弥生11
祢子は『大きな森の小さな家』を読み終えて、『大草原の小さな家』を読み返そうとしていた。
「ただいま~。祢子?」
母さんが階段下から呼ぶ声に、いつになく、すぐに気づいた。
祢子は買った二冊を、素早く机の引き出しの中に隠す。
「はあい。お帰りなさい!」
祢子は自分の部屋から出て、階段を下りた。
頭の中では、ブタの膀胱で作った風船が、ポンポンと跳ねている。
「健太は?」
「さあ。どこかに遊びに行ったと思うけど」
さっき、健太の部屋でガタガタと物音がして、階段を駆け下りる足音がしたような気がする。
「そう。……ああ、それで、ほら!」
母さんが、そばにあった大きい袋から衣類を引っ張り出した。
「制服? もうできたの?」
「帰る途中で、販売店に寄って受け取って来たの。今日は天気がよかったし。
……ほら、着てみてごらん」
「ありがとう、母さん!」
祢子が服の上から着ようとすると、
「長さとか見たいから、下着の上から着なさい」
母さんに言われた。
祢子は書斎の方をちょっと見た。
おじいちゃんが出てこないとも限らない。健太が急に帰ってくるかもしれないし。
洗面所に制服を持って行って、戸を閉めてから着替えた。
裏地がひんやりして、生地が重い。首回りがスース―する。
急に気分がしゃきっとする。
これで、中学生になれるんだ。
新しい学校、新しい先生。
同級生の顔触れは変わらないが、クラス替えはあるから、新しいクラスと言っていい。
祢子は、新しい環境が待ち遠しい。
自分まで新しくなるような、新しくなってもいいような気がする。
洗面所の、母さんの嫁入り道具の三面鏡を、勇んで振り返った。
そこにいたのは、大人の服を着た子ども。
高揚した気分が、たちまちしぼんだ。
「母さん。着てみたけど……やっぱり、大きすぎない?」
洗面所の戸を開けて、母さんを呼ぶと、母さんが裁縫道具を持ってきた。
三面鏡の前に祢子を立たせたまま、母さんはまずセーラー服の上着の裾を内側に折り込んだ。
このくらい? このくらい? と言いながら、裾の位置を、スカートのウエストが隠れるくらいに調節していく。
ちょうどいいところで、母さんが何カ所か、外側から待ち針を打った。
祢子は、針の先に触れないように腕を上げる。
母さんは同じように、スカートの裾も上げていく。
待ち針を打ち終わったら、「針に気を付けて」と言いながら、祢子が脱ぐのを手伝ってくれた。
「さあ、裾上げはこれでできる、と。体操服はどうしようか」
長袖のジャージの裾や袖口を縫い上げるのは、なんだかみっともない気がする。
「まくったらいいから、しなくていいよ」
「そう?」
母さんは、明らかにほっとしていた。
母さんは、わずかな時間を見つけて、裾上げをしてくれるのだろう。
祢子は、母さんに内緒でこそこそ本を買って、こっそり読んでいるのに。
それでも、祢子の欲求は、罪深いことに、罪悪感を焼き尽くすほど強いのだった。