弥生4
良かれと信じてやっても。
そこに悪意は無くても。
嫌がられたり、憎まれたりする。
なぜそんなことになってしまうのだろう。
みんなが卒業証書と通知表を受け取ると、はなさんが立ち上がった。
狭い中、横歩きで教卓の前まで進む。
「田貫先生、ありがとうございました」
驚く先生に、色紙と花束を手渡した。
生徒も保護者も、拍手する。
先生は、顔をゆがめてお辞儀をした。
いつ花束を準備したのだろう。
どこに置いておいたのだろう。
教室の中に置いていたら、先生が気づかないはずはないのに。
祢子はそんなことを考えていた。
少し横や下を向いて、顔や声を整えてから、先生は話し始めた。
「このクラスを担当したのは、あなたたちが五年生の時です。
それから二年間の間、あなたたちと毎日一緒に過ごしてきました。
今日この日、無事にみんなそろって卒業する姿を見て、感無量です。
わたしにも至らないところがたくさんあったとは思いますが、みんなよくついてきてくれました。
やんちゃで元気が良すぎて、初めはまとまりの悪いクラスでしたが、やる気と思いやりは人一倍ですので、すぐにみんなが一つになって、運動会も学習発表会も修学旅行も、立派にやり遂げることができました」
ん?
先生の言葉に、祢子はひっかかった。
いつも、田貫先生は、やる気を出しなさい、とか、協力して、とか、みんなにお説教していた。
みんな、先生にお尻をたたかれて、しぶしぶ従っていた。
祢子の記憶違いではないと思う。
先生にとって、自分たちは扱いにくくて思い通りにならない、非協力的で怠惰な生徒たちだったはずだ。
この頃でこそ先生のお説教は減ったが、それはみんなが先生の理想的な姿に成長したからではない。
むしろ、なぜ先生の様子が変わったのか分からず、みんな戦々恐々としていた。
保護者の前だから、最後だから、お世辞を言っているのだろうか。
「……わたしは、あなたたちを誇りに思っています。
自信をもって、中学校に送り出せます。
小学校で学んだことを忘れず、中学校でも、より深くたくさんのことを学んでいってください。
保護者の皆様、二年間大切なお子さんを信頼して任せてくださって、本当にありがとうございました」
保護者たちは、スペースの許す限り、先生に向かって深々とお辞儀をした。
それから、誰ともなく拍手を始めた。
大きくなった拍手の中、先生が深々とお辞儀をした。
祢子は、拍手をしながら、寒気を覚えていた。
なんだろう。
これが、おとなのやり口というものなのだろうか。
今までの二年間が、感動的な成長物語として、見事に上書きされた。
だれもそこに、居心地の悪さを覚えないのだろうか?
「中学校入学までの流れは、今日お渡ししたプリントに書いています。
春休み中は浮かれ過ぎないように。
中学校に入ったらすぐテストがあるので、そのつもりで小学校の勉強の復習をしてください。
さあ、それではこれでさようならです。
保護者の方は後ろの出口から、生徒は前から出てください」
先生が、前の出口の脇に陣取った。
先生は、出ていく生徒一人一人に、小さな花束を渡し、握手をして送り出している。
花束は、先生の足元の箱の中に入っている。
これも、いつ準備したのだろう。
祢子も、先生から花を受け取って、握手をした。
しっとりとした肉厚な手だった。
廊下に出たとたんに、祢子はこっそりとスカートで手を拭いた。
「祢子」
廊下で、母さんが呼んだ。
祢子は母さんにぴったりと寄り添って、廊下を進み、階段を下りた。
他の大人や生徒をかき分けるようにして、昇降口で靴に履き替えて、上靴を袋に入れた。
忘れ物が無いかぐるりと見回す。
傘も忘れていない。
よし。
祢子は、もう振り返らなかった。