皐月4
父さんがいなくなると、やっと話ができる。
健太が、学校で先生に絵をほめられたと話している。
「なんの絵なの?」
母さんが尋ねる。
「写生大会で、どこでもすきなとこを描いていいって言われたから、おれは学校の裏庭を描いたんだ。
だれも描いていないようなとこ。
大きな木があって、そこの根元に白い花が咲いていたんだ」
母さんは嬉しそうににこにこしながら、どんな風に描いたのかとか今度見たいねえとか言っている。
祢子は、ゆきちゃんちでのことをぼんやりと思い返していた。
母さんに話すつもりはなかった。
マンガを読むのは禁止されていた。
皿洗いを手伝おうとすると、母さんが言った。
「もういいから、宿題をしなさい。祢子はまだ宿題してないでしょ」
「はあい」
「おれはもうしたもんね」
「うそばっかり」
祢子は知っている。健太がいつも宿題を忘れて、学校の廊下に立たされていることを。
でも、母さんにそのことを言ったことはない。
学校のことは、健太のことでもあまり言いたくない。
「へへん。今日はしたもん」
「ああ、そう」
健太とすれ違いざまに、さっきの復讐に腕をつねってやる。
健太はおおげさに「痛っ」とわめいたが、祢子は二階に駆け上がった。
したくなくても、しなければならない。
漢字ノートに漢字の練習。算数ドリルを二ページ。日記帳。
それから、一番の難題の、「自由学習」。
自由学習とはいっても、してもしなくても自由なのではない。
しなければ、田貫先生の冷たい目が待っている。
「毛野さんともあろう人が」と言われることもある。
なにより、教室での席が後ろにずれることになるかもしれない。
祢子の席は、一番前の真ん中、田貫先生が立つ教卓の真ん前なのだ。
そこは、クラスの頂点であった。
クラスで一番できる生徒の席。何かと先生に声を掛けられ、発言を求められる生徒の席。
祢子は最初の頃からその席で、席替えでも他の席になったことが無い。