葉月11
トドさんは行きかけて、立ち止まった。
「そうだ、もうちょっと細かい設定をしようか。
その方が、リアリティがあるだろう?」
何を言っているのか、意味がよくわからない。
「……いいかい、ぼくは極悪な連続殺人犯だ。
きみは、新米刑事。
やっとぼくが犯人だと突き止めた。
今まで先輩の足を引っ張ってばかりだったから、何としても犯人を逮捕したい。
いい?」
祢子はうなずいた。
それなら、よくわかる。
頭の中で、「太陽にほえろ」のテーマ曲が流れ始める。
「さあ、十数えて」
「いーち、にーい、さーん……」
祢子は両手で目を覆って、数える。
トドさんはどこに隠れるのだろう。耳は澄ませておく。
「……きゅう、じゅう!」
言い終わると同時に、手を下ろして、ぐるりと見回した。
毛足の短いじゅうたんが足音を吸い込んだのか、やつがどこにいるのか全くわからない。
でも、勝手知ったる図書室だ。
一つ一つしらみつぶしに探したら、必ず追い詰めることができる。
まず、すぐ目の前の、中央のテーブルや椅子の下を覗き込んだ。
ソファーの後ろもチェックする。
それから、右手の本棚の列に向かった。
足音を立てないように、忍者のように、さささと移動する。
やつは、凶悪犯。何人も人殺しをしたやつだ。
拳銃やナイフももっているかもしれない。
この毛野刑事が、きっと捕まえてみせる。
今までの失敗を挽回して、先輩たちをぎゃふんと言わせるのだ。
右手にはいなかった。
左手の本棚の列に向かう。
いた、やつだ!
本棚の向こうに、ちらと背の高い半身が見えた。
気づかれないように、近寄ろう。
やつは、あさっての方を見ている。
もう少し。
そっと手を伸ばして触ろうとした瞬間、やつは、がばっとふり向いて、飛びのいた。
「トド、逮捕する! おとなしくお縄をちょうだいしろ!」
トドさんは、泣き笑いのような変な表情をした。
「捕まるものか!
おれは、もっと人殺しを続けるんだ。
こんなろくでもない社会を懲らしめてやるんだ!」
子どものように叫んで走り出した。
祢子は必死に追いかける。
「お前が殺した人たちは、何の罪もない人々だ! 刑務所で罪をつぐなえ!」
祢子の頭はかっかかっかとしてきて、自分でも何を言っているのかよくわからない。
「人間だって、何の罪もない生き物を殺すでしょ。
何が悪いのか、わかりませーん。教えてくださーい」
「うるさい! おまえは、黙って逮捕されろ!」
トドさんは、長い脚で少し走っては本棚に隠れる。
祢子の手が届きそうなぎりぎりのところまで待って、余裕たっぷりに逃げていく。
祢子が諦めかけると、ちょっと顔をのぞかせて、挑発する。
「刑事さん、見逃してくださいよう。そうしたら、いっぱいお金をあげるから」
からかわれている。
祢子の頭は火照り、いやなものがどろりと胸に満ちてくる。
ひどい。
絶対追いつけないのを知っていて、いたぶっているんだ。
トドさんが、こんな人だったなんて。
「わいろなど、いらん!
もういやだ、やめるから!」
祢子は、半分べそをかきながら吐き捨てた。
トドさんの方から、祢子に近づいてきた。
「参りました。捕まえてください」
祢子は口をとがらせたまま、ちょっとタッチした。
「わいろなんて言葉、よく知ってるね」
トドさんが、感心したように言った。
それで、祢子も少し機嫌を直した。
どちらからともなく、本棚の前に並んで座り込んだ。
祢子の息が落ち着くと、「じゃあ、交代だね」とトドさんが言った。
「交代? まだやるの?」
祢子は驚いた。
「だって、祢子ちゃんも、逃げる方にならなきゃ。不平等だろ?」
それは、そうだ。
トドさんに仕返しをしたい。
あんな、惨めでさみしい思いをさせてやりたい。
祢子はうなずいた。
「こうしよう。
祢子ちゃんは赤ずきん。そして、ぼくはオオカミだよ。
ぼくは、きみのおばあさんを食べてしまった。
そして、今度はきみを食べようとしているんだ」