葉月8
抑圧だ、詰込みだ、権力の横暴だ、などよくわからないことをぶつぶつつぶやくトドさんを放っておいて、祢子はまた宿題の続きに取りかかる。
その日は、国語を終えて、算数にも少し食い込めた。
よし。いい調子だ。
どんどん終わらせよう。
帰宅してから祢子は、台所の母さんに「いちごパックはない?」と聞いてみた。
「こんな真夏に、いちごパックなんてあるわけないでしょ」
母さんが呆れ声で言う。
「何に使うの?」
「夏休みの工作」
「何を作りたいの?」
「ええと、いちごパックにきれを貼って、小物入れを作ろうかなと思って」
「じゃあ、端切れも要るじゃない。
そんな急に言われても困るのよ。
要るものがあるなら、もっと早く言いなさい」
母さんは不機嫌に言って、夕食の支度に戻る。
食後、父さんが書斎に引っ込むと、母さんが面倒くさそうに言った。
「牛乳パックなら、空いたのが一本あるけど」
気にしてくれてたんだ。祢子は嬉しくなる。
「牛乳パックでもいい。ありがとう、母さん」
すると横で聞いていた健太が、
「姉ちゃん、牛乳パックで何するの?」
「夏休みの工作に使うの」
うるさいなあ、健太は。
「オレも牛乳パックほしい」
健太が母さんにねだり始めた。
祢子は嫌な予感がした。
「健太は何で要るの?」と母さん。
「オレも夏休みの工作したい」
健太はいつもそうだ。祢子の真似ばかりしたがる。
「あら、困った。空いた牛乳パックは、一本しか無いのに」
「先に母さんに頼んだのは、わたしだった」
祢子は急いで主張する。
「オレも宿題しないと怒られる」
健太も主張する。
「半分こする?」
困った母さんが提案する。
半分こしたら、牛乳パックのとがった方を、「お姉ちゃんだから」と押しつけられるかもしれない。
とがった方は、工作しにくい。絶対いやだ。
「健太は後から言ったくせに、ずるいよね、母さん」
「でも、健太も宿題があるし。半分こでも大丈夫じゃない?」
「だって、パックのとがった方じゃ、できないもん」
祢子の胸は憤りで張り裂けそうだ。
わたしが先だったのに。母さんは、ひどい。
「じゃあ、健太がとがった方にしたら?」
「オレも一本全部使いたい」
祢子と健太はにらみ合う。
母さんは立って、冷蔵庫を開けた。
「まだ開けてない牛乳が一本あるから、これを二人で飲みなさい。
そうしたら、一本ずつあるでしょ?」
そうして、新しいパックを開けて、大きなコップ二つになみなみと牛乳を入れた。
それでもまだ残っているのを、もう二つのコップに、同じくらいずつ入れた。
「これは、お風呂上りに飲みなさいね」
祢子は牛乳があまり好きではない。
なんだか、母さんにだまされたような気がする。
だが、あきらめて、がまんして牛乳を飲んだ。
そして、洗って乾いた方のパックを、さっさと取った。
皿洗いの後、母さんが端切れの入った行李を、押し入れから出してきてくれた。
母さんの横に座って、使ってもいい端切れから、工作に使うのを選んでいく。
きれいな柄の布や手触りのいい布。
母さんは、裁縫も得意なのだ。刺繍も、手編みもできる。
祢子の服に使ったあとの端切れもある。
どんな服だったか、それを着た祢子がどんなにかわいかったか。
母さんの思い出話を聞いているうちに、祢子の怒りも収まってきた。
牛乳パックを二つに切って、下半分に布を貼り付けて、鉛筆立てにしよう。
海で拾った貝殻もくっつけよう。
書斎から、「風呂に入りなさい!」と父さんの怒鳴り声が聞こえた。