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あをノもり  作者: 小野島ごろう
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葉月14

「いいから。目をつむって」



 有無を言わせない口調に、仕方なく目をつむる。


 ひんやりしたタオルが、まぶたを覆った。

 気持ちがいい。


 熱を吸い取ってなまぬるくなると、タオルが離れた。

 水音の後、冷たさを取り戻したタオルがまた当てられた。


 三度、そうやって冷やした後に、そうっとタオルが左目の周りを撫でた。

 タオルの面を変えて、右目の周りも。


 タオルは、ゆっくりと額をぬぐい、頬をぬぐう。

 鼻と鼻の下。唇。

 最後に、あごと首筋も。




「もう目を開けていいよ」


 言われて目を開ける。

 気分が少しよくなったのは確かだ。



「よかった、泣いたみたいじゃなくなった」

 トドさんがほほえんだ。



 トドさんが泣かせたくせに。


 祢子はぷいと横を向く。



 その耳に、トドさんのささやき声。

「言っとくけど、ぼくみたいに人畜無害な男はいないよ」



 耳からまたざわっと総毛立った。







 その夜、祢子は熱を出した。



 だるそうな顔をして、夕食ものどを通らない祢子を心配して、母さんが体温計を祢子の脇に挟んだ。

 三十八度近くあった。




「もう寝たほうがいい」

 怒ったように父さんが言った。



 祢子は母さんに洗面所に連れていかれて、絞ったタオルを渡された。

 洗面所で服を脱ぎ、なんとか自分で体を拭いた。

 戸の隙間から、母さんがパジャマを入れてくれた。



 戸の向こうは食卓だ。

 まだそこにいるらしい父さんの、怒ったような声が聞こえる。


「祢子は風邪かね」

「夏風邪かも」

 母さんが答えている。




 母さんに支えられながら階段を上がって、自分の布団に横になった。

 

 いつもは暑くて、タオルケットなんて蹴飛ばすのに、タオルケットを体全体に巻き付けても、寒くてたまらない。

 母さんが、押し入れから、冬用の掛け布団を出して掛けてくれた。



 やっとうとうとしかけると、濡れタオルが額に載せられた。



「ありがとう、母さん。気持ちいい」

「何か欲しいものはない?」

「何にもいらない」



「どうしたの。熱なんて。今日はどこでだれと遊んだの?」

 

「近所の子たちと、川で遊んだから、冷えたのかも」

 これ以上追及されませんように、と祢子は祈った。



「六年生にもなって、川遊びなんて」

 母さんは呆れた声を出した。


 祢子は、目を閉じて寝たふりをした。


「困った子ねえ」

 母さんの手が、枕や布団の位置を直した。


 ドアを閉める音。





 目を閉じると、寝床の周りがぐるぐる回っている気持ちがする。

 熱さと寒さが、交互に襲う。


 気持ち悪い。


 嘘をついたから、ばちが当たったんだ。

 ごめんなさい、母さん。

 ごめんなさい。悪い子でした。


 じんわりと涙が湧いて、あふれて枕を濡らした。


 もう、あそこには行きません。

 母さんをだましたりしません。





 浅い眠りの中で、祢子は必死に逃げ惑っていた。



 深い灰色の森の中で、大きなけだものが、どこまでもどこまでも追いかけてくる。


 逃げる自分の息が荒く、熱い。

 ああ、けだものの息が迫る。

 けもの臭い息が、祢子の頬に熱くかかる。



 体に鋭い爪が立てられた。

 肉にめりめりと食い込む、遠くていやな感触。



 助けて、と叫ぶのに、声が出ない。


 何度も悲鳴を上げてみて、やっとのことで出たのは小さなしゃがれ声。


 その声に驚いて目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井だった。




 ああ、夢だった、よかった。

 祢子はまた、うとうとと眠りに落ちる。




 次の夢でもまた、何かに追いかけられた。







 祢子の熱が下がったのは、三十日の午後だった。


 食欲が出たので、母さんが祢子の好きなものをいろいろと作ってくれた。



 体も洗ってさっぱりして、日記に取りかかろうとすると、今日は何もするな、寝なさい、と父さんから怒られた。





 三十一日、夏休み最終日。


 体調が戻った祢子は、朝から文字通り必死に、夏休みの日記にとりかかった。

 

 だが、夜になっても、日記はまだ八月十五日だった。




 徹夜しようと悲壮な決心をしかけた時。




 急に、本当に急に、どうでもよくなった。



 自分でも、なぜかわからない。


 自分の表面に貼りついていた、じくじくした粘膜のようなものが、いきなり乾いて割れて剥がれ落ち、視界がおそろしいほど澄んで広がった感じ。




 怒られて、反省文を書かされるなら、それでもいい。


 むしろ、残り半月分の日記を書くよりは、反省文の方が書く量が少なくて済むかもしれない。


 少なくとも、今度の反省文はすらすら書けそうだ。

 熱も出したし。

 反省の材料には事欠かない。





 そうだ、母さんに、メガネを買ってもらおう。

 もう、先生の目の前の席じゃなくていい。

 どの席でもいいや。

 

 

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