葉月12
「さあ、隠れて」
トドさんが、数を数え始める。
祢子は急いで隠れるところを探し始めた。
しかし、いざ隠れようとすると、どこも開けっぴろげで、すぐに見つかってしまいそうだ。
トドさんが、本棚の陰に隠れていた意味がよくわかった。
祢子は方針を変える。
かくれんぼじゃないのだから、見つかっても逃げたらいいのだ。
むしろ、相手が見える場所の方がいいかもしれない。
幅のある本棚を間に挟んで、本棚の周りをぐるぐる回って逃げればいい。
ぐるぐる回るのは足が短い方が小回りがきく。
祢子は急いで、トドさんに近い本棚の、遠い方の角に隠れて、トドさんを見張った。
「……じゅう!」
トドさんは、顔を上げた。
「赤ずきんは、どこだあ」
聞いたことも無い、地の底から這いあがってくるような不気味な声が響いてきた。
祢子は恐ろしさに棒立ちになった。
「ばあさんは、筋ばっかりで、固くてまずかった。
赤ずきんは、汁気たっぷりで柔らかくて、うまいだろうなあ。
早く、頭からがぶりと、かじりつきたいなあ」
目が合ったような気がした。
トドさんは、いやオオカミは、背を曲げて、胸の前で両手の指をかぎづめに開き、がに股でゆっくりと、こっちに歩いてくる。
祢子は、戦慄した。
オオカミに背を向けると、全力で逃げ始めた。
「見つけたぞう、まてえ、赤ずきん!
お前をむしゃむしゃ食ってやる!」
オオカミがゆっくり走り始めた。
「おいしくないから! わたし、全然おいしくないから!」
「嘘をついてもだめだあ。
うまそうな、い~い匂いがするぞう。
お前の細っこい首筋に、がぶりと噛みついてやる。
あったかい血がどくどくあふれるのを、一滴残らずすすってやろう。
こらあ、まてえ」
連結した本棚のあっちの端とこっちの端で、にらみ合う。
「あっち行け!」
「ふうん、うまそうな匂いがぷんぷんするぞう。
生きのいい真っ赤な血と、子羊みたいに柔らかい、ピンク色の肉の匂いだあ」
オオカミの大きく開けた口の中は真っ赤で、長い舌先がべろりと口元を舐めた。
「もう、猟師も食ってきたから、誰もお前を助けに来ないぞう。
おとなしくおれの腹の中におさまれえ」
「絶対いや!」
オオカミが、ずんずん、こっちに走って来た。祢子は、本棚の裏側に回る。
こうして本棚を盾にすれば、逃げ切れるはずだ。
長辺の真ん中くらいで息をひそめる。
オオカミがどこにいるかわからないのが難点だが、真ん中にいたら、どっちの端から出てきても対応できるはずだ。
物音がしない。
舌なめずりしながら忍び寄ってきているのか。
ものすごく緊張して、体がかたかた震えてきた。
「がお~う!!」
太いしゃがれ声。
祢子の隠れていた本棚の端から、オオカミが飛び出た!
心臓が止まるかと思った。
祢子の頭の中は真っ白になる。
オオカミが近づいてくるのがコマ刻みに見える。
祢子は、はっと我に返り、オオカミの手をやっと振り切って、もうやみくもに走り始めた。
すぐ後ろから、激しい息遣いと重い足音が聞こえる。
本棚の陰に隠れながら逃げ切ろうとすると、どうしたことか、走る先にオオカミが現れる。
ギラギラした目と、真っ赤に裂けた口が迫る。
どのくらい逃げ続けただろう。
祢子の喉はカラカラだ。
もう走れそうにない。
ああ、オオカミに捕まる。
食べられてしまう。
噛まれるのは、引き裂かれるのは、どれくらい痛いのだろうか。
大きな手が伸びてきて、祢子の腕をがしっとつかんだ。