弥生5
母さんは、祢子をうながして、運動場に向かう。
「よこいくんちの車に乗せてもらうことになっているから」
「はあい」
着物だから、車に乗せてもらったんだろう。
よこいくんちの車を見つけて近づくと、よこいくん一家はもう中で待っていた。
おじさんが運転席、おばさんが助手席。よこいくんは後ろだ。
おじさんは黒いスーツ姿。おばさんは着物。
おばさんの着物は、母さんのより高そうだし、髪も顔も目いっぱいおしゃれをしている。
よくよく見なければ、よこいくんちのおばさんとわからないくらいだ。
「お世話になります」
母さんも祢子も、頭を下げた。
よこいくんが左に寄ったので、祢子から先に乗り込んだ。
真ん中が祢子、母さんは右の窓際だ。
おじさんがエンジンをかける。
「もう昼だね。うちはこのあと、食事に出かけるけど、毛野さんは?」
おばさんが真っ赤な唇を開いて、親し気な明るい声で聞いてくる。
「うちは、おじいちゃんと健太がいるから……あ、このまま食事に行くのだったら、途中、下ろしやすいところで下ろしてください」と母さん。
「だいじょうぶ。……でもまあ、そしたら、細い道に入る手前でもいい?」とおばさん。
「はい、もちろん。ありがとうございます」
おばさんと母さんがやりとりする間、運転しているおじさんが、ルームミラーで母さんの方をちらちら見ているのが、祢子から見えた。
変な目つきだ。
祢子はいやな気持ちになったが、乗せてもらっている以上文句は言えない。
おばさんは隣に座っているのに、気が付かないのだろうか?
気が付いていても、意味がわからないのだろうか?
おばさんは卒業式のことをずっとしゃべっている。母さんは言葉少なに相づちを打つ。
祢子は酔いかけてきたのを我慢しながら、ルームミラーをにらんでいた。
おじさんは祢子と目が合うと、すっと目を逸らせる。そしてまた、素早く母さんを盗み見る。
よこいくんは、ずっと窓の外を眺めていた。
家に続く細い道の手前で下ろしてもらって、母さんと祢子はお礼を言いながらお辞儀をした。
よこいくんちの車が遠ざかる。
「よこいくんちのおじさん、好きじゃない」
祢子がつぶやくと、母さんは、しいっと言って辺りを見回した。
「そんなこと、言うんじゃありません!」
「だって」
「だって、じゃない。ご近所さんの悪口は絶対言っちゃダメ。いい?」
母さんが怖い顔をしているので、祢子は黙った。
体の中に押し込めた怒りは、しかし、むくむく膨らんでくる。
祢子はわざと早足になって、ずんずん歩いた。
母さんは着物に草履なので、ついてこれない。
あのおじさんが母さんを変な目で見ていたから怒っているのに。
悪いのは、おじさんだ。
それなのに、まるでわたしの方が悪いみたいだ。
母さんはいつもそうだ。わたしばかり怒る。ひどい。
だが家の前に着くまでに、祢子はすでに反省していた。
せっかく母さんが、忙しいのに、着物まで着て、卒業式に来てくれたのに。
着物だから、頼んで車に乗せてもらったのだろうに。
最後の最後で、母さんにさみしい思いをさせてしまった。
ゆっくりと歩いてくる母さんを、祢子は家の前で待った。
母さんは疲れたように、うなだれてとぼとぼと足を運んでいる。
みんなの前で堂々と輝いていた母さんとは、別の人みたいだ。
母さんがやっと追いついた。
何も言わずに、二人は一緒に家の中に入った。