葉月4
祢子と健太は、父さんについていく。
父さんは、海の深い方に、どんどん歩いて行く。
祢子のお腹が、水の下に見えなくなる。
胸を、喉元を、大量の海水が洗う。
波に体を持ち上げられながら、祢子と健太は飛び跳ねるようにして、父さんの後を追う。
もう、足が底につかなくなった。
でも、父さんはまだ沖に向かって行く。
「父さん、もう足がつかない」
「つかまりなさい」
健太と祢子を両肩につかまらせて、父さんは横泳ぎを始める。
波頭は立たないが、波はゆったりと力強い。
海水は、いつの間にか藍色になった。
父さんの肩にしがみつくちっぽけな体など、やすやすと飲み込むだろう。
父さんの顔が、浮いたり沈んだりする。
祢子と健太は怖くなる。
足先で探る水は、ぞっとするほど冷たい。
その先には、もうなんにもない。
下の方から、サメが口を開きながら見上げているかもしれない。
大きなシャコガイのぎざぎざとした縁が、足を切り裂こうとしているかもしれない。
ウツボが岩陰からにょろっと出てきて、鋭い歯をむき出したところかもしれない。
カツオノエボシの長い触手が漂い来ているかもしれない。
とにかく祢子は、怖い。
「父さん、戻って」
祢子は波をかぶりそうになりながら、必死で父さんに頼む。
「戻ろうよ、父さん」
健太の声は半泣きだ。
そこで父さんは、自分の体から、二人の手をはがす。
「そこから、自分で泳いで戻りなさい」
忘れていた。
去年の海水浴でも、父さんに同じことをされたのに。
祢子は、仕方なく平泳ぎを始める。
平泳ぎの方が、クロールよりもまだ得意なのだ。
健太をちらっと見ると、泳ぎが苦手な健太は目をみひらき、大慌てで手足をふりまわして、今にも沈みそうだ。
父さんは立ち泳ぎしながら、健太を観察している。
健太の心配をしている場合ではない。
祢子は、平泳ぎで二十五メートルがやっとだ。
大きくて重い波の向こう、目標の浜辺は、二十五メートルよりもずいぶん遠そうだ。
健太は父さんがどうにかするだろう。大事な長男だし。
むしろ、祢子の方が後回しになるのではないか。
一度に二人を助けることは父さんにもできないだろう。周りに大人もいない。
祢子は必死で水をかく。
少し泳いでは、立ってみる。
まだ足先もつかない。
もう少し岸に近づかないと。
泳いでは立つことを何度か試していると、ふいと体が重くなった。
足が底の砂を踏んづけて、上半身が水から踊り出た。
腰周りを、波が押したり引いたりしているが、祢子は足で踏ん張れる。
ほっとして、恥ずかしくて、もう二度と父さんについていかないと決める。
父さんが、健太を抱きかかえて戻ってくる。
健太は、青い顔で、おとなしい。
きょうだいは、海を上がって、しばらくは砂浜で遊ぶ。
駅で帰りの電車を待つ間、父さんがアイスを買ってくれる。
何事もなかったように、三人でおいしくアイスを食べる。
母さんが、夕ご飯を作って待っていてくれるだろう。