文月13
「外に出てごらん」
トドさんが、竹垣の向こうを指さした。
竹垣を回って二段ほど下りる。
細い道路を隔てて、さびかけた緑の網模様のフェンスが、左右に伸びていた。
「どこかわかる?」
トドさんがいたずらっぽい声で尋ねた。
「……どこ?」
わからないのは悔しい。
「ほら、あのすべり台を見てごらん」
トドさんが、フェンスの向こうを指さした。
「あ!」
なんと、あの小さな公園だった。
だれもいない。
「反対側から見たらわからないものだよね」
よく見知っているはずなのに。
初めてのところみたい。
「じゃあ、あとは大丈夫だね。さよなら」
トドさんが手を振った。
「さよなら」
祢子は、フェンスの切れ目から公園を横切り、家に向かって駆けだした。
今日は、一学期の終業式だ。
体育館で校長先生の話があった後、教室に戻った。
一学期の反省と夏休みの注意を聞いた後、田貫先生から、通知表を渡される。
出席番号順に呼ばれて、次々に前に出て受け取る。
みんながざわざわと浮足立っている。
祢子は自分の通知表をパッと開いて確認して、さっとランドセルの中にしまった。
あまり変化はなかった。体育と図画工作以外は5。
その後大掃除があって、終わったクラスから解散になる。
上履きや体操服の他に、朝顔の鉢やリコーダーも持って帰らなければならない。
両手はいっぱいだ。
ランドセルの中には、夏休みの宿題やプールカード、ラジオ体操カード、おたよりや通知表などがぎっしり入っている。
晴れが続いたので、傘は無い。
助かったが、暑いのは参る。
かーこは重い重いと文句を言っていたが、突然、
「祢子は通知表、どうだった?」と聞いてきた。
「いつもと同じ」
「ほとんど5?」
祢子は黙ってうなずく。
「あ~あ、お母さんに怒られそう」
かーこが気だるげにつぶやいた。
「でも、体育はどうしても5にならない。図画工作も」
祢子は機嫌を取るために言ったのだが、かーこは急に目を吊り上げた。
「体育だけ5でも、どうしようもないって。
祢子には、あたしの気持ちなんて全くわからんよね。
優等生だもんね」
でも、じゃあいったい、なんて言えばよかったのだろう。
かーこは今度は、いきなりのろのろと歩き始めた。
「かーこ、早く帰ろうよ。暑いし、荷物が重いし、お腹もすいたし」
「勝手に帰ればいいじゃん」
祢子は諦めて、自分のペースで進み始めた。
かーこの姿がどんどん遠くなる。
別に、一緒じゃなくてもいい。
前にも後ろにも、学年の違う子たちも下校している。
集団下校と同じだから、無理してかーこと帰ることもない。
それよりも。
明日から夏休みだ。
トドさんちで、思い切り本が読める。
今日からだって。
母さんは、通知表を満足げに眺めた。
「ほら、健太、お姉ちゃんの通知表を見てごらん。あんたもがんばらないと」
食卓の周りでうろうろしていた健太が、祢子の通知表をのぞきこんできた。
「健太のはどうだった?」
祢子が母さんに聞くと、
「姉ちゃんに見せないでよ、かあさん」
健太があわてて両手で母さんを揺さぶった。
「はいはい。……図画工作はいつもいいんだけどねえ」
母さんは笑いながら言った。
健太は、母さんの口元を手で押さえようとした。
母さんが笑いながら身をかわす。
祢子は許してやることにした。見なくてもなんとなく想像はつく。
お昼ご飯を食べると、祢子は「友だちと遊んでくる」と家を出た。
小さい公園に走って行き、通り抜けて、竹垣の内側に入り込んだ。
火鉢の内側を探ると、荷造り用の茶色のテープが貼ってあった。
ふくらんでいるそれをはがすと、カギがちりんと出てきた。
ええと、チャイムを押さなきゃ。
ピンポーン。
しばらく待っていたが、だれも出てこない。
チャイムを鳴らしたから、カギで開けていいんだよね。
祢子は鍵穴にカギをさしてみた。
何回か失敗したが、カチャリと回った。
よかった、開いた。
お邪魔します、と言って引き戸を開いて中に入った。
ちょっと待てよ。
カギをずっと持っていたら、落としてしまうかもしれない。
お財布のことで、祢子は懲りていた。
内側から引き戸のつまみをひねってカギを掛け、自分のカギは靴箱の上に置いた。
木彫りの熊の陰だ。
熊は、鮭をがぶりと口で捕まえたところだ。
哀れな鮭は、必死に身をよじっている。
靴を脱いでから手に持って、薄暗い廊下を進む。
台所の手前で、祢子は立ち止まった。
水音がする。
びくびくしながら、勇気を出して台所に入った。
流しの前に、小柄な女の人が立って、洗い物をしていた。
「あのう、こんにちは。お邪魔します」
清水の舞台から飛び降りる気で声をかけると、女の人がふり向いた。