水無月10
顔がくまなくはっきり見えるので、祢子はとまどった。
日焼けした肌。涼しげな目。凹凸のはっきりした、目立つ顔立ち。
本当にトドさんだろうか?
でも、背格好や声はトドさんのようだし、やけに親し気に祢子の名前を呼んだ。
トドさんが、恥ずかしそうに笑った。
「いかにも変質者みたいだったから、きちんとしようと思って」
変質者、という言葉を、祢子は知らなかった。
たぶん、普通ではない人のことなのだろう。
「お買い物ですか?」
「あ、うん。そう、そこまで、買い物」
トドさんも、小林商店で何か買うのかな。
「じゃあ、さようなら」
忙しい時は、引き留めてはいけない。
気を利かせて、手を振ると、
「あ、ああ、えっと、方角がおんなじだから、途中まで一緒に行ってもいい?」
祢子は首を傾げた。祢子の家の方角になにか店があっただろうか?
「どこの店ですか?」
「○九。ほら、あっちに新しくできた大きい店があるだろ?」
そうかあ。いいなあ。
母さんも、祢子が学校に行っている間に、自転車で行ってるみたいだ。
祢子も行ってみたいのだが、なかなか連れて行ってもらえない。
なんでも○九には大きい本屋があるそうだ。
本屋と言ったら、昔からある内山書店しか知らない。
内山書店が一番近い本屋だが、それでも祢子は一人で行かせてもらえない。
たまに連れて行ってもらっても、小さい本屋だから、祢子が読みたいものがあまりない。
○九の本屋は、内山書店よりは大きいらしい。
いったい、どんな本を置いているのだろう。
広くはない道なので、祢子はトドさんの後について歩き始めた。
黒くて大きい傘をさしたトドさんは、ゆっくり歩く。
自分の傘が、トドさんの服を濡らさないように、祢子は気を付ける。
「本屋ですか?」
通り過ぎた車のしぶきの音に負けないように、祢子はトドさんに向かって、大声で話しかけた。
「うん? 祢子ちゃんは、本が好きなの?」
トドさんが、半身で振り返って聞き返してきた。
「はい。図書館や学級文庫でよく借ります。だけど、お父さんに見つかったら、怒られます」
「なぜ? 本を読むのはいいことだろう?」
「お勉強にならない本を読むのは時間の無駄だって」
「そうか」
祢子の家への曲がり角はもうそこだ。
「あ、トドさん、ここから曲がるので。さようなら」
トドさんを追い抜いて行こうとすると、
「祢子ちゃん」
トドさんに呼び止められた。
祢子は立ち止まった。
「本なら、ぼくの家にたくさんあるよ。
今度、おいで。いくらでも読ませてあげるよ」