実際、本など読み放題、おやつまでもらって、夏中毎日のように涼しく快適に過ごしていたのだ。



 トドさんは、はにかむように微笑んだ。

「祢子ちゃん、道具係がんばっていたね。

きみは、どこにいてもきらきらしている。

ぼくは、その光を少しだけ分けてほしいんだ。

そうしたらぼくは、人中(ひとなか)に出る勇気が出るから」



 祢子は罪悪感を覚え始めていた。


 祢子がもう少しトドさんのところに通ったら、トドさんは外に出て他の大人と話したり、普通の大人のように働いたりできるようになるのかもしれない。


 それなら、見捨てるのは人間的にどうなのか。


 トドさんを助けることが祢子にしかできないならば、祢子がするべきではないのか。



「週末に、ちょっと来てくれるだけでいいんだ。

きみは読みたいものを読む。そして、ぼくとおやつを食べる。

たったそれだけのことだよ。

どこがいけないの?」



 どこがいけないのだろう。

 別に何も変なことはない、みたい。


 

「何もかも、きみの望み通りにするよ。祢子ちゃんが嫌がることは、一切しない。

……祢子ちゃんさえ来てくれたら、ぼくはびっくりするくらい自信が湧いてくるんだ。

なんでもできそうな気がしてくるんだよ」



 気のせいか、トドさんが大きくなった。

 距離を縮めたわけでもないのに、上からのしかかってくるようだ。




 祢子は何とかして断ろうと、口を開けたり閉じたりした。

 言葉が何も出てこない。



 変だ。 

 さっきまで、トドさんは祢子に許しを乞うていた。

 許すも許さないも、祢子の自由だったはずだ。


 それが、いつの間にか祢子の方がぐいぐいと押されて、口ごもっている。

 見えない糸で、トドさんに絡めとられようとしている。




 その時、そりかわくんの馬鹿にした顔が、ちらりと祢子の頭に浮かんだ。


 そうか。

 


 トドさんの言っていることは、タエさんが言ったことと変わらない。

 おんなじことの裏と表だ。

 わたしに、責任を押しつけようとしているんだ。



 


「もうすぐ応援合戦が始まります。応援団のひとたちは準備してください。他の生徒たちは、生徒席に戻ってください」

 放送係の生徒の声が流れた。



 祢子はぴくりとした。


 行かなければ。


 

 でも、はっきりさせないまま、この場から逃げてしまったら、トドさんはまた祢子の前に現れるだろう。

 そして、会うたびに祢子はどんどん揺らいで、そのうちトドさんに負けてしまうかもしれない。

 


 ここでトドさんときちんと決着をつけておかなければならない。



 祢子は、高速で考えた。


 トドさんに、きっぱりとあきらめてもらうには、なんと言えばいいのだろう。


 

 そうだ。トドさんが、どうしてもできないことを言えばいい。



「もう、あそこには行かない。あそこには、窓が無いから」



 トドさんはちょっと黙り込んだが、すぐに態勢を立て直した。


「窓? 本は、窓だよ。どこよりも広い世界を見せてくれる」

 落ち着いた、甘い声だ。



「それはそうだけど」

 がんばれ、わたし。


「風が通らないでしょ。まぶしい木漏れ日も、冷たい川のせせらぎも無い。

頭の中だけの世界だもん」

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