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あをノもり  作者: 小野島ごろう
19/125

文月2

 今日祢子は、忘れ物をして、放課後反省文を書いていた。




 忘れたのは、たったの消しゴム一個だった。

 黙っておこうか、わかりゃしない、と、一瞬魔がさしかけた。


 以前、下敷きを忘れたクラスメートが先生に申告したことがあった。

 みんなの前で、先生に「正直で偉い」とほめられていた。


 それに、書き間違えて消せなかったら、先生にはきっとわかってしまう。

 黙っていて発覚したら、先生は何倍も怒るだろう。



 それよりは、反省文の方がまだましだ。






 反省文は、わら半紙の表と裏に、びっしりと書かなければならない。


 罫線は無いから、字の大きさは自由なはずだ。

 が、字が小さければ小さいほど「ちゃんと反省した」とほめられる。



 祢子は今まで反省文を書いたことが何度もあった。

 だから、だいたい何を書けばいいかわかる。


 だが祢子の良心や気力や知力を総動員しても、消しゴム一個忘れたことへの反省は、泉のように湧き出るとはいえなかった。



 仕方が無いので、昨夜からの自分の行動を振り返ってみせた。


 宿題の時に消しゴムを使って、その後お風呂に入って、明日の準備をして。

 どの時点で気が付けばよかったのか。


 それで表が埋まり、あとは裏だけになった。


 消しゴムを忘れたことで自分がどんなに困って、人にどんなに迷惑をかけたか。


 大小思いつく限りの困難と迷惑を並べて、もう決して忘れません、とクドクド誓ってみせた。



 やっとできた。



 教室で仕事をしていた田貫先生に「できました」と提出すると、「はい。早く帰りなさい」と言われた。




 やり遂げたと一種爽快感を覚えたのは一瞬だった。

 なんだか祢子の脳みそはくたくたに萎びていた。



 かーこには先に帰ってと言ってしまった。一人で帰らないといけない。


 母さんは遅いと心配しているかもしれない。


 反省文を書いていたなんて言えない。委員会があったということにしよう。

 




 人気のない、床も土間もべちょべちょに濡れた薄暗い昇降口。

 靴下が濡れないように爪先立ちで上靴を脱いで下駄箱に入れ、靴に履き替えた。



 雨は小止みになっている。

 おっと、傘を忘れるところだった。急いで傘立てから自分の傘を取ってくる。


 五時半を過ぎていたが、まだ外は明るい。

 祢子は、傘を前後に振りながら早足で帰り始めた。




 学校が斜め左後ろに見えなくなって、人家も途切れた。

 川べりに高い草むらが続くあたりは、人気もなくなる。


 祢子は思わず走り出した。


 やっと道路脇にまた人家が現れた。

 走るのをやめたが、心臓のどきどきはなかなかおさまらない。




 小さい公園が見えてきた。ちらりと横目で見る。

 

 トドさんが、立っていた。




 祢子は思わず立ち止まった。




 トドさんは、ごく小さく手を振ってから、公園の奥にあるすべり台の陰に消えた。


 祢子は、周りをさっと見回した。誰もいない。小走りで、トドさんの後を追う。



 すべり台の向こうに行きかけて、祢子はつまづきそうになった。


 すべり台の陰にトドさんがしゃがんでいた。


 トドさんは祢子を見上げて、「おっと」と言いながら手を差し伸べた。


 祢子がすばやく体勢を立て直したので、その手はむなしく空中を支えて、下ろされた。


 ふわっと、男の人がつける整髪料の香りがした。祢子の心臓はまたどきんと跳ねた。




 トドさんが、にこっと、歯を見せて笑った。

 笑った時にのぞいた前歯が、白くきれいになっていることに、祢子はびっくりした。


 歯医者に行ったのかな。でも、そんなこと聞くのは失礼かも。

 もちろん、虫歯だらけよりは、きれいな歯の方がいいに決まっているし。



 歯を見ないように視線をずらせる。

 半袖から突き出ている骨ばった腕は、男の人にしては毛が薄くて、浅黒い。

 ボタンを二つ外したシャツの襟から覗く長い首の途中に、のどぼとけがとびだしていた。


 

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