水無月6
顔の識別ができるくらいに近づくと、おじさんが、軽く手を上げて、「やあ」と言った。
ああ、顔を覚えられていた。
祢子は、仕方なく覚悟を決めて、会釈をした。
「この前はすみません。ありがとうございました」
おじさんの前で、祢子は大きくお辞儀をした。
「怒られなかった? 大丈夫だった?」
「はい。泣いて謝ったら、あまり怒られませんでした。おじさんが、せっかく一緒に探してくれたのに、あんな態度でごめんなさい」
「いや、いいんだ。大変だったね。それよりも、おじさんって、ぼくのこと?」
祢子は首を傾げた。
他に誰がいるというのだろう。
おじさんが、軽く自分の髪やヒゲを撫でて、「まあ、こんな格好じゃ、仕方ないか」とつぶやいた。
「ところで、今走って行った子は、きみのお友達?」
「はい。あの、すみません」
なぜ、祢子が謝るのだろう。
でも、謝らなければならない気がする。
「いいよいいよ、ほんとにそうなんだから。子どもは正直で、残酷なものさ」
かーこの代わりに怒られるかとうつむいていた祢子は、顔を上げた。
おじさんは、にっと、歯を見せずに笑った。
髪の間から、思いがけず若々しい、少年のようにあどけない目が見えて、祢子はびっくりした。
この人は、おじさんじゃないのかもしれない。
でも、アル中みたいだから、やっぱり気をつけないと。
先生や母さんの注意が頭をよぎる。
「知らない人には声をかけられても知らんぷりするように」
「怖いおじさんにはついて行っちゃだめよ」
しかしこの人は、この前一緒にお財布をさがしてくれたから、「知らない人」ではない。
それとも、どこの誰かも知らないから、「知らない人」に入るのだろうか。
少なくとも、「怖いおじさん」じゃないようだ。
優しいし、怒らないし、よく見たらおじさんっぽくない。
「できたら、『トドさん』って呼んでくれないかな。おじさんとかアル中とかは、やっぱり少し傷つくなあ」
「『トドさん』?」
「えーと、名字がトド、なんだ。家の戸、の戸に、渡る、の渡」
「わかりました」
トドさんはほほ笑んだ。
「で、きみの名前は?」
「祢子です」
祢子は、自分の手のひらに漢字を書いて見せた。やっと、書き慣れてきた漢字だ。
「祢子ちゃんかあ。何年生?」
「六年生です」
「そう。しっかりしてるなあ」
「そうですか?」
「うん」
トドさんの視線が、すいと祢子の後ろに動いた。
祢子が思わず振り返ると、どこかのおばさんが不審そうな目つきで通りがかるところだった。
おばさんは、通り過ぎてから、また何度も振り返った。
「じゃあね、祢子ちゃん。気を付けてお帰り。もう落し物をしないようにね」
トドさんは少し大きな声で言った。
「はい。ありがとうございました。さようなら」